ウィリアム・フリードキン

アメリカの映画監督 (1935-2023)

ウィリアム・フリードキンWilliam Friedkin1935年8月29日[1][2] - 2023年8月7日[3]) は、アメリカ合衆国映画監督

ウィリアム・フリードキン
William Friedkin
William Friedkin
2012年
本名 William David Friedkin
生年月日 (1935-08-29) 1935年8月29日
没年月日 (2023-08-07) 2023年8月7日(87歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
身長 183cm
活動期間 1962年 - 2023年
配偶者 ジャンヌ・モロー (1977–1979)
レスリー=アン・ダウン(1982–1985)
Kelly Lange(1987–1990)
Sherry Lansing(1991–)
主な作品
フレンチ・コネクション
エクソシスト
恐怖の報酬
L.A.大捜査線/狼たちの街
BUG/バグ
受賞
アカデミー賞
監督賞
1971年フレンチ・コネクション
カンヌ国際映画祭
国際映画批評家連盟賞
2006年BUG/バグ
ヴェネツィア国際映画祭
栄誉金獅子賞
2013年
ゴールデングローブ賞
監督賞
1971年フレンチ・コネクション
1973年エクソシスト
その他の賞
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来歴

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イリノイ州シカゴ出身。両親はウクライナからのユダヤ人移民。フリードキンの祖父や祖母、両親、親類はみな帝政ロシア下で起こった1903年のポグロムから逃れてきた人たちであった[4]

地元のセン高校に入学。高校時代は花形バスケット選手だったが、父親の死で大学進学をあきらめ、1955年、地元のテレビ局にメッセンジャーボーイとして入り、その後は数々の番組でアシスタントディレクターを務める[5]

1960年代に入りドキュメンタリーの監督などをして注目される。1962年のドキュメンタリー映画『人民対ポール・クランプ』は、無実の罪で死刑宣告をされていた黒人青年を描き、映画の影響で、彼が釈放されることになった。

1965年にハリウッドに移る。1967年、『ソニーとシェールのグッド・タイムス』(日本ではビデオのみ公開)で劇場映画の監督としてデビュー。

1970年、オフ・ブロードウェイのヒット舞台劇を映画化した『真夜中のパーティー』を監督。

1971年の『フレンチ・コネクション』は興行的、批評的に成功を収め、その年のアカデミー賞では作品賞を含む5部門に輝き、自身も監督賞を受賞。今日ではアメリカン・ニューシネマの傑作とされている。1973年の『エクソシスト』でも興行的成功と高い評価を獲得し、再びアカデミー賞にもノミネートされる。

しかし、多額の制作費をかけた1977年の次作『恐怖の報酬』(1953年の同名フランス映画リメイク版)は興行・批評とも失敗に終った(しかし、現在では再評価されている)。その後も『クルージング』や『L.A.大捜査線/狼たちの街』『英雄の条件』『キラー・スナイパー』など物議を醸す作品を発表している。

2000年代からは、オペラの演出も手掛けていた。

2018年製作のフランチェスコ・ツィッペル監督のイタリア映画『フリードキン・アンカット』(原題:Friedkin Uncut)は、フリードキンの映画人生をインタビューで聞く、ドキュメンタリー映画であった。

2023年8月7日アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスの自邸に於いて、肺炎心不全の併発症により死去[3]。87歳没。

人物

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クルージング』を日本で配給した東映洋画の招きで1980年11月に来日[6]。根っこからの日本と日本映画びいきで[6]、日本映画では深作欣二監督の『仁義なき戦い』や今村昌平監督の『復讐するは我にあり』をお気に入りとしており[6]、来日した際に深作欣二監督と対談している。また、『仁義なき戦い』の海外版DVDがリリースされた際に特典映像にてコメントを残している。東映ヤクザ映画を得意とする会社ということもよく知っており[6]、東映洋画の宣伝マンを「ヤクザ、ヤクザ」と呼び、周囲を困惑させた[6]

