ヒューストン・ストリート
ヒューストン・ローウェル・ストリート(Huston Lowell Street、1983年8月2日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州オースティン出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。愛称は「ラリー」[2]。
2015年5月16日 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | テキサス州オースティン |
生年月日 | 1983年8月2日(41歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 195 lb =約88.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2004年 ドラフト1巡目(全体40位)でオークランド・アスレチックスから指名 |
初出場 | 2005年4月6日 ボルチモア・オリオールズ戦 |
年俸 | $8,000,000(2016年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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国際大会 | |
代表チーム | アメリカ合衆国 |
WBC | 2006年 |
この表について
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獲得メダル | ||
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男子 野球 | ||
アメリカ合衆国 | ||
パンアメリカン競技大会 | ||
銀 | 2003 | 野球 |
経歴
編集プロ入り前
編集父のジェームズ・ストリートは、テキサス大学オースティン校在学中に野球とアメリカンフットボールの両方で活躍し、特にアメフトでは名クォーターバックとしてチームを1969年に全米王者に導いた選手だった。彼の息子として1983年8月2日に生まれたヒューストンもやがて父と同じ大学に進学、3年間の在学中に抑え投手として通算41セーブを挙げ、チームが3年連続でカレッジ・ワールドシリーズに出場する原動力となった[3]。2002年、カレッジ・ワールドシリーズで優勝し最優秀選手賞を受賞。
2003年7月に開催されたサントドミンゴパンアメリカン競技大会の野球アメリカ合衆国代表に選出された[4]。
プロ入りとアスレチックス時代
編集大学屈指のクローザーだったが、体が小さいことが嫌われてどこのチームも獲得に動かなかった[5]。それを見て2004年のドラフト1巡目(全体40位)でオークランド・アスレチックスの指名を受けて入団、その年のうちにA級からAAA級の3つのマイナーリーグで21試合に登板し、被本塁打は0。
2005年に招待選手としてメジャーのスプリングトレーニングに参加する。「ベテラン選手からできる限り知識を吸収して、マイナーで試すつもりだった」[6]ストリートだったが、リリーフ陣に故障者が出たため開幕をメジャーで迎える。4月6日にメジャー初登板。
チームの抑え投手だったオクタビオ・ドーテルも5月21日に故障者リスト入りすると、メジャーデビューから2か月足らずのストリートが代役に抜擢される。これについてもカート・ヤング投手コーチが「実際に、ストリートをあの時点でクローザーに指名するのは予定より早かった」[6]と語っている。ストリートは、自身やチームの予定より早くメジャーでの地位を確立し、5勝1敗23セーブの成績を残し、ローリー・フィンガーズの持つ球団新人セーブ記録を35年ぶりに更新した[3]。シーズン終了後、ストリートはロビンソン・カノ(ニューヨーク・ヤンキース=当時)や井口資仁(シカゴ・ホワイトソックス=当時)らを抑え、クローザーとしてアメリカンリーグ史上リーグ3人目となる新人王を受賞した[3]。
2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアメリカ合衆国代表に選出された[7]。レギュラーシーズンでは、右大胸筋や右股関節を痛めるなど故障に悩まされ、37セーブ(リーグ4位)を挙げたもののセーブ失敗11度(両リーグワースト2位)と精彩を欠いた。さらに2007年は右腕痛で2か月近く投げることができず、復帰後は不安定な投球も9月になって制球が安定し[5]、9月以降の防御率は0点台に抑えている。しかし、登板数・セーブ数ともにこれまでで最低の数字を残した。
2008年も開幕はクローザーを務めたものの前年に続き不調で、後半にはブラッド・ジーグラーにクローザーの座を明け渡すことになった。
ロッキーズ時代
編集2008年11月14日、マット・ホリデイとのトレードによりグレッグ・スミス、カルロス・ゴンザレスと共にコロラド・ロッキーズに移籍した[8]。
2009年はマニー・コーパスと開幕からクローザーの座を争うこととなった。一度は彼にクローザーの座を奪われるものの、5月1日にその座を奪い返し、以降は安定した結果を残した。結局シーズンを通して37回のセーブ機会に対し35回セーブを成功させ、61.2回で70個の三振を奪った。しかしながら、フィラデルフィア・フィリーズとのディビジョン・シリーズ第4戦にて先に2アウトをとりながらその後3失点して敗戦投手となるなど、ポストシーズンで苦汁を飲んだ。
2010年の開幕前に彼はロッキーズと3年225万ドルで契約延長した。シーズン開始から約2カ月半を肩の故障で離脱するなど苦しいシーズンとなり、25セーブ機会で20回の成功、防御率3.61と精彩を欠いた。しかし、シーズンを通してクローザーとして起用された。
2011年は開幕からクローザーとして8月初旬までに29セーブを挙げるなど活躍していたが、8月12日に右上腕三頭筋を痛め故障者リスト入りすると、復帰後はラファエル・ベタンコートの前を投げるセットアップマンとして起用された。終わってみれば、防御率3.86 58.1回を投げ55個の三振、四球は9つという内容だった。
パドレス時代
編集2011年12月7日、ニック・シュミットとのトレードでサンディエゴ・パドレスに移籍した。
