プロジェクト‐ノート:相撲/過去ログ3

本名リダイレクト

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はじめまして。Kurihaya と申します。相撲記事の執筆者ではないのですが、みなさまのお知恵を拝借いたしたくお邪魔しました。

Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2014年5月#5月11日から15日 に、力士の本名から力士記事へのリダイレクトの削除依頼が提出されております。当 PJ:SUMOで定める力士記事のスタイルでは導入部に本名を記載することを標準となさっているようですから、検索機能だけでも本名から記事に行き着くことができます。これに加え、リダイレクトを設置する方が、閲覧者の検索キー(特に google 等の外部からの検索)や、当 PJ に集っていらっしゃる執筆者が設ける他の記事の内部リンクとして有用でしょうか。恐れ入りますが、当該リダイレクトの削除依頼にご意見をいただくとともに、当 PJ で方針を検討いただければ助かります。どうぞよろしくご検討ください。--Kurihaya会話2014年5月15日 (木) 12:24 (UTC)

「木村庄之助 (9代)」と「木村庄之助 (10代)」の統合提案

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はじめまして。桂鷺淵と申します。「木村庄之助 (9代)」と同一人物である「木村庄之助 (10代)」(9代目が引退後に現役復帰して再襲名)の統合提案を行いました。ノート:木村庄之助 (9代)にご意見をお寄せいただければ幸いです。--桂鷺淵会話) 2014年5月28日 (水) 14:25 (UTC)--桂鷺淵会話2014年5月28日 (水) 14:26 (UTC)追記

  報告 特にご意見ありませんでしたので統合しました。--桂鷺淵会話2014年6月5日 (木) 05:05 (UTC)

大相撲力士の特筆性について

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利用者:まっきんりい会話 / 投稿記録さんより会話ページにメッセージをいただいたのですが、こちらの方で相撲について詳しい方、興味の強い方による議論がなされた方が良いと思いますので、転記します。

Wikipedia:特筆性 (人物)というものがあり、かつてはプロスポーツ選手なら特筆性があるという訳し方がされておりましたが、実態にあっていなかったため、どのスポーツでも概ね適用できるよう、Wikipedia:特筆性 (人物)#スポーツ選手と修正しております。この基準に照らした場合、幕内経験者は、「各国のトップレベルのリーグ戦に1試合以上出場した選手」にあたると見るべきでしょう。英語版の運用を見ると、必ずしもその国のトップリーグだけではなく、2部リーグやトップリーグに対抗するためにできたリーグなども含んでいるケースが多く見られます。力士については、en:Wikipedia:Notability (sports)#Sumoで、

「Sumo wrestlers are presumed notable if they have been ranked in either the top makuuchi division or second highest juryo division. Wrestlers who have only appeared in lower divisions are generally not notable as they have not reached fully professional status.」(幕内、十両経験者は、特筆性を有する。幕下以下のみの経験者は、基本的に特筆性を有さないとしています。)

弓取り式初っ切りで知られた力士、幕下付け出しデビューの力士、各段優勝者のうち、全員あるいは一部については特筆性があるのではないかと考えます。分野に疎い方や、特筆性に対するハードルを厳しく考える人に、納得してもらえるように、十両以上経験者の記事以上に、メディアでの報道などで、しっかりと肉付けした記事にする必要はあると思いますが。

「その他各競技において特筆すべき実績のある選手、指導者。」では、アマチュア横綱、親方経験者あたりは問題ないでしょう。行司は幕内以上担当者であれば、特筆性がありそうですが、百科事典的記事になりにくそうな場合は、単独記事ではない別の方法も検討した方が良いかもしれません。床山ですとさらに百科事典的記述にしづらいのではと思います。--Tiyoringo会話2014年7月28日 (月) 22:22 (UTC)

飛燕力敬介の件

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たびたび申し訳ないのですが、先日初土俵以来98場所目で各段優勝を果たし、99場所目にして幕下昇進を果たしそうな飛燕力敬介の記事を作ったところ、特筆性云々を貼付され、さもなくば削除するという通告が来た。安彦に初黒星を付けたし、北斗龍や華吹ほど長くはないが、飛燕力も長いので、自己判断で三段目以下ながら作成したつもり。記事に書いた1999年7月場所の優勝決定巴戦で敗れた長谷川が、あの1、2年後にTBSの番組に出演し、角界を悪し様に述べたことも覚えていて、こういうのに負けた人が可哀想だなと、強く印象に残っていた力士です。安彦に初黒星を付けたのと、98場所目の各段優勝は特筆すべき事項と思われるが、もし特筆すべき事項でないならどうぞ削除依頼してください。 一応私は最高位幕下以下の力士で、闇雲に記事を作っていないつもり。現役の北斗龍は華吹との整合性を保つ為だが、引退した力士の場合は幕下上位常連組を記事にしたつもり。志州山と雷昊は十両力士との最多対戦。昴は昭和63年春組で久々の長野県出身関取なるかと注目され、闘牙の四股名を名付けた。佐田岬は千代の富士初勝利の相手。郡山は若貴ブームの時代に幕下上位常連で、八百長一件以来高齢力士の風当たりが強くなった時に、まだいたのかと思ったが、他の高齢力士と比べ最高位も違うし格が違う。緑富士も幕下上位常連だったが、病気で番付を下げて、若き日の白鵬に格の違いを見せた。だがノーマークのモンゴル力士に敗れた。それが安馬だった。若光翔との十両幕下入れ替え戦に敗れたはず。以後よくやったと思う。小金富士は弓取、虎伏山は世話人。改名を何度もした飛円は、鬼竜川を彷彿とさせたが、幕下上位常連に留まるのが精一杯。あの辺りから力士が明らかに大型化してきたから難しかったのかもしれない。最後に名乗った四股名は取り口を表していて絶妙と思った。東昌邦は本名の下の名前が漢字2文字以上の人で、丸々四股名に下の名前を入れているのが特異だった。一文字なら今なら琴勇輝がいるし、過去にもいたが、東昌邦には驚いた。幕下上位にいたので、かなり目立った。嶋の龍は春ノ山の兄で、こちらも幕下上位常連、兄弟関取はならなかった。若い浪は、何かと血筋で有名だった。宍戸は公傷1号。最高位三段目だが玉泉も千代の富士の最初の相手だから作った。とまれ、すでに引退した力士だから、今後実績を重ねることはできないが、今現在作成されている現役の幕下以下の力士よりは、幕下上位常連組で何かの特徴があって、幕下上位常連組の中でも特に目立ったものを作成したつもりです。こう考えると、幕下以下の現役力士の場合の方が、記事を作成するのに支障があるのではないかと思う。飛燕力なんかも、引退してから98場所かけての各段優勝、99場所かけての幕下昇進というスロー記録を、引退後に特筆性が認められるということですか。--まっきんりい 2014年7月28日 (月) 04:08

