大鳴門灘右エ門 (初代)

幕末の大坂相撲、江戸相撲の力士

大鳴門 灘右エ門(おおなると なだえもん、生年不明 - 1882年10月8日[1])は、大坂相撲千田川部屋二十山部屋阿武松部屋に所属した元力士。7代千田川摂津国八部郡(現在の兵庫県神戸市の西部・北部)出身。本名、身長、体重は不明。最高位は東前頭筆頭。

大鳴門灘右エ門 (初代)
ヒト
性別男性 編集
国籍日本 編集
読み仮名おおなると なだえもん 編集
生年月日19世紀 編集
出生地兵庫県 編集
死亡年月日8 10 1882 編集
職業力士 編集
スポーツ相撲 編集

経歴

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元は大坂相撲に属したが江戸相撲に挑み、1853年2月に二段目に付け出されると43連勝を記録した。1857年には徳島藩抱えとなり、同年11月に新入幕。幕内でも強さを発揮したが、勝ち越しを重ねても何故か前頭筆頭に留め置かれ続け[2]、1862年11月には江戸相撲から去った。以後は年寄・千田川を襲名。

成績

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  • 幕内11場所57勝13敗25休2預

[3]

出典

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関連項目

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