2012年のパドレスは前年までクローザーを務めていたヒース・ベルがマイアミ・マーリンズへ移籍したため、ストリートはクローザーとして起用されることとなった。度重なる故障に悩まされたものの、投手有利の本拠地も味方してか終始好成績を維持し、キャリア初のオールスターにも選出された。そして、7月29日にはチームとの契約を2年延長(2015年はクラブオプション)した。結局、シーズンを通してセーブ失敗は1つだけ、防御率1.85 39回を投げて47個の三振を奪い、四球は11個記録した。また、9月25日の試合では通算200セーブを達成した。
2013年は前半戦において苦戦を強いられ、6月23日までに投げた26.1回で10被弾を喫するなど不調だったが、そこから9月3日までの20.1回を無失点に抑えるなど持ち直し、9月8日にはナショナルリーグ週間最優秀選手に選出された。結局58試合に登板し、35セーブ機会に対して33回セーブに成功、防御率2.70 56.2回で46奪三振、14四球という成績を収めた。
2014年も開幕から好調を維持し、自身2度目となるオールスターに選出された。
エンゼルス時代
編集2014年7月19日にテイラー・リンジー、R.J.アルバレス、ホセ・ロンドン、エリオット・モリスとのトレードで、トレバー・ゴットと共にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ移籍した[9]。エンゼルスに移籍するまでは、33試合の登板で24セーブをマークし、防御率は1.09というハイレベルな数値だった。エンゼルス移籍後は多少防御率が悪化したとは言え、依然として2.00未満の数値を維持。28試合で17セーブを挙げ、2チーム計41セーブをマーク。シーズン40セーブをクリアしたのは、ストリートにとって初めてであった。この年、通算250セーブを達成し、最終的に275まで数字を伸ばした。
2015年5月13日にエンゼルスと総額1800万ドルの2年契約[10](2018年・1000万ドルの球団オプション付き[11])を結んだ[12][13]。この年は62試合に登板し、通算600登板を達成した。防御率は3.18と、過去3シーズンと比してやや悪化したが、ア・リーグ2位となる40セーブをマーク。通算300セーブを達成し、クローザーの役割をこなした。
2016年は4月に9試合で防御率1.17・1勝5セーブと[14]ロケットスタートを切ったが、4月29日に左の斜紋筋を痛めてDL入り[15]。復帰後、徐々に調子を崩していき8月に右膝の手術を受ける為に離脱した[16]。これらの影響もあって26試合の登板に留まり、防御率6.45・3勝2敗9セーブ・WHIP1.93というキャリアワーストのシーズンとなった。
現役引退
編集選手としての特徴・人物
編集投球前に舌を出し、左足を前にして斜め後ろにもたれかかるようなフォームが特徴。球種は常時90-93mph(約145km/h - 150km/h)のツーシーム、スライダー、チェンジアップ。
比較的珍しい、技巧派のクローザーとして活躍した。
2005年はルーキーながらスポーツ専門局ESPNに『大リーグ日記』を寄稿した。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2005 | OAK | 67 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 23 | 0 | .833 | 306 | 78.1 | 53 | 3 | 26 | 4 | 2 | 72 | 1 | 0 | 17 | 15 | 1.72 | 1.01 |
2006 | 69 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 37 | 1 | .500 | 290 | 70.2 | 64 | 4 | 13 | 3 | 2 | 67 | 4 | 0 | 28 | 26 | 3.31 | 1.09 | |
2007 | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 16 | 5 | .714 | 199 | 50.0 | 35 | 5 | 12 | 3 | 0 | 63 | 0 | 0 | 20 | 16 | 2.88 | 0.94 | |
2008 | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 5 | 18 | 4 | .583 | 287 | 70.0 | 58 | 6 | 27 | 6 | 1 | 69 | 2 | 0 | 29 | 29 | 3.73 | 1.21 | |
2009 | COL | 64 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 35 | 2 | .800 | 240 | 61.2 | 43 | 7 | 13 | 4 | 0 | 70 | 0 | 0 | 22 | 21 | 3.06 | 0.91 |
2010 | 44 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 20 | 0 | .500 | 187 | 47.1 | 39 | 5 | 11 | 4 | 2 | 45 | 2 | 1 | 21 | 19 | 3.61 | 1.06 | |
2011 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 29 | 4 | .200 | 239 | 58.1 | 62 | 10 | 9 | 1 | 1 | 55 | 0 | 0 | 28 | 25 | 3.86 | 1.22 | |
2012 | SD | 40 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 23 | 0 | .667 | 144 | 39.0 | 17 | 2 | 11 | 1 | 0 | 47 | 1 | 0 | 8 | 8 | 1.85 | 0.72 |
2013 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 33 | 0 | .286 | 222 | 56.2 | 44 | 12 | 14 | 1 | 0 | 46 | 4 | 0 | 17 | 17 | 2.70 | 1.02 | |
2014 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 24 | 0 | 1.000 | 121 | 33.0 | 18 | 3 | 7 | 0 | 0 | 34 | 0 | 0 | 4 | 4 | 1.09 | 0.76 | |