飛燕力とは別件のことにつき

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実を言うと北欧司音の記事が削除されたのですが、この記事を作成した時に特筆性云々が貼付された。それを取り外したら「やってはいけないこと」云々、「問題を解決させずに」云々とか「理由があって添付している」という。北欧司の件はもういいのですが、北斗龍の時にも同様の件があった。私がここで知りたいのは、物の価値がわからない人間が、何でもかんでも「特筆性」を貼り付けたらどうするのかということ。琴の龍だったかの記事の「身長、体重」のところに「いつ?」という明らかに分かっていない人間による貼り付けもあった。ならば全ての力士、全てのスポーツ選手の身長、体重に「いつ?」と何故貼付しないのか。私は、問題を解決云々というが、問題にもなっていないと認識しているし、全くお門違いの貼り付けに思う。特筆性云々を貼り付けさせないようにする為には、最高位が幕下以下の力士の記事を作らないことかと思う。私が見たところ、現役では鰤の里、バラキ、ウルトラタロウ、右肩、森麗などは、幕下上位常連でもない。私は幕下以下の場合は、最高位が15枚目以内、幕下上位常連は「可」特筆性有りと判断しているので、この点で鑑みれば、玉泉、佐田岬、宍戸は不可ということになる。ただ、玉泉や佐田岬は千代の富士の最初の対戦相手、1勝目の相手を知りたいというのをよく聞いたので、そちら側で特筆性が若干あると判断したわけです。鰤とかウルトラは四股名先行で、私には特筆性は感じられない。かつてのトンガ力士の息子の記事も、寧ろ騒動になった親の方に特筆性を感じる。話を纏めると、いかにして特筆性のものを除去すべきかということです。私自身が特筆性を感じない鰤、ウルトラ、バラキに特筆性を貼付して回るのも火種が拡大する。大方、物の価値が分からずに貼付している人は、真理がわからぬのだと思う。--まっきんりい 2014年7月28日 (月) 07:58

コメント欄

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「幕内、十両経験者は、特筆性を有する。幕下以下のみの経験者は、基本的に特筆性を有さないとしています」に特に足すことも引くこともないと思いますよ。例としてあがってる飛燕力についていえば、幕下の項にスロー昇進記録について記述すれば十分じゃないでしょうか。珍名だけで話題になっただけの力士はどうなのだ、というならそれも削除すべきでしょう。--橋川桂01:06の死線 2014年7月29日 (火) 01:06 (UTC)

1950年代の一時期のように、一定の年限までに幕下に昇進できなければ自動的に廃業というルールがあれば、もともと淘汰されるから、幕下どまりの力士記事など必要ないのでしょうが、いまはそうでもないから、いろいろともめるのでしょうかね。外国出身だけということでも、マーチン荒岩まで記事をつくるのかという議論になって、ごたつくだけです。長い目でみて、個別に淘汰していきましょう。 --ねこぱんだ会話2014年7月29日 (火) 02:08 (UTC)

1992年に共同通信社から発売された『大相撲力士名鑑』ISBN 4-7641-0277-3 では、昭和・戦後、平成に土俵に上がった幕内力士全406人、明治42年以降(旧両国国技館開館)、大正、昭和・戦前の256人について記載がされています。--Tiyoringo会話2014年8月2日 (土) 01:42 (UTC)

リダイレクト削除と最高位幕下以下の力士の件

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  • まず先日、私は天ノ山静雄が再入幕をするまで、本名の尾形静雄を名乗っていたので、リダイレクトを作成しようとしたら、どうやら削除があったとわかった。何事かと思い調べると、誰かが力士の本名から四股名へのリダイレクトを多く作成したので無意味として削除したようだ。しかし、検証して削除すべきは削除し、しないものはしないとした方向性を見出すことが出来なかった。本名を四股名にして関取経験があり、以後新たな四股名を名乗り、その四股名でも関取在位があり、記事名が後者である場合は、リダイレクトは必要かと思う。尾形→天ノ山の頃は、安達→蔵玉錦、長岡→朝潮があり、10余年して寺木→蒼樹山があった。逆のケースで、最近は若孜→中尾がいる。このようなものは場合、削除してはならぬと思う。でなければ遠藤がいずれ新たな四股名を名乗った時、遠藤からのリダイレクトを作成しないということになる。「大鵬の連勝を止めた戸田とは誰か」となり、戸田からのリダイレクトがなければ不親切だ。本名の四股名で関取在位を前提にすれば、尾曽→武双山のリダイレクトは不可。若孜は中尾の四股名で関取在位があるが、増健は本名の柳川の四股名で関取在位がなく、柳川→増健も不可。同じく福薗→鶴ノ富士も不可ということ。とにかく言いたいのは統一性が大事で、検証してから削除してほしいということです。
  • 次いで幕下以下の力士の件についてのこと。記事作成の統一性として、非関取に特筆性がないとするからには徹底せねばならぬ。最高位三段目の一ノ矢充とて例外ではない。またプロレスラーとなった最高位幕下以下の元力士、プロ野球に転じた力士、芸能界に入った力士については、それぞれプロレスラー、野球選手、芸能人としての記事があるので、わざわざ「大相撲力士一覧」に入れる必要はないということ。現役においても石浦や安彦といった力士は、新十両が決定(番付発表を起点)にしてから記事を作成すべきで、安彦、石浦も削除せねばならない。番付運がなかった下田は、「番付」のところで文章として書くだけで事足り、下田こと若圭翔も削除せねばならない。
  • 私はとにかく整合性を欠くことが嫌いな質なので、同じ条件でありながら「あいつは良くて、こいつ駄目」というのが見過ごせない。--まっきんりい会話2014年8月8日 (金) 09:17 (UTC)

一言

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  • 本名からのリダイレクト削除の件は何を言わんとするか伝わったかと判断したい。すなわち、よく考えてから削除依頼、さらに削除すべきということが伝わったと思う。整理すると本名(フルネーム、若しくは輪島のように苗字のみ)で関取在位があり、その後改めた四股名でも関取在位ある人物については、本名からのリダイレクト可。削除してはならぬということ。その逆のケースとして、若孜→中尾も可。本名以外の四股名で関取在位があり、幕下以下で本名の四股名は不可。
  • 隠岐の海が新十両後に一度1場所だけ幕下に陥落した際、再び福岡歩の本名を名乗ったが、先日、福岡→隠岐の海のリダイレクトを見つけ、同様事例の、すなわち1場所だけ幕下陥落した時に本名を名乗った手島を、手島→益荒雄で作成したので、了承願いたい。不可ならば、福岡→隠岐の海も不可。また武双山の本名(尾曽)は有名だが、尾曽で関取在位がないから、尾曽→武双山も削除せねばならなくなってくる。本来はそうすべきだが、もう尾曽、手島、福岡等を最後に本名で関取在位がない力士(フルネーム、若しくは苗字のみ)の本名から四股名へのリダイレクトは終わりにしましょう。
  • 最高位幕下以下の力士記事の件は保留。--まっきんりい会話2014年8月24日 (日) 08:53 (UTC)
おおよそそれでいいと思いますよ。本名かどうかにかかわらず、「十両以上で2場所以上」の実績のない四股名はリダイレクト作成すべきじゃないと思っています(1場所では誤記や、紙幅の都合で別字表記しただけの可能性がある)。尾曽や長岡(のち4代朝潮)、久島(のち久島海)のように角界入り前に本名での実績のある力士が例外、ということで良いと思います。--橋川桂09:10の死線 2014年8月24日 (日) 09:10 (UTC)

