クラブ・ブルッヘ

ベルギーのサッカークラブ
クルプ・ブルッヘKVから転送)

クラブ・ブルッヘオランダ語: Club Brugge Koninklijke Voetbalverenigingオランダ語発音: [klʏˈbrʏɣə ˌkoːnɪŋkləkə ˈvudbɑlvəreːnəɣɪŋ]) は、ベルギーブルッヘに本拠地を置くサッカークラブである。ブルッヘはオランダ語圏のフランデレン地域に位置するが、フランス語読みでクラブ・ブリュージュと呼ばれることもある。RSCアンデルレヒトブリュッセル首都圏地域)、スタンダール・リエージュワロン地域)と並んでベルギーを代表する強豪クラブである。

クラブ・ブルッヘ
原語表記 Club Brugge Koninklijke Voetbalvereniging
愛称 Blauw-Zwart (青と黒)
Club
クラブカラー    
   
創設年 1891年
所属リーグ ジュピラー・プロ・リーグ
所属ディビジョン 1部
昨季リーグ順位 4位(2023-24)
ホームタウン ブルッヘ
ホームスタジアム
ヤン・ブレイデルスタディオン
収容人数 29,042 [1]
代表者 ベルギーの旗 バルト・フェルヘーゲ
監督 ノルウェーの旗 ロニー・デイラ英語版
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

国内大会のみならず、国際舞台でも大きな成功を収めており、欧州カップ戦の決勝に2回、さらに準決勝に2回到達している。UEFAチャンピオンズカップの決勝に進出したことがあるベルギー唯一のクラブである。1977-78シーズンの同大会で決勝に進出したが、リヴァプールFC(イングランド)に敗れて準優勝に終わった。1975-76シーズンのUEFAカップ決勝でもやはりリヴァプールに敗れている。

歴史

編集

1890年、「Broeders Xaverianen」というカトリック学校と「Koninklijk Atheneum」という一般学校の卒業生によってブルフスヘFC (Brugsche FC) が形作られ、1891年11月13日が公式な設立日となった。「Mens sana in corpore sano (健全なる精神は健全なる身体に宿る)[注釈 1]」をクラブのモットーとして採用した[2]。1892年には公式に役員が任命されたが、1894年にはブルフスヘFCの一部のメンバーが離反してFCブルジョワ (FC Brugeois) を設立した[2]。ブルフスヘFCもFCブルジョワも深刻な財政難にあったため、1895年にはブルフスヘFCのメンバーが第3のクラブとしてヴラームスフFC (Vlaamsche FC) も設立している[2]。FCブルジョワは1895年に開始されたベルギー・ファーストディビジョン(1部)に参加して1895-96シーズンを戦ったが、財政難を理由に1シーズン限りで脱退した。1897年、FCブルジョワがブルフスヘFCに合流する形で合併したが、クラブ名はFCブルジョワが採用された[2]。1899年にはヴラームスフFCがラピドFCと合併してサークル・ブルッヘとなり、今日におけるブルッヘの2大クラブが成立した[2]

1910-11シーズンのファーストディビジョンではライバルのCSブルジョワに勝ち点1差の2位だった。1912年には市南西部のトルハウツェステーンにある新グラウンドに移転し、9年間の賃貸契約(年額1,760ベルギーフラン)を結んだ[2]。1913-14シーズン、FCブルジョワはベルギー・カップの決勝に進出したが、ユニオンSGに1-2で敗れて準優勝に終わった。リーグ戦では5回も2位を経験していたが、ファーストディビジョンで初優勝を飾ったのは第一次世界大戦後初のシーズンとなった1919-20シーズンだった[2]。この時代にはハルレス・カンビールやトルテン・フティンクなどが活躍し、ふたりはベルギー代表にも選出されている[2]。1920年にはグラウンドの賃貸契約が終了したため、Albert Dyserynck新会長は40,000ベルギーフランでデ・クロッケ[注釈 2] を購入する決定を下した[2]。1926年にはベルギーサッカー協会がクラブの登録制度を開始し、登録番号3番を得てロイヤルFCブルジョワ (Royal Football Club Brugeois) に改名した。1928年には初めて2部リーグに降格し、1930年、Dyserynck会長はクラブを非営利団体に変更したが[2]、1931年には自動車事故で死去。生前の功績が称えられ、スタジアム名がAlbert Dyserynck Stadionに変更されたほか、メイン入場口近くに銅像が建てられた[2]。1930年代にはロヘル・ヴァンホーヴェなどがプレーし、ヴァンホーヴェはベルギー代表として2キャップを記録した[2]

