スラッシュメタル

音楽のジャンル

スラッシュメタル (Thrash Metal) は、音楽ジャンルの一つ。従来のヘヴィメタルハードコアの過激さを加えた音楽形態を指す。Thrash とは「鞭打つ」という意味である。スピードメタルとの定義の境界線は曖昧である。

スラッシュメタル
Thrash Metal
様式的起源 NWOBHM
スピードメタル
ハードコア・パンク
文化的起源 1980年代初期アメリカ
使用楽器 ボーカル
ギター
ベース
ドラム
派生ジャンル メタルコア
グルーヴ・メタル
デスメタル
ブラックメタル
融合ジャンル
クロスオーバー・スラッシュ
地域的なスタイル
ベイエリア・スラッシュメタル
ドイツの旗ブラジルの旗イギリスの旗カナダの旗日本の旗ポーランドの旗オーストラリアの旗アメリカ合衆国の旗
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概要

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このジャンルは、NWOBHMのダブルベース・ドラミング・複雑なギターワークと、ハードコア・パンクの攻撃性の融合により1980年代初頭に登場した。[1][2][3]凶暴で粗野な印象が強調され、スピード感を重視した楽曲が多い。特に1980年代初頭には、メタリカの「Fight Fire With Fire」(『Ride the Lightning』収録曲)や、スレイヤーの「Chemical Warfare」(EP「Haunting the Chapel」収録曲)が、メタルでは最速の楽曲として話題に上ることもあった。[4]

スラッシュメタルは速弾きこそあれど、楽曲の中心はリフであり、高速なもの、複雑なもの等、様々なギターリフを創造した。速さのみを追求していたわけではなく、スピード感を際立たせるため、1曲の中、あるいはアルバムを通して緩急をつけるなどの工夫もされていた。ヴォーカルは、音程をあまり重視しない、叫び声やハードコア風のがなり声のようなスタイルが多い。 ドラムも、いわゆる「スラッシュビート」(BPM200以上でバスドラム16分で打ったり、バスドラムとスネアを高速の8分で交互に叩いたり等)が特徴。スレイヤーデイブ・ロンバードアンスラックスダーク・エンジェルテスタメントデスのジーン・ホグラン等がいる。

歴史

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スラッシュメタルは、NWOBHMをより攻撃的に発展させたものだといわれている。また、ヘヴィメタルに止まらず、ディスチャージなどのハードコア・パンク・バンド、キリング・ジョークなどのポスト・パンク・バンドの影響も大きかったといわれている。スラッシュメタルの誕生に関しては諸説あるが、メタリカが「Hit The Lights」をコンピレーションアルバム『Metal Massacre』(1981年)に提供したのを始まりとする意見が多い。しかし、この頃のメタリカは過激なNWOBHMの域を出ておらず、ヴォーカルスタイルもダイアモンド・ヘッドのシンガー、シーン・ハリスを多分に意識した歌唱法であった。

メタリカの誕生とほぼ同時期に、ニューヨークではアンスラックスロサンゼルスではスレイヤーが活動開始し、アンダーグラウンドシーンでメタル・ファンの人気を獲得していった。メタリカを解雇されたギタリストのデイヴ・ムステインは、ロサンゼルスでメガデスを結成した。

また、1980年代初頭のサンフランシスコ・ベイエリアには、メタリカのギタリストのカーク・ハメットがメタリカ加入前に結成したエクソダスや、レガシー(後のテスタメント)といった、スラッシュメタル黎明期を支えたバンドが多くいた。これらのバンドは「ベイエリア・クランチ」といわれる、ギターサウンドを特徴としていた。LAメタルが興隆を誇っていたロサンゼルスでは、ショーアップされたヘヴィ・メタルが盛んであったが、サンフランシスコ・ベイエリアでは、より無駄な装飾を廃した過激な音楽の人気が出始めていた。後にメタリカも拠点をサンフランシスコに移し、人気を確立していった。