追加説明(本名で関取、苗字のみのこと)

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  • 例えば横綱の輪島大士(本名・輪島博)の場合、輪島博、輪島大士の両方で関取在位があり、輪島大士の場合が、苗字のみというわけです。若孜浩気(本名・中尾浩規)の場合は、のちに中尾綱宏で関取在位したのが、苗字のみということです。なので若孜の場合、中尾綱宏→若孜浩気のリダイレクトは可。本名(フルネーム)の中尾浩規→中尾綱宏は不可です。何故ならフルネームの四股名で関取在位がないから。当然、フルネームの中尾浩規→若孜浩気も不可ということです。--まっきんりい会話2014年8月25日 (月) 02:34 (UTC)
中尾浩規は本名でもインターハイや学生相撲選手権で優勝の実績もあるし、また違うのでは。--橋川桂03:07の死線 2014年8月25日 (月) 03:07 (UTC)
そもそも若孜は「中尾綱宏」の名で関取に在位していません(中尾での関取在位時は本名の中尾浩規)。「綱宏」に改名したのは幕下再陥落後、関取在位となっているのは相撲レファレンスの誤記によるものです。--220.108.163.49 2014年8月26日 (火) 02:30 (UTC)
ならば高校相撲や大学、実業団相撲で実績ある力士で、本名の四股名で関取在位はないが、幕下以下で本名を名乗っていた場合は別にしましょう。関取未昇進の場合は、本名からリダイレクトの件ともう一件の最高位幕下以下の力士の件になるので、まだ熟慮が必要です。--まっきんりい会話2014年8月26日 (火) 03:06 (UTC)
あとまぁ、リダイレクトページはなんのためにあるかというと、結局検索者の利便のためですからね。上記条件は「あってもいい条件」であって、「是非あるべき条件」はまた別だと思います。ベテランの好角家でも記憶してるかどうかのような力士がほんの数場所名乗っただけのリダイレクトとか、あってもおよそ有用ではないだろうし。結局「誰がその名前で検索するか」が大事でしょう。--橋川桂03:21の死線 2014年8月26日 (火) 03:21 (UTC)

:本名からのリダイレクトの件は今後、上記の如く、本名の四股名(フルネーム、または苗字のみ)で関取在位があり、その後改めた四股名での関取在位もあった場合は作成可。また高校、大学、実業団で実績がある力士が、幕下以下で本名の四股名(フルネーム、または苗字のみ)を名乗り、関取在位時は本名の四股名(フルネーム、または苗字のみ)を名乗らなかった場合でも、本名も知られているとして可。同様事例でアマチュア時代に実績がない力士の場合、収拾がつかないので不可。この3点については異存がないとみて、合意できたと判断します。  リダイレクトの引き続いての課題は、高校、大学、実業団で実績がある力士で、関取未昇進(引退した力士含む)の力士で、本名(この場合はフルネーム)以外の四股名(本名の苗字のみ含む)を名乗っている、名乗っていた場合の本名からのリダイレクトは可か不可かについてで、これは、その他の最高位幕下以下の力士の件とも絡む。--まっきんりい会話2014年9月3日 (水) 06:21 (UTC)

何事もそうなようにケースバイケース。アマチュアで特筆性を満たすような実績を残して、のちに角界入りしたけど関取昇進は果たせず特筆するような活躍もなかった人物の場合、本名で立項して四股名の方をリダイレクトにすることも考えられるでしょう。逆パターンで、外国出身に多いようですが、大相撲で廃業後母国の相撲大会で活躍してる人もいるみたいですね。--橋川桂06:57の死線 2014年9月3日 (水) 06:57 (UTC)
合意の件に書き忘れていましたが、本名の四股名(フルネーム、または苗字のみ)で関取在位し、のちに改めた四股名で関取在位には、轟→牧本や若孜→中尾のような逆ケースも含まれています。--まっきんりい会話2014年9月4日 (木) 05:36 (UTC)

残るもう一件のこと

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  • 最高位幕下以下(現役、引退力士問わず)は実に難しい。幕下以下全削除、関取昇進してから作成もあるが、弓取や初っ切りの力士もいる。弓取や初っ切りに拘ると、最高位三段目の一ノ矢充は削除になる。幕下以下の力士の場合、作成し始めると際限がなくなるのが難点で、1場所でも関取になった者は、横綱と同様、関取または元関取という大きな括りに入る。幕下以下の場合は、そうでなく関取未昇進ということ以外では、様々は理由から作成されていると思う。弓取や初っ切りというのも、理由の一つに過ぎないのだ。ここで、今後際限なく幕下以下の力士記事が増えるのを防ぐには、○月×日以降作成しないと決めるのが一番ではないかな。学生相撲出身も含めて。弓取や初っ切りに選ばれた力士は別にしてという手もある。今後も最高位が序二段あたりの、珍名力士が登場が予想され、その他珍エピソードのみという力士も発掘されると考えられ、今のところは、これ以上の拡張を止めるというのがいいかもしれない。
  • また前述したことで、高校、大学、実業団相撲出身であくまでそのアマチュア時代に実績がある力士で、幕下以下で本名、関取時代は本名以外の四股名の場合は、本名からのリダイレクト可となったが、中学生横綱に輝いた力士はどのように取り扱えばいいのかというのを忘れていた。関取昇進し、関取時代は一貫して本名以外であった場合、これは幕下以下で本名だったり、最初から本名以外の四股名を名乗っていた場合だが、これは本名からのリダイレクトが可のか不可なのか。中学生横綱に輝き、角界入りして関取未昇進の場合のことは、最高位幕下以下の力士の件になるので、また別になる。--まっきんりい会話2014年9月5日 (金) 07:21 (UTC)

