抑え投手(おさえとうしゅ、: closer)は、野球においてチームがリードしている状況で最後のアウトをとるために起用される救援投手である。抑え(おさえ)、守護神(しゅごしん)、クローザーストッパーとも呼ばれる[1]。英語ではかつてファイヤーマンショート・リリーバーとも呼ばれていた。

MLB最多の652セーブを記録したマリアノ・リベラ

抑え投手の成績はセーブという記録で評価される。サイ・ヤング賞に選出された抑え投手や、アメリカ野球殿堂入りを果たした抑え投手も存在する。

起用法

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抑え投手は一般的にチームで最も良い救援投手が担当することが多く、チームが3点差以内でリードしている状況で最後のアウトを数個とるために起用される。相手チームにリードされている状況で起用されることはほとんどない[2]。抑え投手の成績はセーブという記録で評価され、メジャーリーグベースボール(MLB)では1969年から公式記録となっている[3][4]。抑え投手は次第にセーブ機会で9回の開始時に登板するスペシャリストとして認識されるようになった。試合の最後のアウトをとる際にはプレッシャーがさらに大きくなるため、9回は重要なイニングであるとされる[3][5]

抑え投手はチームの救援投手の中で最も高い年俸であり、先発投手と同等の年俸であることが多い[3][6]。抑え投手の怪我や、抑え投手にふさわしい成績の救援投手の不在により、抑え投手を担当する投手がチームに存在しない場合、そのチームは「closer by committee」をもつと言われる[7]

歴史

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ブルース・スーターは、現役時代の登板のうち20%で9回に登板した最初の選手である。

ニューヨーク・ジャイアンツ監督のジョン・マグローは最初期に抑え投手を起用した監督の1人である。マグローは1905年にクロード・エリオット英語版を10回の登板のうち8回で救援投手として起用した。セーブは1969年まで公式記録ではなかったが、基準が遡及して適用され、エリオットの1905年の記録は6セーブとなった[8][9]

セーブ機会のために投手を1人確保するという慣習は1970年代後半に始まった[8]。1977年、シカゴ・カブス監督のハーマン・フランクス英語版は、セーブ機会の8回または9回にほぼ必ずブルース・スーターを起用した[7][10]。それまでも他のチームにおいてローリー・フィンガーズリッチ・ゴセージなど、セーブ機会を中心に起用される投手はいたが、フランクスはセーブ機会でほぼスーターのみを起用するようになった[10]。スーターは現役時代の登板のうち20%で9回に登板した最初の投手である。1987年、ジョン・フランコは出場試合の半分以上で9回に登板した最初の投手となり[11]、1イニングでの登板で記録されるセーブとしては当時の新記録となる24セーブを記録した[12]。1994年、リー・スミスは出場試合の75%以上で9回に登板した最初の投手となった[11]。各チームの抑え投手が9回開始時に登板する割合の平均は、1970年代には10%であったのに対し、2004年にはほぼ3分の2まで上昇した[13]

 
1994年、リー・スミスは出場試合の75%以上で9回開始時に登板した最初の投手となった。

オークランド・アスレチックス監督のトニー・ラルーサデニス・エカーズリーをほぼ9回の場面でのみ起用したことから、抑え投手の先駆者と考えられることがある[2][14][15]。ラルーサは「(アスレチックスが)毎週多くの試合でリードしていたら…1イニング以上投げる者にとっては大きな仕事だ…また、(エカーズリーの)露出が多くなりすぎないというさらなる利点もあった。我々は(エカーズリーが)1回の登板につき3人または4人の打者と対戦するようにした」と説明した[3]。この戦術が成功したことで、様々なチームが同様に抑え投手を起用するようになっていった[6]。1990年、ボビー・シグペンは1イニングの登板で41セーブ、全体では57セーブを記録し、それまでの記録を大幅に更新した。フランシスコ・ロドリゲスは2008年に1イニングでの登板で54セーブを記録した[12]

