1944年の相撲
できごと
編集- 11月、新大関・佐賀ノ花が誕生。
本場所
編集誕生
編集- 2月5日 - 玉の海正洋(第51代横綱、所属:二所ノ関部屋→片男波部屋、+ 1971年【昭和46年】)[2]
- 3月13日 - 楠ノ海正治(最高位:十両16枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 4月23日 - 株本義久(最高位:十両9枚目、所属:朝日山部屋)
- 5月5日 - 時葉山敏夫(最高位:前頭2枚目、所属:時津風部屋、+ 1995年【平成7年】)[3]
- 5月22日 - 北の花勝利(最高位:前頭6枚目、所属:出羽海部屋)[4]
- 6月16日 - 高見山大五郎(最高位:関脇、所属:高砂部屋)[4]
- 7月20日 - 長谷川勝敏(最高位:関脇、所属:佐渡ヶ嶽部屋)[5]
- 9月3日 - 栃東知頼(最高位:関脇、所属:春日野部屋)[3]
- 10月15日 - 大龍隆寛(最高位:十両6枚目、所属:友綱部屋、+ 1999年【平成11年】)
- 10月20日 - 大寛宗之(最高位:十両4枚目、所属:井筒部屋→陸奥部屋)
- 11月30日 - 大雪嶺登(最高位:前頭3枚目、所属:宮城野部屋、+ 1980年【昭和55年】)[6]
死去
編集- 3月7日 - 真砂石三郎(最高位:前頭5枚目、所属:尾車部屋→峰崎部屋→片男波部屋→伊勢ノ海部屋、* 1897年【明治30年】)[7]
- 5月16日 - 呉錦三郎(最高位:十両6枚目、所属:出羽海部屋、* 1906年【明治39年】)
- 6月27日 - 唐辛多喜弥(最高位:前頭11枚目、所属:雷部屋、* 1864年【元治元年】)
- 9月23日 - 星甲實義(最高位:前頭2枚目、所属:井筒部屋、年寄:井筒、* 1902年【明治35年】)[8]
- 9月26日 - 磐石熊太郎(最高位:関脇、所属:朝日山部屋、年寄:北陣、* 1908年【明治41年】)[9]
- 10月19日 - 若左倉与吉(最高位:前頭2枚目、所属:八角部屋、* 1879年【明治12年】)
- 11月11日 - 愛ノ花初義(最高位:十両2枚目、所属:押尾川部屋、* 1904年【明治37年】)
- 12月11日 - 伊達ノ花静(最高位:前頭15枚目、所属:出羽海部屋、* 1907年【明治40年】)[10]
作品
編集- 映画『土俵祭』(3月30日公開)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 314頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 165頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 172頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 173頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 167頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 178頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 51頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 64頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 83頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 86頁