育盛の記事の件

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  • たった2場所、出場0、0勝1敗で引退の育盛の記事が作成されている。私は把瑠都とともに来日した北欧司音の記事を作成したら、たった3場所、特筆性なしと削除になった。育盛は北欧司より短く出場もない。これは削除か、北欧司の復帰だろう。現在、北欧司の記事は何故か、大相撲力士一覧への転送となっているが。私が議題に上げている、昨今の珍名(過去の珍名でなく)というだけで幕下以下の力士を作ったりするのは、如何なものかという点、またひとまず最高位幕下以下の現役・引退した力士の記事を今後作成しないでおこうという提案、これが解決できてないからこうなっている。出場0の力士は過去に何人かいるし、育盛より軽量だった力士もいる。やはり、珍名四股名もあいまって報道されたが、こういう力士の記事を多く作るのはよくない。昔の珍名は、単に受け手が珍名に思えたりしたのもあるので、昨今のとは事情が違う。育盛が良くて、北欧司がダメとは我慢ならぬが、この点はどう捉えるべきか。私は、とにかくひとまず幕下以下の力士の記事作成は一旦止めようと思っている。--まっきんりい会話2014年9月19日 (金) 05:38 (UTC)
過去の自分の失敗についてはそんなに自責なさる必要もないと思いますよ。
育盛に限らず、珍名で話題になっただけの幕下以下力士についてはもういっそ全部四股名の「変わった四股名」節へのリダイレクト化でいいと思うのですけどね。なんかそれなりの分量になってしまっている項もあるので、合意形成に手間取りそうではありますが。--橋川桂06:16の死線 2014年9月19日 (金) 06:16 (UTC)
  • とりあえず、我慢ならないので北欧司の記事を再作成した。これは、のちにトンガ力士たちとともに、外国出身力士一覧でも作るか、欧州出身力士一覧でも作って、そこで説明に回ってもいいからだが、何と言っても育盛が良くて北欧司がダメと言うのが整合性を欠くからだ。昨今のDQN、キラキラネームが角界にも入ってきたが、それを以て特筆性があると判断してしまった場合の究極が育盛ではないかな。四股名においての変わった四股名で、かつての朝日山部屋の赤鬼、青鬼の記事を作成しようかと、一度は考えたが、2人は対であって、しかも赤鬼に対して青鬼の最高位が低くて開きがあり、これは作成するのは愚の骨頂で四股名で紹介した次第。また軽量で言うと、かつて日本テレビがあっていた陸奥部屋の新人物語のようなドキュメント、2回か3回放送された中で、最軽量だった菊池光陽(光洋だったか)も記事にせねばならなくなると思う人も出そうだ。テレビ番組になったのが特筆性ありと判断されそう。とりあえず、どこかで日限を区切って、○月×日以降は最高位幕下以下の力士(現役・引退問わず)を作らない。ただし、学生相撲でタイトルを獲得し幕下付出力士除くにしたらどうかな。幕下付出力士が関取昇進前に記事にしてもいいし、関取昇進どころか引退してしまっても作成可にすればいい。すでに作成された幕下以下の力士は、珍四股名等に振り分ける等、おいおい考える方向に進むべきではないか。この案を出した場合、喫緊のことは○月×日のこと。逆に受け取れば、○月×日までは最高位幕下以下の力士記事作成可になるが、その日以後は、幕下付出以外不可ということになり、これから更に増えるであろう珍四股名であるだけの力士対策になるかと思うが如何か。--まっきんりい会話2014年9月19日 (金) 09:00 (UTC)
あるAという事案をどうしようかと問題提起しておいて、「AがありならBもありだろう」な態度をとられても困るのですよ。とりあえず北欧司音については削除依頼を出させていただきました。--橋川桂09:45の死線 2014年9月19日 (金) 09:45 (UTC)
  • 懸案のもう一件のことと含めて、今日が9月20日なので、2週間後の2014年10月4日以降は最高位幕下以下の力士(現役・引退)の記事を作成しないということで如何だろうか。2週間は告知期間としてのことで、10月3日までは作成できてしまうのだが。幕下付出力士は、関取昇進前、または関取昇進できず引退しても作成可でどうだろうか。今後、式秀部屋を中心とする珍名力士の出現が予想され、珍名だけで特筆性ありとされて記事作成がされる場合もあるので、早めに対応したい。別件の中学生横綱の入門者の本名リダイレクトのことは、作成可でどうだろうか。--まっきんりい会話2014年9月20日 (土) 09:58 (UTC)
日付で線引きをするのが意味不明。執筆時期がどうあれ、特筆性のない項目は作成されるべきではないし、逆も言えるわけです。--橋川桂11:04の死線 2014年9月20日 (土) 11:04 (UTC)
  • 一体どうなるかは、もうよくわからないが、育盛の件を削除依頼したところ、珍名や軽量で出場なしでも話題に上がり、特筆性ありだから存続という意見もあった。こうなっては、たまたま記事を見つけたものが、特筆性ありと判断するかしないかのことになってしまう。私は馬鹿らしくなったので、この一件を取り下げようと思う。それに、昔の最高位が幕下の親方の記事を作成するのはどうすればいいのかというのも難題であったし、何かと難しい。特筆性なしと判断するのは、全くタイミング次第とするしかないのだろう。--まっきんりい会話2014年9月21日 (日) 03:25 (UTC)

力士の四股名(上の部分のみ)からの、上下の四股名へのリダイレクトのこと

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  • 最近気が付いたのは、このようなリダイレクトが多いということ。「能代潟」が「能代潟錦作」へのリダイレクトになっていたもの等、いくつかあった。隠岐の海→隠岐の海歩という具合と受け取ってもらえたら幸い。
  • 先般、合意した力士の四股名のリダイレクト作成は、その四股名で関取在位あるもの(本名四股名含む、下の名乗り変更含む)ということで、いずれも上下一対でのリダイレクト作成であり、上のみでは合意していなかったし、私はむしろこれはすべきではないと思っている。
  • 能代潟の四股名で関取在位は、能代潟錦作以外に、能代潟粂吉(のちの大蛇潟粂藏)がいるので、能代潟から能代潟錦作へのリダイレクトは解除し、両人の四股名に変更した。このようなことになるので、上の部分だけで誰か一人へのリダイレクトは止めるべきではないか提案する次第。現役の力士にしても、今後上の名乗りを継承する関取の登場も考えられ、隠岐の海→隠岐の海歩も止めたほうが無難だし、かつての関取としての四股名の上の部分からのリダイレクト、例えば安馬だけで日馬富士公平も止めたほうがいいと思う。
  • また、これは注意した方がいいと思うことに、宮城野馬五郎は3人いるので、これだけで誰か一人へのリダイレクトも止めるべきかと思う。
  • 宮城野馬五郎や若ノ海正照の場合も、能代潟のような場合もあとで追加ができるが、ここでは上の部分から、四股名上下へのリダイレクトは別に考えたい。
  • 提起したいのは、上の部分から、四股名上下へのリダイレクトは止めにすべきではないかということ。既に作成されているものについては、追加される力士がいれば追加する。追加される力士がいない場合は、削除に回すか、のちに同名の四股名を名のる関取の登場まで放置するかのいずれか。--まっきんりい会話2014年11月11日 (火) 04:58 (UTC)
「四股名の上」のみのリダイレクトは、ありかなしかで言ったらあってもいいのじゃないでしょうか。それなりに熱心な相撲ファンでなければ(テレビや新聞で見るだけという人だと)、そもそも四股名に下の名があることも知らないか、それは知っていても昔の関取の下の名前までは知らないという人の方が多いでしょう。そういう人はやはり四股名の上だけでまず検索するでしょうから、そういうリダイレクトはあった方が親切です。また蔵間竜也のように下の名前だけ何度も変えている人もいて、そういう人の場合、その全てについてリダイレクトを作成するよりリダイレクトページの蔵間ひとつで済ませた方がリソースの節約にもなります(「蔵間」は本名で他にもある苗字なので、これから同姓の別人の項がつくられたら曖昧さ回避ページにしないといけませんが、とりあえず現時点ではということで)。
少し論点変わりますが、宮城野馬五郎の場合、3人とも純粋な四股名というより二枚鑑札で名乗ったものなので宮城野 (年寄名跡)に統合しちゃっていいのじゃないかと思っています。--橋川桂07:06の死線 2014年11月11日 (火) 07:06 (UTC)
宮城野馬五郎の統合のことは考えましたが、あれはもはやあのままの記事で良いかと持っています。理由の一つに、8代浦風のことがあって、二枚鑑札を年寄名跡に統合するとややこしくなるので、その他の浦風林右エ門は曖昧さ回避、宮城野馬五郎は2代へのリダイレクトを解除し、3人並べ、年寄名跡の備考欄に追加した次第。8代浦風の記事名を変更しなければならなくなる上、8代は二枚鑑札の期間が長すぎる。これを鑑み、昔の同名の親方記事があっても差し支えないかと考えたというわけです。
力士の上の名乗りからのことは、やはり複数該当する力士がいる場合が難点なわけです。近頃は、そのような曖昧さ回避の記事を作成した方がよかろうと作成しようとすると、すでに誰か一人へのリダイレクトになっていることが多いので、既に作成されたものには、追加される力士がいれば追加、いない場合は削除でなく、同名の四股名を名乗る力士の登場まで放置で構わないかと思いますが、新規に作成という点が一番の争点です。--まっきんりい会話2014年11月11日 (火) 07:43 (UTC)