1957年にルーマニア人のノルベルト・ホフリング監督が就任すると転機を迎え、1959年にファーストディビジョンに昇格してからは一度も2部リーグ以下への降格を経験していない。1967-68シーズンのベルギーカップでは、決勝でRベールスホットACオランダ語版を1-1 (PK 7-6) で下して初優勝を飾った。1972年にはクラブ名称をフラマン語クラブ・ブルッヘ (Club Brugge KV) に変更し、1972-73シーズンには53シーズンぶりとなるファーストディビジョン優勝を果たした。1975年、Albert Dyserynckstadionからオリンピア・シュタディオンにホームスタジアムを移転した。1975-76シーズンのUEFAカップはオーストリア人のエルンスト・ハッペル監督に率いられ、クラブ初の欧州カップ戦決勝進出を果たしたが、リヴァプールFC(イングランド)に2試合合計3-4で敗れた。同シーズンから1977-78シーズンまで国内リーグ3連覇を達成し、その最終シーズンにはベルギーのクラブとして初めて(そして唯一)UEFAチャンピオンズカップで決勝まで駒を進めた。2シーズン前と同様にリヴァプールと対戦したが、0-1で敗れて準優勝に終わった。1987-88シーズンにはUEFAカップで準決勝に進出したが、FCバルセロナ(スペイン)に敗れた。1992-93シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグに出場し、PFC CSKAモスクワ戦でダニエル・アモカチが同大会(名称変更後)初得点を決めた。1998年、UEFA EURO 2000開催のためにオリンピア・シュタディオンの拡張工事が行なわれ、名称がヤン・ブレイデルスタディオンに変更された。2006年、ベルギーのサッカークラブとして初の公式TVチャンネル (CLUBtv) を開設した。 2015-16シーズンからは胸スポンサーをダイキン工業が務めている。

クラブ名の変遷

編集
  • 1891-1897 ブルフスヘFC (Brugsche FC)
(1892 FCブルジョワ設立)
  • 1897-1920 FCブルジョワ (Football Club Brugeois)
  • 1920-1972 ロイヤルFCブルジョワ (Royal Football Club Brugeois)
  • 1972- クラブ・ブルッヘ (Club Brugge Koninklijke Voetbalvereniging)

文化

編集
 
ヤン・ブレイデルスタディオン

29,472人収容のヤン・ブレイデルスタディオンをホームスタジアムとしている。2012-13シーズンの1試合平均観客数は25,502人であり、2位のスタンダール・リエージュ(22,225人)や3位のRSCアンデルレヒト(21,100人)を抑えて5シーズンぶりに平均観客数リーグ1位となった。このスタジアムは同じくブルッヘのクラブであるサークル・ブルッヘと共有しており、両クラブの対戦はブルッヘ・ダービーと呼ばれる。最大のライバルはアンデルレヒトである。

ジュピラー・プロリーグの強豪クラブの1試合平均観客数[3][注釈 3]
シーズン 平均観客数
クラブ・ブルッヘ スタンダール アンデルレヒト ヘント
2007-08 26,367人 25,847人 24,874人 23,272人(4位)
2008-09 26,085人 26,471人 23,654人 22,044人(4位)
2009-10 24,963人 26,250人 23,171人 19,945人(4位)
2010-11 24,535人 25,771人 23,042人 20,723人(4位)
2011-12 24,344人 25,113人 22,349人 21,942人(4位)
2012-13 25,502人 22,225人 21,100人 19,954人(4位)
欠番
2007年から2008年に所属したストライカー。2008年5月8日に自動車事故で死去した。

タイトル

編集

国内タイトル

編集

国際タイトル

編集

過去の成績

編集
シーズン リーグ戦 プレーオフ ベルギーカップ 欧州カップ その他
ディビジョン 順位
2002-03 JL 32 25 4 3 96 33 63 1位 導入前 CL
UEFAカップ
グループリーグ敗退
3回戦敗退
BSC優勝
2003-04 34 22 6 6 77 31 72 2位 優勝 CL
UEFAカップ
グループリーグ敗退
4回戦敗退
BSC優勝
2004-05 34 24 7 3 83 25 79 1位 準優勝 CL
UEFAカップ
予選3回戦敗退
グループリーグ敗退
BSC優勝
2005-06 34 18 10 6 51 33 64 3位 6回戦敗退 CL
UEFAカップ
グループリーグ敗退
ベスト32
2006-07 34 14 9 11 58 40 51 6位 優勝 UEFAカップ グループリーグ敗退 BSC準優勝
2007-08 34 20 7 7 45 30 67 3位 7回戦敗退 UEFAカップ 1回戦敗退
2008-09 JPL 34 18 5 11 59 50 59 3位 7回戦敗退 UEFAカップ グループリーグ敗退
2009-10 28 17 6 5 52 33 57 2位 3位 準々決勝敗退 EL ベスト32
2010-11 28 16 5 9 60 35 53 4位 4位 7回戦敗退 EL 予選3回戦敗退
2011-12 30 19 4 7 51 32 61 2位 2位 7回戦敗退 EL ベスト32
2012-13 30 15 9 6 66 43 54 4位 3位 7回戦敗退 CL
EL
予選3回戦敗退
グループリーグ敗退
2013-14 30 19 6 5 54 28 63 2位 3位 7回戦敗退 EL 予選3回戦敗退
2014-15 30 17 10 3 52 29 61 1位 2位 優勝 EL 準々決勝敗退
2015-16 30 21 1 8 64 30 64 1位 1位 準優勝 CL
EL
プレーオフ敗退
グループリーグ敗退
BSC準優勝
2016-17 30 18 5 7 56 24 59 2位 2位 7回戦敗退 CL グループリーグ敗退 BSC優勝
2017-18 30 20 7 3 68 33 67 1位 1位 準決勝敗退 CL
EL
予選3回戦敗退
プレーオフ敗退
2018-19 30 16 8 6 64 32 56 2位 2位 6回戦敗退 CL
EL
グループリーグ敗退
ベスト32
BSC優勝
2019-20 29 21 7 1 58 14 70 1位 - 準優勝 CL
EL
グループリーグ敗退
ベスト32
2020-21 34 24 4 6 73 26 76 1位 1位 準々決勝敗退 CL
EL
グループリーグ敗退
ベスト32
2021-22 34 21 9 4 72 37 72 2位 1位 準決勝敗退 CL グループリーグ敗退 BSC優勝
2022-23 34 16 11 17 61 36 59 4位 4位 ベスト16 CL ベスト16 BSC優勝
2023-24 30 14 9 7 62 29 51 4位 1位 準決勝敗退 ECL 準決勝敗退 BSC準優勝
2024-25 CL