LAA | 28 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 17 | 0 | .333 | 108 | 26.1 | 24 | 1 | 7 | 3 | 0 | 23 | 0 | 0 | 5 | 5 | 1.71 | 1.18 | |
'14計 | 61 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 41 | 0 | .500 | 229 | 59.1 | 42 | 4 | 14 | 3 | 0 | 57 | 0 | 4 | 9 | 9 | 1.37 | 0.94 | |
2015 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 40 | 0 | .500 | 255 | 62.1 | 52 | 7 | 20 | 5 | 0 | 57 | 6 | 0 | 22 | 22 | 3.18 | 1.16 | |
2016 | 26 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 9 | 0 | .600 | 105 | 22.1 | 31 | 5 | 12 | 2 | 0 | 14 | 0 | 0 | 16 | 16 | 6.45 | 1.93 | |
2017 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 15 | 4.0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.75 | |
通算:13年 | 668 | 0 | 0 | 0 | 0 | 42 | 34 | 324 | 16 | .553 | 2718 | 680.0 | 542 | 70 | 183 | 37 | 8 | 665 | 20 | 1 | 237 | 223 | 2.95 | 1.07 |
- 2018年度シーズン終了時
表彰
編集- 新人王:2005年
記録
編集- MLBオールスターゲーム選出:2回(2012年、2014年)
背番号
編集- 20(2005年 - 2008年)
- 16(2009年 - 2017年)
代表歴
編集- 2003年パンアメリカン競技大会野球アメリカ合衆国代表
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表
脚注
編集- ^ “Huston Street Contract Details, Salaries, & Earnings” (英語). Spotrac. 2016年6月27日閲覧。
- ^ Explaining Angels Players Weekend nicknames MLB.com (2017年8月24日) 2017年8月27日閲覧
- ^ a b c “Huston Street Stats, Fantasy & News (Huston Lowell Street Bio Info)” (英語). 2015年11月20日閲覧。
- ^ 2003 Pan American Team Roster USABaseball.com: The Official Site of USA Baseball (2010年9月21日) 2017年7月2日閲覧
- ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、224頁。ISBN 978-4-331-51213-5。
- ^ a b 大冨真一郎「新人王★ヒューストン・ストリート[アスレチックス] HUSTON STREET/駆け足の先にあった栄冠」 『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボール・マガジン社、2005年、雑誌08625-1、14-15頁。
- ^ “2006 Tournament Roster” (英語). WBC公式サイト. MLB Advanced Media, L.P. 2015年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月2日閲覧。
- ^ Barry M. Bloom (2008年11月12日). “Rockies, A's complete Holliday deal”. MLB.com. 2015年11月20日閲覧。
- ^ “Angels acquire RHP Huston Street from San Diego”. Angels Press Release. MLB.com. (2014年7月19日) 2015年11月20日閲覧。
- ^ 2016年は800万ドル、2017年は900万ドル。
- ^ 違約金は100万ドル。
- ^ “Angels & Huston Street Agree to Terms on a Two-Year Contract Extension”. A's Press Release. MLB.com. (2015年5月13日) 2015年11月20日閲覧。
- ^ Alden Gonzalez (2015年5月13日). “Angels, Street finalize two-year extension”. MLB.com. 2015年11月20日閲覧。
- ^ Huston Street 2016 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference.com (英語) . 2016年11月17日閲覧。
- ^ “Huston Street put on 15-day DL by Angels” (英語). ESPN (2016年4月29日). 2016年11月17日閲覧。
- ^ “Angels closer Huston Street has season-ending surgery” (英語). ESPN (2016年8月25日). 2016年11月17日閲覧。
- ^ MLB公式プロフィール参照。2017年11月20日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Huston Street stats MiLB.com
- Huston Street (@hustonstreet) - X(旧Twitter)