主な作品

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長編劇映画

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テレビなど

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  • Walk Through The Valley(1960年) - 教会PR映画
  • The People vs. Paul Crump(1962年) - テレビドキュメンタリー
  • The Bold Men(1965年) - テレビドキュメンタリー
  • The Alfred Hitchcock Hour[8] シーズン3 第29話 "Off Season"(1965年) - テレビドラマ
  • Pro Football: Mayhem on a Sunday Afternoon(1965年) - テレビドキュメンタリー
  • The Thin Blue Line(1966年) - テレビドキュメンタリー
  • Pickle Brothers(1967年) - テレビ映画
  • Fritz Lang Interviewed by William Friedkin(1975年) - 長編ドキュメンタリー
  • Self Control(1984年) - ローラ・ブラニガンミュージックビデオ
  • 新トワイライト・ゾーン シーズン1 第4話「帰還兵」"Nightcrawlers"(1985年) - テレビドラマ
  • To Live and Die in LA(1985年) - ワン・チャンのミュージックビデオ
  • Somewhere(1985年) - バーブラ・ストライサンドのミュージックビデオ
  • C.A.T.スクワッド/対ゲリラ特別襲撃班 C.A.T. Squad(1986年) - テレビ映画
  • C.A.T.スクワッド2/国際テロパイソン・ウルフの挑戦状 C.A.T. Squad: Python Wolf(1988年) - テレビ映画
  • 新ハリウッド・ナイトメア シーズン4 第3話「マジック・タトゥー」"On a Deadman's Chest"(1992年) - テレビドラマ
  • ゲッタウェイ!エンジェル Rebel Highway Jailbreakers(1994年) - テレビ映画
  • 12人の怒れる男 評決の行方 12 Angry Men(1997年) - テレビ映画
  • The Painter's Voice(2007年) - 短編ドキュメンタリー
  • CSI:科学捜査班 シーズン8 第9話「アルカポネの椅子」"Cockroaches"(2007年) - テレビドラマ
  • CSI:科学捜査班 シーズン9 第18話「オグンのいけにえ」"Mascara"(2009年) - テレビドラマ、通算200話記念作品
  • 悪魔とアモルト神父 現代のエクソシストThe Devil and Father Amorth(2017年) - 中編ドキュメンタリー

脚注

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  1. ^ William Friedkin, Oscar-winning director of 'The Exorcist' and 'The French Connection,' dead at 87” (英語). AP News (2023年8月7日). 2023年8月12日閲覧。
  2. ^ Biskind, Peter. Easy Riders, Raging Bulls: How the Sex-Drugs-And Rock 'N Roll Generation Saved Hollywood. New York: Simon and Schuster, 1998. ISBN 0-684-80996-6, p. 200.
  3. ^ a b “W・フリードキン氏死去 「エクソシスト」監督”. 産経ニュース. 産経デジタル. (2023年8月8日). https://www.sankei.com/article/20230808-W472PQ6BRRLMTE45V5TLMY2CBA/ 2023年8月8日閲覧。 
  4. ^ Friedkin, William. The Friedkin Connection: A Memoir. New York: HarperCollins, 2013.
  5. ^ 「エクソシスト」W・フリードキン監督死去、87歳 フレンチ・コネクションでアカデミー監督賞”. 日刊スポーツ (2023年8月8日). 2023年11月2日閲覧。
  6. ^ a b c d e 金坂健二「追っかけインタビュー ウィリアム・フリードキン」『シティロード』1981年2月号、エコー企画、8–9頁。  ※インタビューは1980年11月8日、帝国ホテル
  7. ^ 『L.A.大捜査線/狼たちの街』は、『マイアミ・バイス』の「コンセプトの盗用」であるとしてマイケル・マンに訴訟を起こされたが、マンが敗訴した。
  8. ^ ヒッチコック劇場』 (Alfred Hitchcock Presents ) の後継番組。日本ではシーズン1が『ヒッチコック・サスペンス』、シーズン2が『新・ヒッチコックシリーズ』のタイトルで放送されたがシーズン3は未放映。

外部リンク

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