1980年代まではチームの主力救援投手は「ファイヤーマン」と呼ばれており[16]、これは走者が塁にいる際に登板することを、火を消して救助することに例えたことに由来する[3][17]。その他にはショート・リリーバー、ストッパーなどと呼ばれることもあったが、1990年代初頭までにはクローザーと呼ばれることが一般的になった[16]。ファイヤーマンは僅差でリードしている場面で、通常は走者が塁上にいる際に、試合の最後の2イニングまたは3イニングを投げることが多かった[3][18]。例えば、リッチ・ゴセージは抑え投手としての最初のシーズンにおいて、10アウト以上を記録した試合が17試合あり、そのうち7イニング以上を投げた試合は3試合あった。ゴセージは3度のシーズンで130イニング以上を投げた[18]。スーターとゴセージは、キャリアを通して1イニング以下を投げてセーブを記録した試合よりも2イニング以上を投げてセーブを記録した試合の方が多かった。フィンガーズは、記録したセーブのうち10%以上で3イニング以上を投げた唯一の投手である[19]。次第に抑え投手はチームが3点以内でリードしている試合の9回にのみ起用されるようになった[13]。アウトを7個以上とってセーブを記録した試合は、マリアノ・リベラは通算1試合しかないのに対して、ゴセージは53試合ある[20]。ゴセージは「私と同じ仕事ができるまでは、(リベラを)史上最高の救援投手と言わないでほしい。私がやったことをやらせてほしい。彼は現代で最高の抑え投手かもしれないが、同じ条件で比較しなければならない」と述べた[21]

戦術

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トニー・ラルーサ監督は、デニス・エカーズリーを主にセーブ機会に1イニング限定で起用することで、現代の抑え投手の発展に貢献した。

ESPN.comのライターであるジム・ケイプル英語版は、9回に抑え投手がセーブを記録することは「大抵の場合、当然の結果にすぎない」と記した[18]レトロシート英語版デイヴィッド・スミス英語版は1930年から2003年までのシーズンを調査し、リードした状態で9回に入ったチームの勝率は数十年にわたって事実上変わっていないことを発見した。8回以降に1点リードしていると勝率は約85%、2点リードの場合は約94%、3点リードの場合は約96%であった[18]ベースボール・プロスペクタス英語版は、9回にセーブを記録しやすくするために主力救援投手を温存するのではなく、走者が塁上にいる重要な局面で早めに登板させることで、1年あたり4勝以上増える可能性があると予測した[22]トム・タンゴらは The Book: Playing the Percentages in Baseball の中で、主力救援投手を3点リードの9回に登板させるよりも、1点または2点リードの8回に登板させる方が価値があると記している[23]。ケイプルは「監督は、成績と銀行口座の残高をつり上げるために、安くセーブをさせることによって抑え投手とその代理人を喜ばせる必要があると感じている」と記した[18]。タンゴらは、3点リードの9回で平均的な救援投手が登板するよりも、優秀な救援投手が登板した場合、勝率が2%上昇し、2点リードでは4%、1点リードでは6%上昇すると推定した[24]ボルチモア・オリオールズ元監督のジョニー・オーツは、セーブを考案したジェローム・ホルツマン英語版に対し、ホルツマンが9回に投げる投手を生み出したと述べたが、ホルツマンは9回に最高の救援投手を登板させるようにする戦術を編み出したのは監督たちであると述べた[25]。ホルツマンは、監督が抑え投手を起用することで「投手のセーブを悪用し、抑え投手を優遇する」可能性があると指摘した[26]。ラルーサは、救援投手は自身の役割と試合に呼ばれる状況を知ることが重要であると述べた。ラルーサは「確かに7回と8回で分が悪くなることもあるが、9回の最後の3つのアウトをとることが最も厳しい。そのプレッシャーに対応できる者が欲しい。私にとって最も重要なことだ」とも述べた[3]。アスレチックスGMのビリー・ビーンは、抑え投手以外の投手が9回に投げて試合に負けたら、メディアから多くの批判を受けるだろうと述べた[18]

