ケイン号の叛乱

アメリカの映画作品
ケイン号の反乱から転送)

ケイン号の叛乱』(ケインごうのはんらん、原題:The Caine Mutiny(英語))は、1954年制作のアメリカの軍事裁判映画。第二次世界大戦の太平洋戦域を舞台に、アメリカ海軍の駆逐艦掃海艇内での出来事とその後の軍法会議を描いている。

ケイン号の叛乱
The Caine Mutiny
ハンフリー・ボガート
監督 エドワード・ドミトリク
脚本 スタンリー・ロバーツ
原作 ハーマン・ウォーク
製作 スタンリー・クレイマー
出演者 ハンフリー・ボガート
ホセ・フェラー
ヴァン・ジョンソン
フレッド・マクマレイ
ロバート・フランシス
音楽 マックス・スタイナー
撮影 フランツ・プラナー
編集 ヘンリー・バティスタ
ウィリアム・A・ライアン
配給 コロムビア映画
公開 アメリカ合衆国の旗 1954年6月24日
日本の旗 1954年8月16日
上映時間 124分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $200万[1]
興行収入 アメリカ合衆国の旗カナダの旗 $21,750,000[2]
配給収入 日本の旗 1億4014万円[3]
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ピューリッツァー賞を受賞したハーマン・ウォークの同名の世界的ベストセラー小説(1951年発表[4][8])を「ハリウッド・テン」の一人だった監督エドワード・ドミトリク、製作スタンリー・クレイマー、出演ハンフリー・ボガートホセ・フェラーなど当時のハリウッドの超一流スタッフ・キャストが総結集、映画史上に残る名作ドラマに作り上げた。

主演のロバート・フランシスはその後を嘱望されるも公開翌年に自ら操縦する飛行機の墜落事故にて25歳の若さで亡くなった。

あらすじ

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第二次世界大戦中の1943年プリンストン大学を卒業したウィリー・キース(ロバート・フランシス)はナイトクラブ歌手で恋人のメイ・ウィン(メイ・ウィン)に別れを告げ海軍に入隊。少尉としてアメリカ海軍の老朽掃海駆逐艦ケイン号に配属される。戦闘任務を希望していたウィリーには掃海任務は不本意であり、口が悪く人を食ったような態度のデヴリース艦長(トム・テューリー)にも、がさつで下品な乗組員たちにも馴染めなかった。やがてデヴリースは新任務を得てケイン号を去ることとなり、新任艦長として着任したクイーグ(ハンフリー・ボガード)と交替して艦を降りる。その離艦の際、乗組員たちのデヴリースに対する畏敬の念に触れたウィリーは不思議がるが、副長のマリク大尉(ヴァン・ジョンソン)は「それが解れば君も一人前だ」と彼に告げる。

クイーグはケイン号の風紀の乱れを直して規律あるものにすると宣言。ウィリーはそんな彼に傾倒する。しかし、徐々に艦内では新艦長に対する乗組員たちの不満が募っていった。クイーグは部下に対して非常に厳格な姿勢で臨む一方で、自らのミスにより起きたトラブルの責任を部下になすり付けるように受け取れる態度を取っていたからだ。部下たちはクイーグを軽蔑し、密かに彼を揶揄する戯れ歌「黄色い染料」まで作って嘲笑する始末であった。マリクはそんな艦内の雰囲気を厳しく戒めつつも内心ではクイーグに対する不信感を募らせていた。配給されたイチゴがなくなった程度のことでクイーグは乗組員全員の所持品検査を命じる。小説家志望で皮肉屋のキーファー大尉(フレッド・マクマレイ)は親友でもあるマリクに対し、艦長には明らかに偏執症(パラノイア)の徴候があり、非常時に下級士官が指揮官を解任できるとする海軍既定第184条に則って副官は指揮を代行すべきだと忠告する。マリクは取合おうとはしなかったが、万が一に備えて艦長の異常行動を記す日誌を密かに付け始める。

そんな矢先、艦は猛烈な台風に遭遇、あわや転覆の危機に陥る。クイーグが取り乱して一時心神喪失状態となり、操艦もおぼつかなくなったとマリクが判断して、クイーグを解任、自ら指揮を執って嵐を乗り切った。彼は帰還後、軍法会議にかけられることとなる。反乱行為で絞首刑の可能性の高い裁判を8人の弁護士が断った。打診を受けた法務将校のグリーンウォルド大尉(ホセ・フェラー)がマリクと共同被告のウィリーに会いに来る。クイーグの非を訴えるウィリーやマリクに対しグリーンウォルドは、たしかに台風で3隻沈んだが、194隻は指揮の交替なしに乗り切ったし、3人の精神科医がクイーグを正常と判定したという。ほぼ勝ち目は無いが、グリーンウォルドは「無実だから」と弁護人を引き受ける。