Portal:相撲

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Portal:相撲を作成しましたのでお知らせします--Musitation会話2014年12月29日 (月) 01:44 (UTC)

出身地のこと

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力士の出身地を、出生時の行政区画で記述している方がいらっしゃいますが、出身地は入門時に決めて、その後変更があれば変えていくものだと思うので、入門時の行政区画を基準にしたほうがいいと思うのですが、いかがでしょうか。 --ねこぱんだ会話2015年4月18日 (土) 14:22 (UTC)

元十両・出羽乃富士の記事の履歴統合の件

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現在、Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2015年3月の3月21日から25日のところに、出羽乃富士の履歴統合の件を提出しています。この履歴統合が何故必要なのか説明をしておくと、まず、出羽乃富士は、関取在位時は「出羽乃富士智章」を四股名とし、幕下に陥落そのまま引退となった時期に「出羽乃富士智瑛」に改めた。関取の記事は、関取在位時の四股名(下の名を含む)で記事になっており、現状関取でなかった時の四股名で記事になっているのは出羽乃富士だけ。そこで「智瑛」から「智章」への改名を提案し、異論もなく移動して改名をしようとしたら出来なかった。そこで移動依頼に提出したところ、履歴継承無きカット&ペーストによる改名が行われており、履歴継承違反であるので、こちらに提出し履歴統合してから、つまり一旦智瑛に統合してから、智瑛から智章へ移動して改名するようにという、管理者からの助言を得たという次第。元は智章で記事がすでにあるのに、それを知らず智瑛で同一人物の記事を作成したのが問題。これを放置すると、記事名だけを見て、文中を読まず、出羽乃富士の関取在位時の下の名乗りは智瑛だったという誤認が定着しかねない。今、賛成票を投じているのは、実質的依頼者である私だけであり、このままクローズされるわけにもいかない。初めの改名提案からだと2ヶ月が経過し、全関取記事中で出羽乃富士のみ幕下時代の四股名で記事になっている期間がまた延びたということになる。そこで、どしどし賛成票を投じてもらいたい次第。まさか、出羽乃富士のみ幕下時代の名乗りでよいから反対とはいかないでしょう。--まっきんりい会話2015年5月3日 (日) 07:38 (UTC)

関取の記事名のこと。

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  • すでに記事として存在する関取が幕下以下に転落して、四股名を改めた場合(下の名乗りのみ改めた場合を含む)に、記事名を改名しないか、もしくは改名をしても、改めた四股名で関取復帰せず引退した場合は、元の記事名に戻したらどうか。これを提案する次第。--まっきんりい会話2015年2月27日 (金) 08:20 (UTC)
  • 今度、魄龍弘が、若者頭として伯龍弘基に改名したからといって、伯龍へ記事が改名されていたのを、魄龍への再改名を提案しました。放っておくと伯龍を四股名としていたという誤認が流布しかねない。力士としての記事なので、よく考えて改名してほしい。--まっきんりい会話2015年6月1日 (月) 04:20 (UTC)

大坂相撲にも東京相撲にも所属した力士のこと。

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  • 現状、記事名は東京相撲のもので統一されているが、力士としての地位はいかに取り扱うべきか。大坂横綱であったものは、横綱としての扱いだが、懸案は大坂相撲で大関以下であった力士のこと。大相撲力士一覧は東京相撲での地位なので、平幕に入っている力士もいれば、大坂相撲では関脇だったので関脇一覧に入っている力士もいる。また現状、大嶌佐太郎は、大坂相撲では大関であったので大関一覧と東京相撲では平幕だったので大相撲力士一覧の双方に入っている。東京相撲にも所属した大坂相撲で大関以下の力士は、大坂相撲での地位とすべきか、東京相撲での地位とすべきか統一すべきではないか。--まっきんりい会話2015年5月28日 (木) 04:23 (UTC)

力士の特筆性

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相撲部屋の記事について

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現在、相撲部屋の記事は「1つの名前を持つ部屋について1つの記事」が原則です。しかし、部屋名は師匠が襲名している年寄名が機械的に振られているので、部屋としての連続性は考慮されていません。例えば、現在の中川部屋春日山部屋の事実上の後継ですが別記事扱いで、系統が異なる旧中川部屋と同記事に掲載されています。その他、安治川部屋伊勢ヶ濱部屋鳴戸部屋田子ノ浦部屋なども師匠の名跡変更に伴い名称が変更しただけの同部屋ですが、別記事に記述が分散されてしまっています。この現状について、皆様はどのようにお考えでしょうか。--Susuka会話2017年2月25日 (土) 06:26 (UTC)

部屋としての連続性よりも、年寄名による伝統の方が重視されるべきと思います。--Tiyoringo会話2017年2月25日 (土) 11:50 (UTC)
それは、年寄名跡のページの話ではないですか?部屋の記事にも対応させるのは合理的ではないと思います。--Susuka会話2017年2月25日 (土) 12:09 (UTC)

記事の統合が可能なページを、現存部屋を基に引き出すと

統合先のページ 統合されるページ
山響部屋 北の湖部屋
藤島部屋 武蔵川部屋
境川部屋 中立部屋
二所ノ関部屋 松ヶ根部屋
田子ノ浦部屋 鳴戸部屋
井筒部屋 君ヶ濱部屋
陸奥部屋 井筒部屋
中川部屋 春日山部屋
伊勢ヶ濱部屋 安治川部屋
友綱部屋 高島部屋
貴乃花部屋 二子山部屋
大嶽部屋 大鵬部屋

これくらいになるでしょうか。藤島部屋や二子山部屋は更に分割も行うことになるので、更に色々と作業が増えることになりますね。--Susuka会話2017年8月17日 (木) 07:40 (UTC)

  提案 私の提案を反映させたローカルルール(案)を提示します。

相撲部屋の個別記事の立項基準についてのローカルルール
  • 現在存続する部屋については、現在の部屋名で『○○部屋』とする。
    • 現在の部屋が師匠の名跡変更により誕生した場合は、変更前の名称の部屋も同じ部屋と見做して、同一記事に記載する。
  • 現在存続していない部屋については、部屋名に存続期間をつけて『○○部屋 (xxxx-xxxx)』とする。

