呉錦 三郎(くれにしき さぶろう、1906年4月6日[1] - 1944年5月16日[2][注 1])は、広島県呉市出身[1]出羽海部屋に所属した[1]昭和時代の元大相撲力士。本名は金谷 三郎[1]。最高位は十両6枚目[1]

経歴

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出羽ノ海部屋に入門し、1922年1月で初土俵を踏む[3]1931年1月十両に昇進したが、2勝9敗と負け越し、同地位にあった翌3月も2敗9休と連続で負け越して幕下に落ちた。1933年5月十両に復帰し6勝5敗と勝ち越し、翌1934年1月は全休で再び幕下に落ちてからは十両に復帰できなかった。1940年1月に廃業[3]。1944年死去。

1933年に沖ツ海福雄がフグ中毒で急死したとき同席していたが、彼は一命をとりとめた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、166頁では「昭和17年(没)」と記載。

出典

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  1. ^ a b c d e 『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、166頁。
  2. ^ 相撲人名鑑(呉錦三郎)(アーカイブ)
  3. ^ a b 『昭和の大相撲 資料編』 309頁。

参考文献

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  • 小池謙二『大相撲星取大鑑』昭和編第1巻、医聖社、1986年
  • 昭和の大相撲刊行委員会/編『昭和の大相撲 資料編』TBSブリタニカ、1989年

関連項目

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