法廷では士官・乗組員などが証言台に立つが悉く検察官チャーリー少佐(E・G・マーシャル)によって論破され、日誌も医学的根拠がないと一蹴されてしまう。頼りにしていたキーファーも態度を一変させてマリクに不利な証言をする。更には精神鑑定を担当したディクソン軍医(ウィット・ヴィセル)が艦長には何ら精神疾患の兆候も見られないと証言、マリクは窮地に立たされる。そんな状況に至っても、グリーンウォルドは効果的な反対尋問をせず静観する。 やがてクイーグ艦長本人が法廷に登場。ついにグリーンウォルドの起死回生の反撃が始まる…。

そして時は流れ、ウィリーはメイと結婚、新しい艦艇に副長として乗りこんだ。艦長はケイン号の前艦長デヴリースだった[9]

スタッフ

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キャスト

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ケイン号乗組員
海軍軍法会議関係者
その他

日本語吹替

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役名 俳優 日本語吹替
TBS フジテレビ
クイーグ ハンフリー・ボガート 大木民夫 久米明
マリク ヴァン・ジョンソン 田中信夫 井上孝雄
キーファー フレッド・マクマレイ 宮川洋一 大平透
グリーンウォルド ホセ・フェラー 家弓家正 瑳川哲朗
ミートボール リー・マーヴィン 細井重之 小林清志
キース ロバート・フランシス 高山栄
ハーディン ジェリー・パリス 西村知道
ブレイクリー ワーナー・アンダーソン 阪脩
チャーリー E・G・マーシャル 久松保夫
メイ・ウィン メイ・ウィン 小谷野美智子
キース夫人 キャサリン・ウォーレン 市川千恵子
デヴリース トム・タリー 内田稔
ペインター アーサー・フランツ 野島昭生
スチルウェル トッド・カーンズ 徳丸完
ホリブル クロード・エイキンズ 宮村義人
エングストランド デヴィッド・アルパート 金尾哲夫
ラビット ハーバート・アンダーソン 石井敏郎
ウィテカー ジェームズ・エドワーズ 山本敏幸
ウィンストン エドワード・ラグナ 龍田直樹
不明
その他
須永宏
演出 小林守夫
翻訳 飯嶋永昭
効果 遠藤堯雄
調整 伊東忠美
制作 東北新社
解説 高島忠夫
初回放送 1969年11月10日
月曜ロードショー
1979年9月28日
ゴールデン洋画劇場

ノミネート

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脚注

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  1. ^ The Caine Mutiny (1954) - Box Office/business imdb.com
  2. ^ The Caine Mutiny - Box Office Mojo
  3. ^ 「キネマ旬報ベスト・テン85回全史 : 1924→2011」、キネマ旬報社、2012年、国立国会図書館書誌ID:023621096 全国書誌番号:22150334ISBN 978-4-87376-755-0
  4. ^ 「一九五二年度 ピュウリッツア賞 ケイン号の叛乱 150枚ハーマン・ウーク」『新潮』第49巻第8号(八月特大号)、新潮社、1952年8月、94-130頁。doi:10.11501/10231648国立国会図書館書誌ID:000000012242、国立国会図書館内限定公開。
  5. ^ ハーマン・ウオーク『ケイン号の叛乱・上 (愛人メイ・ワイン)』新庄哲夫(訳)、光文社、1953年。doi:10.11501/1694542国立国会図書館書誌ID:000000955664、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
  6. ^ ハーマン・ウオーク『ケイン号の叛乱・下 (軍法会議)』新庄哲夫(訳)、光文社、1953年。国立国会図書館書誌ID:000000955665doi:10.11501/1694543、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
  7. ^ 青山光二「「ケイン号の叛乱」その他」『近代文学』第8巻第11号(通号77・12月号)、近代文学社、1953年12月、79-80頁。国立国会図書館書誌ID:000000005847doi:10.11501/10985392、国立国会図書館内公開。
  8. ^ 新庄哲夫(訳)『ケイン号の叛乱』上下巻、光文社、1953年[5][6][7]
  9. ^ 原作(The Caine Mutiny 新庄哲夫訳『ケイン号の叛乱』ハヤカワ文庫 1975年)は大きく異なる:キーファーがケイン号の艦長になり、ウィリーが副長になって実際を仕切る。沖縄方面に出動して神風特攻隊の攻撃を受け、キーファーがおびえ、ウィリーが全艦の指揮を執る。死と直面して初めてメイと結婚していなかったことを悔み、初めて勇気と愛の本質が分かってくる。
  10. ^ この作品で一躍注目を集めたが、翌1955年、飛行機事故で25歳の若さで急死した。Robert Francis - IMDb(英語)
  11. ^ 彼女は当初本名のDonna Lee Hickeyで活動していたが、本作での役名をそのまま拝借し、以後この芸名で活動している。The Caine Mutiny (1954) - Trivia

関連項目

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外部リンク

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