--Susuka会話2017年8月30日 (水) 10:59 (UTC)

  コメントそれやってしまうと、九重部屋は1974年に北の富士が創設したことになってしまいます。ちょっとまずいのではないでしょうか。 --ねこぱんだ会話2017年8月30日 (水) 14:51 (UTC)

  •   コメント 九重部屋の記事においては、「12代井筒(元横綱・北の富士)が同年11月に12代九重を襲名して、旧・九重部屋の力士全員を引き取って井筒部屋を九重部屋と改称し、実質的に部屋を継承した」とあります。北の富士が九重を襲名して部屋を継承しているので、九重部屋は1967年に千代の山によって創設されたとみなされます。--Susuka会話2017年8月30日 (水) 16:34 (UTC)
上にある君ヶ浜と井筒の関係も同じですよ。現井筒部屋は1972年に鶴ヶ嶺昭男が創設、現陸奥部屋のほうに、初代から3代の横綱西ノ海の記事が書かれるという、ねじれがおきるでしょう。参照レベルの記述にとどめて、統合などしないで、年寄名跡を基準にしたほうがいいと思います。 --ねこぱんだ会話2017年8月31日 (木) 03:32 (UTC)
  • おっしゃる通り、現陸奥部屋が3代の西ノ海を輩出した井筒部屋の流れを汲んでいます。現在の井筒部屋は、鶴ヶ嶺が旧井筒部屋から君ヶ濱部屋として独立したものがベースになっています。部屋の名称は年寄名跡をベースにしていますが、Wikipediaにおいて現行の単純な一対一対応だと記事が分散されてしまうことを問題視しています。--Susuka会話2017年8月31日 (木) 08:05 (UTC)
二人だけの論議では話は進行しませんから、早急な編集はしないでくださいね。武蔵川部屋にしても。 --ねこぱんだ会話2017年9月3日 (日) 12:43 (UTC)
  •   報告 20日以上経過しました。コミュニティからの合意が得られたものとして、まず上の表の部屋については編集を行いました。それ以前の部屋についても、追って作業を行う予定です。--Susuka会話2017年9月25日 (月) 19:55 (UTC)
  反対 と明記しなければ反対とみなさないのですか。はっきり言います。反対です。合意は認めません。自発的にさしもどしていただけませんか。 --ねこぱんだ会話2017年9月26日 (火) 07:55 (UTC)
  •   質問 私がここに提起し、コメント依頼などに告知をしました。私の提案に対してはねこぱんださんから疑問点を頂き、それに対して私が回答をしました。そしてねこぱんださんから「早急な編集はしない」よう依頼され、私は3週間待機しました。その3週間という期間は、ねこぱんださんにとっては充分な期間ではないのでしょうか?--Susuka会話2017年9月26日 (火) 09:14 (UTC)
私はSusukaさんの回答に納得したという発言はしていません。けれども、提案者と意思表示をした私と、1対1の状況ではらちがあかないと考えて、だれか3人目の発言者が出るまではフィフティフィフティだろうと思っていたのですが、違うのですか。逆にいえば、「3週間だれもSusukaさんに賛成する人は出なかったから、提案は否決された」という解釈だってできるのではないでしょうか。3人目の判断をされる方が出るまで待てませんか。 --ねこぱんだ会話2017年9月26日 (火) 14:26 (UTC)
  • コメント依頼から来ました。まず「記事名をどのように付けるか」を決定してから、統合・分割・転記などの編集方針を決定すべきだと思います。
記事名は「相撲部屋の個別記事の名称は、創設時の名称とする」「曖昧さ回避のカッコ内は、創設時の年寄名跡(○代△△)とする」ではどうでしょうか。
井筒部屋の例で言えば、例えば以下の記事名になります。井筒部屋は曖昧さ回避ページとします。(参考:利用者:Noname334/sandbox
こうすることにより、編集者の負担を以下のように軽減することが出来ると思います。
(井筒/陸奥の例を挙げようと思ったのですが、現状の記事がそうなっていないので別の例を挙げます)
芝田山部屋の歴史を加筆しようとした場合
芝田山部屋○○部屋(以前に同名の部屋が存在)に変更された場合

--Noname334会話2017年9月30日 (土) 17:07 (UTC)

  • すべての「○○部屋」の記事を曖昧さ回避にしていくということでしょうか。なお、何代目が創設では、普通の人はわかりにくいし、力士個人の記事に所属部屋を記述するときにリンクを貼る作業が限りなく面倒くさくなります。そこはいかがお考えでしょうか。 --ねこぱんだ会話2017年10月1日 (日) 02:17 (UTC)
補足します。現在Susukaさんによって、二所ノ関部屋は若嶋津の部屋の記述になっていて、海山由来の時代は二所ノ関部屋 (1911-2013)に分ける編集がされているのですが、それこそ、玉錦や佐賀ノ花、大鵬や大麒麟など、かれらのページの「二所ノ関部屋」のリンクをすべて貼り直さなければなりません。現在の二所ノ関部屋がある以上、bot依頼も不可能に近いはずです。それだけの労力にみあう方式なのか、考えなおしていただけませんか。 --ねこぱんだ会話2017年10月1日 (日) 07:02 (UTC)
  •   コメント Noname334さん、ご参加ありがとうございます。まず、現行の部屋は現行の部屋名で立項するべきであると考えます。上述のNoname334さんの意見では[[井筒部屋|君ヶ濱部屋 (8代君ヶ濱)]]となっていますが、通常こういうリンクの張り方はやらないので(逆ならばともかく)、芝田山の例ならばおそらく逆なのだろうと思います。
    次いで、ねこぱんださんの意見について。現行の部屋と閉鎖済みの部屋との間の混乱を避ける目的ならば、現行の部屋も年号を振り、二所ノ関部屋 (2014-)などのようにするのも方法かもしれません。--Susuka会話2017年10月1日 (日) 09:48 (UTC)
私が二所ノ関部屋を例示したら、すべてリンクをつけ直していただいたようで、ごくろうさまです。同様のことは高島部屋にもいえることで、吉葉山の記事から、どんな部屋だったろうと思ってリンク先に飛ぶと、三根山の独立という吉葉山引退より時系列で後の話から始まる記事に飛ぶわけですね。こういうのを、いちいち貼り直すのは、はっきり言って回りくどくて労力のむだではないかと思うのですが、そこまでして、こだわるのでしょうか。記事名を複雑にして、リンクを貼りにくくするのは、サーバーを疲弊させるだけのような気もするのですが。 --ねこぱんだ会話2017年10月2日 (月) 12:48 (UTC)

あらためて、考えてみますと、鳴戸部屋のように、隆の里⇒隆の鶴/琴欧洲のように、直接の師弟関係がなければ隆の里の部屋を『田子ノ浦部屋』にまとめるのはあり、とは思いますが、高島部屋の八甲山⇒巴潟⇒三根山という関係は、三根山も八甲山の弟子であり、巴潟とは兄弟弟子の関係になりますから、『高島部屋』にまとめておいたほうがいいのではないかと思うのです。 同じことは九重・高砂・井筒にもいえるのではないかと思うのです。 --ねこぱんだ会話2017年10月14日 (土) 01:35 (UTC)