批判

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ラルーサは、リードしたまま9回まで抑え投手を温存するという戦術に固執すると、状態が良くないチームは抑え投手がうまく働かなくなる可能性があると指摘した[3]。例として、2012年シーズンではフィラデルフィア・フィリーズ監督のチャーリー・マニエルが、終盤のイニングで同点となった6試合を含む重要度が高い場面で抑え投手のジョナサン・パペルボンを起用しなかったために、チームはシーズン中盤までに7勝を失った可能性がある。ジョナー・ケリは「最も予測しやすい状況以外で投手を使うことへの恐怖、または単なる惰性から、抑え投手は同点で走者がいるような実際に試合の行方を左右する場面よりも、9回に2点差で走者がいない、対処しやすい場面の方がはるかによく使われる」と提言し、パペルボンについて「フィリーズが、期待できるほぼ全ての投手が85%から90%の確率でうまく対処できる場面のみではなく、本当に必要な場面で彼を使い始めなければ、パペルボンはガレージから出てこない20万ドルのアストンマーティンのままだろう」と述べた[27][28]

批評家の中には、プレーオフの試合、特にチームが敗退の危機にある場面において9回に抑え投手を登板させる戦術は非論理的であると指摘する者もいる。2010年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズの第4戦と第6戦では、いずれの試合でも同点の終盤でフィリーズ監督のマニエルが抑え投手のブラッド・リッジを起用せず、他の救援投手が決勝点を与えた[29][30]。同様に、2010年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズの第3戦と第6戦では、いずれの試合でもニューヨーク・ヤンキースが途中まで2点のリードを許していたが、監督のジョー・ジラルディはこの接戦の場面でマリアノ・リベラを起用せず、その後他の救援投手が失点を重ねたことでヤンキースは敗北した。ESPNのマシュー・ウォレスは「ジラルディはヤンキースが6-1で負けている第6戦の9回でリベラを起用したが、彼らの船はもう海に出ていた」と嘆いた[31]

殿堂入り

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アメリカ野球殿堂入りを果たした救援投手は8人いる。最初に選出されたのは1985年のホイト・ウィルヘルムであり[32]、その後ローリー・フィンガーズデニス・エカーズリーブルース・スーターリッチ・ゴセージトレバー・ホフマンリー・スミスマリアノ・リベラが選出された[注 1]。エカーズリーは1イニングでのセーブが一般的になってから殿堂入りした初めての抑え投手である。エカーズリーは、自身が殿堂入りしたのは、先発投手と救援投手の両方を経験したことが理由であると思うと述べた[35]。エカーズリーは「もし私が今日抑え投手としてやってきて20年プレーしていたら、私は(殿堂入りを)果たしていただろうか。これらの投手たちは20年間、するべき仕事をした。彼らは他に何をすればいいのだろうか」と述べた[36]。2019年、リベラはMLB史上初めて満票で殿堂入りを果たした選手となった[37]

主な賞

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メジャーリーグベースボール(MLB)