アメリカに先んじてメタリカの人気に火がついたドイツでは、よりヴェノムの影響を色濃く感じさせるソドム (Sodom)、クリーター(Kreator)、デストラクション (Destruction) らのスラッシュメタルが登場した。1985年に、アンスラックス等のメンバーらによって結成された、サイドプロジェクトS.O.D.によって、「スラッシュメタルとハードコア・パンクの融合」が起こった。その結果、それまで互いに相容れなかった、メタルとハードコア、及び両ジャンルのファンの交流が盛んになる。

1980年代半ばになると、その過激な歌詞や、攻撃的な音楽性からスラッシュメタルを避けてきたメジャーレーベルもメタリカをはじめ、アンスラックス、スレイヤー、メガデスといったバンドと契約した。これらのバンドのアルバムは、アンダーグラウンドに留まらず、ビルボード誌のアルバム・チャートにランク・インするようになった。

その後、複数のバンドがメジャーレーベルと契約するようになり、L.A.メタルと入れ替わるようにスラッシュメタルムーブメントが興った。しかし、ムーブメントの副産物として似たようなバンドが数多く出現し、スラッシュメタルの粗製濫造ともいえる状態に陥った。また、メジャーレーベルと契約したスラッシュメタルバンドの多くは、聴く人を選ぶ、過激であったはずの音楽性を、より多くの人にアピールする方向に変化させていった。1980年末から1990年初頭頃、攻撃性を信条としてきたスラッシュメタルは、が音楽的には行き詰まり始め、前述のハードコア・パンク以外にも様々な音楽との融合を試みるバンドが現れ始める。その代表には、ヒップホップ・グループのパブリック・エナミーとコラボレーションしたアンスラックスが挙げられる。こうした試みは後に興るニューメタル・ムーブメントに影響を及ぼした。

1990年代に入った頃にはニルヴァーナ、サウンド・ガーデン、ダイナソーJrなどのグランジムーブメントが興り、またパンテラヘルメットのようなスラッシュメタル等から発展したポスト・スラッシュなども登場したことで、スラッシュメタルの人気は徐々に下降していった。

常にスラッシュメタルシーンを牽引してきたメタリカが1991年に発表した『Metallica』(通称ブラック・アルバム)が大ヒットした。これを受け、多くのスラッシュメタルバンドがスピードや攻撃性よりも、重さやグルーブ感を重視するようになり、従来のファンを失うことになった。ただし、ムーブメントが衰退した後も人気を維持したスレイヤーや、音楽性がスラッシュメタルから大きく離れた後も人気を保ち続けた、メタリカやメガデスのような例もある。

その後、スラッシュメタルの攻撃的な側面は、より過激なデスメタルや、グラインドコアといった音楽に引き継がれていった。また、フォビドゥンヴァイオレンスのギタリストだったロブ・フリンはマシーン・ヘッドを結成し、ポスト・スラッシュ・バンドとして人気を獲得した。2000年代に入ってからは、スレイヤー、ソドム (Sodom)、デストラクション (Destruction)、エクソダス、テスタメント (Testament)、デス・エンジェル (Death Angel)、オーヴァーキル(Overkill) などのバンドが活動を続け、アルバムのリリースを続けている。また、ForbiddenやToxikなどのように解散した往年のスラッシュメタルバンドが再結成を発表したり、Municipal WasteやGama Bomb、Violatorなど新たに現れた若手のスラッシュメタルバンドが、80年代スラッシュメタルのサウンドを再現してリバイバル・スラッシュと呼ばれるなどの現象も見られた。

主なバンドの一覧

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メタリカ
 
アンスラックス
 
メガデス
 
スレイヤー
 
テスタメント
 
セパルトゥラ
 
クリーター
 
デストラクション
 
ソドム
 
オーヴァーキル

ビッグ・4

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ベイエリア・スラッシュメタル

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ジャーマンスラッシュ

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クロスオーバー・スラッシュ

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その他のバンド

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脚注

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  1. ^ |title=Steve Hackett Recalls His Reaction to Thrash and Death Metal of the '80s  Ultimate Guitar 1 February 2025
  2. ^ Technical Thrash Metal: Historia, Bandas, álbumes y más” (スペイン語). metallerium.com. 1 February 2025閲覧。
  3. ^ Thrash Metal| archive-date=1 February 2025 |archive-Thrash Metal
  4. ^ An Interview with Gene Hoglan Down Under 23 January 2025

関連項目

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