  •   コメント コメント見ました。考えた結果、類似系統(兄弟弟子など)では、形式上は新規創設であっても明らかに「再興」の意味合いがあるものについては、記事を統合してもよい、と思うようになりました。--Susuka会話2017年10月19日 (木) 23:39 (UTC)

一覧の一覧のメンテナンス協力依頼

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こんにちは。先日一覧の一覧を全面改訂した者です。ノート:一覧の一覧#プロジェクトやポータルでのノウハウを活かせないかという趣旨から、一覧の一覧#相撲の加筆・整理に関して、こちらのプロジェクトの皆様のご協力を仰ぎたいと思いまして、ご挨拶に伺いました。その旨に賛同して、加筆・整理もしくはレビューにご協力いただける方を募集します。よろしくお願い申し上げます。--Doraemonplus会話2017年4月8日 (土) 15:28 (UTC)

Infobox sumo match作成提案

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千代の富士 対 貴花田
開催日 1991年5月12日
認定王座
開催地 東京
会場 両国国技館
観衆 -
リングアナ -
放送局 NHK
実況・解説 -
視聴率 -
主催 日本相撲協会
ウェブサイト -

千代の富士 対 貴花田
ウルフ
比較データ
35 年齢 18
 北海道松前郡 出身地  東京都杉並区
初日 戦績 初日
11代九重親方
12代九重親方
指導者 11代二子山親方
西張出横綱 評価 西前頭筆頭

結果 寄り切りで貴花田の勝ち
主審 -
副審 -

現在、右のようにInfobox boxing matchで代用しております。力士の記事にこれを貼り付ける是非は別として、ボクシング用のテンプレのため、相撲用語や概念と合わず問題があります。大相撲名勝負用のインフォボックス作成は可能でしょうか。--OclamD会話2018年8月25日 (土) 10:42 (UTC)

どういう記事にはりつけるつもりでしょうか。大鵬の記事に、柏戸との対戦のなかで注目すべきもの、玉の海との対戦で注目すべきものとか、やっていったら、ばかばかしいほどたくさんになりますし、それをつけることで、何か検索の助けになるのでしょうか。大相撲の世界では不要だと思います。 --ねこぱんだ会話2018年8月25日 (土) 13:05 (UTC)
おかしな運用が行われているのでおおむね差し戻しましたが(相撲以外でも「認定王座」とついたテンプレートを使用するなど不適切でしょう)、このような使用方法を想定したテンプレートの必要性には疑問があります。Wikipedia:井戸端#著名な格闘技の試合の単独立項の際の特筆性についてでも言いましたけど、提案者の方はこのような作業よりも当分はご自身の作成された記事内容の充実や方針およびガイドラインの熟読に努めていただけないでしょうか。--Aiwokusai会話2018年8月25日 (土) 13:13 (UTC)
  コメント 「自分にそういう作成スキルはないけど誰か自分の代わりに作って欲しい」というお話であれば『我々はそれほど暇人ではない』のでもう少し具体的に「用途」「必要性」「使用された場合の総使用数概算」など『自分の発言により他人を動かせるだけに足る説得材料を提案者たるご自身が必須条件として用意して然るべき』と感じます(Wikipedia:説明責任WP:DR#2)。現状は「ぼくがわたしが思うさいきょーのInfoboxだから(使いみちがあるかどうかすら全然わからないんだけども)誰か作ってよ!」の状態であり、賛意もなく代行作業しようとする方も現れませんでしょう。--Nami-ja [会話 履歴] 2018年8月26日 (日) 12:35 (UTC)
  追記 「解説文章は記述要約スキルが必要とされるので難しくてできないけど、Infoboxや一覧なら空欄を埋めるだけで簡単なのでそっち『だけ』をやりたい」という動機でしたらそのような編集内容は欲されていないので、まずおやりになるべきはご自身のみが必要としているInfoboxの新設ではなく解説文章を書く能力を培うことです。本末転倒にお気をつけ下さい。--Nami-ja [会話 履歴] 2018年8月27日 (月) 19:41 (UTC)
  •   コメント例えば、OclamDさんがSandboxで1ページ、簡単な記事を作ってみてはどうでしょうか。議論のたたき台になるものが出てくれば、取組個別の記事の芽も出てきます。--Susuka会話2018年8月26日 (日) 14:01 (UTC)
  •   コメント OclamDさんに関しましては、テンプレートの作成提案以前に、まずやるべきこと・・・「しっかりとした出典をつけた記事を作成する」という基礎を学ぶ方が先ではないでしょうか。--Ogiyoshisan会話2018年8月27日 (月) 10:33 (UTC)

場所別成績のテンプレート、あわせて1946年の「夏場所」

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最近、下のテンプレートに対して、1944年~1949年までの11月におこなわれた場所の成績を〈9月場所〉のところに移動する編集がおこなわれています。その人の言い分では、11月場所が九州で行われるようになったのは1957年だから、それ以前の11月や10月の場所を11月場所のところにおくのはおかしいという趣旨のようです。もちろん、そうした編集が可能なのは、1957年以降に土俵に上がった人で、それ以前の人はoldやold2を使えば、〈秋場所〉ですむので、問題は表面化しないのですが、さて、どうしたものだろうかとも考えてしまいます。注をいれて、11月に戻すというのが現実的とは思うのですが、ご意見いただけたらと思います。編集をした方(会話)さんには、本人の会話ページで問題提起したのですが、いまだにお返事もなく、編集もあまりされていません。

あわせて、1946年の「夏場所」についても、その方は〈中止〉という注記をつけまくっていらしゃるのですが、番付も発行されなかった場所を〈中止〉と書くのには抵抗があるのですが、これについても、ご意見をいただけたらと思います。1932年1月も、2011年3月も、番付なり順席なりは発表されているので、1946年とは条件が違うように思うのですが。 --ねこぱんだ会話) 2020年5月29日 (金) 14:27 (UTC) ちょっと追加--ねこぱんだ会話2020年5月29日 (金) 14:43 (UTC)



プライベートなことでバタバタして、返事ができなかったことをお詫び申し上げます。
私は某Webサイトの記述を参考に記述をしていますが、10月・11月に開催された場所は九州で開催されていません。昭和19~22年の秋場所は11月に東京。23・24年の秋場所は10月に大阪で開催されています。これは場所別成績のテンプレートに『十一月場所九州場所(福岡)』と明記されているから拙いと考えています。テンプレートの開催地を削除して開催した月通りに、私が移動した場所の成績を元の11月場所に戻せば表記の問題は解決するかもしれませんが、そうなると、10月に開催された昭和23・24年場所をどう扱うか。9月場所に含めるか、11月場所に含めるか、それとも新たに欄を設けるかという話になります。それで、私は参考にしていたサイトの表記では、これらの場所が「秋場所」と表記され、「九州場所」とは表記されていないことを根拠にテンプレートでは秋場所9月場所(東京)に含めることを選びました。