記録

編集

欧州での記録

編集
2024年8月28日時点
大会 勝率
UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ 127 43 30 54 157 186 −29 033.86
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ 182 79 42 61 298 238 +60 043.41
UEFAカップウィナーズカップ 28 15 3 10 41 33 +8 053.57
インターシティーズ・フェアーズカップ 6 2 1 3 11 10 +1 033.33
UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ 12 8 2 2 25 9 +16 066.67
総通算 355 147 78 130 532 476 +56 041.41

試合一覧

編集

欧州カップ戦での好成績

編集

ベスト8以上の成績を挙げた大会のリストである。

現所属メンバー

編集
2019-2020シーズン基本フォーメーション
2024年8月28日現在[4]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF   ザイド・ロメロ英語版 ( )
4 DF   ホエル・オルドニェス
7 FW   アンドレアス・スコフ・オルセン
8 FW   フリストス・ツォリス
9 FW   フェラン・ジュグラ
10 MF   ヒューゴ・ヴェトレセン
14 DF   ビョルン・マイェル
15 MF   ラファエル・オニェディカ
16 GK   ダニ・ファン・デン・フーヴェル英語版
17 FW   ロメオ・ヴェルマント英語版
19 FW   グスタフ・ニルソン英語版
20 MF   ハンス・ファナーケン ( )
21 FW   ミハウ・スコラシュ
22 GK   シモン・ミニョレ
No. Pos. 選手名
27 MF   カスパー・ニールセン
28 DF   デドリック・ボヤタ ( )
29 GK   ノルディン・ジャッカース英語版
30 MF   アルドン・ヤシャリ ( )
41 DF   ウーゴ・シケ
44 DF   ブランドン・メヘレ
55 DF   マキシム・デ・カイペル
58 DF   ヨルネ・スピルエルス英語版
64 DF   キリアーニ・サッベ英語版
65 DF   ホアキン・セイス英語版
68 FW   ケムズダイン・タルビ英語版 ( )
-- DF   フェトゥ・マウアサ ( )
-- MF   オーウェン・オタソウィー ( )
-- FW   カマル・ソワー

ローン移籍選手

編集
in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- FW   フィリップ・ツィンカーナーゲル (ボデ/グリムト)
-- GK   ジョセフ・バーシク英語版 (ハイバーニアン) ( )
No. Pos. 選手名
-- MF   シセ・サンドラ英語版 (ヴィレムII)

歴代会長

編集
  •   Philippe Delescluze 1891-1900
  •   Albert Seligmann 1900-1902
  •   Alfons De Meulemeester 1903-1914
  •   Albert Dyserynck 1919-1931
  •   Fernand Hanssens 1932-1937
  •   Emile De Clerck 1937-1959
  •   André De Clerck 1959-1973
  •   Fernand De Clerck 1973-1999
  •   Michel Van Maele 1999-2003
  •   Michel D'Hooghe 2003-2009
  •   Pol Jonckheere 2009-2011
  •   Bart Verhaeghe 2011-


歴代監督

編集


歴代所属選手

編集

歴代主将

編集





脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ ユウェナリスが『風刺詩集』で残した格言。
  2. ^ 「鐘」の意味
  3. ^ いずれもレギュラーシーズンのみ

脚注

編集
  1. ^ UEFA EUROPA LEAGUE | Season 2011/12 | Group D UEFA.com
  2. ^ a b c d e f g h i j k l “History Tour”. クラブ・ブルッヘ公式サイト. http://clubbrugge.be/en/the-club/history/tour 2013年4月29日閲覧。 
  3. ^ Eerste klasse Attendance World Football.net
  4. ^ A-Kern” (オランダ語). Club Brugge (2024年8月25日). 2024年8月28日閲覧。

外部リンク

編集