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抑え投手 球団
殿堂入り マリアノ・リベラ ニューヨーク・ヤンキース 2019年
リー・スミス シカゴ・カブス
トレバー・ホフマン サンディエゴ・パドレス 2018年
リッチ・ゴセージ ニューヨーク・ヤンキース 2008年
ブルース・スーター セントルイス・カージナルス 2006年
デニス・エカーズリー オークランド・アスレチックス 2004年
ローリー・フィンガーズ オークランド・アスレチックス 1992年
ホイト・ウィルヘルム ニューヨーク・ジャイアンツ 1985年
サイ・ヤング賞 エリック・ガニエ ロサンゼルス・ドジャース 2003年 (NL)
デニス・エカーズリー * オークランド・アスレチックス 1992年 (AL)
マーク・デービス サンディエゴ・パドレス 1989年 (NL)
スティーブ・ベドローシアン フィラデルフィア・フィリーズ 1987年 (NL)
ウィリー・ヘルナンデス * デトロイト・タイガース 1984年 (AL)
ローリー・フィンガーズ * ミルウォーキー・ブルワーズ 1981年 (AL)
ブルース・スーター シカゴ・カブス 1979年 (NL)
スパーキー・ライル ニューヨーク・ヤンキース 1977年 (AL)
マイク・マーシャル ロサンゼルス・ドジャース 1974年 (NL)
抑え投手 球団
MVP デニス・エカーズリー * オークランド・アスレチックス 1992年 (AL)
ウィリー・ヘルナンデス * デトロイト・タイガース 1984年 (AL)
ローリー・フィンガーズ * ミルウォーキー・ブルワーズ 1981年 (AL)
ジム・コンスタンティー フィラデルフィア・フィリーズ 1950年 (NL)
ワールドシリーズMVP マリアノ・リベラ ニューヨーク・ヤンキース 1999年
ジョン・ウェッテランド ニューヨーク・ヤンキース 1996年
ローリー・フィンガーズ オークランド・アスレチックス 1974年
ラリー・シェリー ロサンゼルス・ドジャース 1959年
最優秀新人選手賞 クレイグ・キンブレル アトランタ・ブレーブス 2011年 (NL)
ネフタリ・フェリス テキサス・レンジャーズ 2010年 (AL)
アンドリュー・ベイリー オークランド・アスレチックス 2009年 (AL)
ヒューストン・ストリート オークランド・アスレチックス 2005年 (AL)
佐々木主浩 シアトル・マリナーズ 2000年 (AL)
スコット・ウィリアムソン シンシナティ・レッズ 1999年 (NL)
グレッグ・オルソン ボルチモア・オリオールズ 1989年 (AL)
トッド・ウォーレル セントルイス・カージナルス 1986年 (NL)
スティーヴ・ハウ ロサンゼルス・ドジャース 1980年 (NL)
ブッチ・メッツガー サンディエゴ・パドレス 1976年 (NL)
ジョー・ブラック ロサンゼルス・ドジャース 1952年 (NL)
リーグチャンピオンシップシリーズMVP 上原浩治 ボストン・レッドソックス 2013年 (AL)[38]
アンドリュー・ミラー クリーブランド・インディアンス 2016年 (AL)
マリアノ・リベラ ニューヨーク・ヤンキース 2003年 (AL)
ロブ・ディブルランディ・マイヤーズ シンシナティ・レッズ 1990年 (NL)
デニス・エカーズリー オークランド・アスレチックス 1988年 (AL)
オールスターゲームMVP マリアノ・リベラ ニューヨーク・ヤンキース 2013年

* 同じ年にサイ・ヤング賞とリーグMVPの両方を受賞した選手

日本野球機構(NPB)

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抑え投手 球団
殿堂入り 高津臣吾 ヤクルト 2022年
佐々木主浩 横浜 2014年
大野豊 広島 2013年
津田恒実 広島 2013年
名球会 平野佳寿 オリックス 2023年
藤川球児 阪神 2022年
上原浩治 巨人 2022年
岩瀬仁紀 中日 2010年
高津臣吾 ヤクルト 2003年
佐々木主浩 横浜 2000年
MVP デニス・サファテ ソフトバンク 2017年 ()
佐々木主浩 横浜 1998年 ()
郭源治 中日 1988年 (セ)
江夏豊 日本ハム 1981年 (パ)
江夏豊 広島 1979年 (セ)
抑え投手 球団
日本シリーズMVP デニス・サファテ ソフトバンク 2017年
東尾修 西武 1982年
クライマックスシリーズMVP 呉昇桓 阪神 2012年 ()
セ・パ交流戦MVP 小林雅英 ロッテ 2006年
最優秀新人 大勢 巨人 2022年 ()
栗林良吏 広島 2021年 (セ)
山﨑康晃 横浜DeNA 2015年 (セ)
牧田和久 西武 2011年 ()
三瀬幸司 ダイエー 2004年 (パ)
平井正史 オリックス 1995年 (パ)
森田幸一 中日 1991年 (セ)
与田剛 中日 1990年 (セ)

脚注

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注釈

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  1. ^ 殿堂入り投手のジョン・スモルツは4シーズンの間抑え投手を務めているが、主に先発投手であったと考えられている[33][34]

出典

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  1. ^ クローザー【意外と知らない野球用語】”. Full-Count (2021年2月1日). 2024年9月24日閲覧。
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  6. ^ a b Zimniuch 2010, p. 143.
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  9. ^ McNeil 2006, p. 53.
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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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