次に1946年の「夏場所」についてですが、番付発表がなかったことについては『中止と番付発表の有無は無関係』と考えています。私は高校野球(春の甲子園)の事例を基にこの考えに至っています。春の甲子園は新型コロナウイルスの感染拡大によって2020年に史上初めて中止になりましたが、2019年まで一度も中止されたことがありません。しかし、1942年から1946年までは戦争に影響によって中断しています。この前年の1941年は、春の甲子園は開催されていますが、夏の甲子園は地方大会の一部を実施したのちに全てが中止になっています。
ここから私は、「中止」の定義は『開催を決定したのちにそれを取りやめた』ものを指す、と、捉えています。従って、開催決定後、番付発表前に中止が決定すればそれは未開催ではなく中止に該当すると考えます。 また、報道各局は2020年5月場所中止の報道でも『中止は1946年夏場所・2011年春場所に続き3度目』と、46年夏場所が中止されたことを明確に報道していることも根拠の一つとして挙げます。 --XOP会話2020年5月30日 (土) 10:45 (UTC)

そちらのご意見はわかりましたが、11月におこなわれた場所の表記法について、今までの慣行をいきなり変えるのは勘弁していただきたいと思います。それぞれの年度にどこで本場所がおこなわれていたのかは編集にかかわってきた人は当然知っていて、それを承知の上で編集してきたのです。そこは考えてほしかったですね。気にされるのもわからなくはないですから、テンプレートの書き方をどうするのがよいか議論していきませんか。私個人としては、おこなわれた月を優先すべきだと思っています。1946年の夏場所に関しては、経緯をこちらも調べ直します。報道機関がそう報じたには事情があるのでしょうから。 --ねこぱんだ会話2020年6月1日 (月) 12:40 (UTC)

 提案として

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なかなかみなさんのコメントもいただけませんし、XOPさんも編集をされないまま時間が経過しておりますが、可読性の問題はあるでしょうが、テンプレートを時代によってかえるという形はいかがでしょう。いちばんシンプルになるのが、これかなと思います。ご意見いただけたらと思います。

若瀬川 泰二
春場所 夏場所 秋場所
1935年
(昭和10年)
(前相撲) (前相撲) x
1936年
(昭和11年)
(前相撲) 東序ノ口12枚目
4–2 
x
1937年
(昭和12年)
西序二段24枚目
4–2 
東三段目34枚目
1–6 
x
1938年
(昭和13年)
東序二段8枚目
5–2 
東三段目21枚目
5–2 
x
1939年
(昭和14年)
西幕下35枚目
6–1 
東幕下7枚目
4–4 
x
1940年
(昭和15年)
東幕下6枚目
優勝
8–0
西十両6枚目
4–11 
x
1941年
(昭和16年)
西十両13枚目
12–3 
東十両2枚目
9–6 
x
1942年
(昭和17年)
東前頭21枚目
8–7 
西前頭11枚目
6–9 
x
1943年
(昭和18年)
西前頭12枚目
8–7 
西前頭9枚目
8–7 
x
1944年
(昭和19年)
東前頭7枚目
8–7 
西前頭3枚目
1–9 
西前頭14枚目
9–1 
1945年
(昭和20年)
x 東前頭4枚目
4–3 
東前頭3枚目
5–5 
1946年
(昭和21年)
x 国技館修理
のため中止
東前頭3枚目
4–6–3[1] 
1947年
(昭和22年)
x 西前頭6枚目
3–7 
西前頭9枚目
6–5 
1948年
(昭和23年)
x 西前頭7枚目
6–5
西前頭4枚目
8–3 
1949年
(昭和24年)
東前頭筆頭
7–6 
東前頭筆頭
4–11 
西前頭5枚目
8–7
1950年
(昭和25年)
西前頭筆頭
7–8 
西前頭2枚目
8–7 
西小結
7–8 
1951年
(昭和26年)
西前頭筆頭
6–9
西前頭5枚目
3–12 
東前頭9枚目
9–6 
1952年
(昭和27年)
東前頭4枚目
5–10 
西前頭9枚目
8–7 
東前頭5枚目
6–9 
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1953年
(昭和28年)
東前頭7枚目
8–7 
東前頭5枚目
9–6 
東前頭2枚目
5–10 
x 西前頭4枚目
4–11 
x
1954年
(昭和29年)
西前頭8枚目
8–7 
東前頭6枚目
9–6
西前頭2枚目
3–9–3[2] 
x 西前頭8枚目
9–6 
x
1955年
(昭和30年)
東前頭6枚目
9–6
西前頭3枚目
4–11
東前頭7枚目
5–10 
x 西前頭11枚目
9–6 
x
1956年
(昭和31年)
西前頭5枚目
8–7 
西前頭筆頭
2–13
東前頭11枚目
5–10 
x 西前頭17枚目
9–6 
x
1957年
(昭和32年)
西前頭14枚目
10–5 
西前頭6枚目
6–9 
西前頭9枚目
7–8 
x 西前頭10枚目
12–3
西前頭筆頭
4–11 
1958年
(昭和33年)
西前頭6枚目
9–6 
西前頭3枚目
3–12 
西前頭10枚目
7–8 
西前頭11枚目
8–7 
東前頭10枚目
9–6 
東前頭6枚目
9–6
1959年
(昭和34年)
東前頭3枚目
引退
0–2–13[3]
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

1953年からは現在と場所の通称と開催地が基本的に同じなので、間に空白が入るのが難点といえば言えますが、これならとりあえずの矛盾は回避できるかとも考えますが、いかがでしょうか。 --ねこぱんだ会話2020年6月10日 (水) 03:09 (UTC)



事情でネットに接続することが難しく、週に1度できるかどうかという状況なので返信などが速やかにできない確率が高いことをまずご了承いただきたい。
提案されているテンプレートを分ける案ですが、1953年(昭和28年)以降についてはこれでいいと思います。開催された月と開催地が一致しているからこれで差し障りはないでしょう。2020年の7月場所については東京で開催されたとしても<REF></REF>を使って東京で開催された旨注釈をつければ済みます。 ただ、開催地として両国国技館などへのリンクは外すべきと考えます。開催した会場は変遷があるから一か所だけにリンクを張るのは適切ではないと考えます。開催地の変遷については「本場所」のページに書けばいいと考えます。
それ以前の1935年から52年のテンプレートについては、例えば秋場所なら”秋場所<REF>1948年、49年は10月開催</REF>“などのように正確な開催時期や場所 を示す注釈をつければよいと考えます。各力士の頁で力士Aの頁では19○○年秋場所と書かれている事例がある一方で力士Bの頁では同じ場所のことを19○○年11月場所とする表記も少なくないため、それらを修正するより確実だからです。  ざっと見て考え付くのはこんなところです。 --XOP会話2020年6月12日 (金) 13:49 (UTC)

脚注

  1. ^ 左背部打撲により10日目から途中休場
  2. ^ 右肩関節脱臼・右肘関節及び右手首関節負傷により6日目から途中休場、10日目から再出場
  3. ^ 右足首関節捻挫により2日目から途中休場
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