オルリー・テルケム
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オルリー・テルケム(仏: Olry Terquem、1782年6月16日 - 1862年5月6日 )はフランスの数学者。幾何学の功績で知られ、2つの科学雑誌を創刊した。うち1つは数学史を扱った初めての雑誌であった。彼はユダヤ教の急進的な革命を主張する一連の投書にTsarphatiなる偽名を用いた[1]。彼はユダヤ系フランス人だった。
オルリー・テルケム
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誕生 | 1782年6月16日 フランス、メス |
死没 | 1862年5月6日 |
職業 | 数学者、幾何学者 |
教育と来歴
編集テルケムは母語をイディッシュ語として、ヘブライ語とタルムードのみを学び育った[2]。しかしながら、フランス革命後は、彼の家族は広い社会と接触するようになり、彼の学習領域も広がることとなった[2]。彼のフランス語は稚拙だったが、1801年からパリのエコール・ポリテクニークで数学を勉強することを許された。エコール・ポリテクニークで勉強した2番目のユダヤ人である[1][2][3]。 1803年、 エコール・ポリテクニークでアシスタントとなり、1804年、博士号を獲得した。
学業を修めた後、(当時フランス帝国の一部だった)マインツに越し、 Imperial Lycéeで教鞭を執った。1811年には同市の砲兵学校に、1814年にはグルノーブルの砲兵学校に移動した。 1815年、パリの「Dépôt Central de l'Artillerie」の司書に就任し、余生を過ごした。1852年、 レジオンドヌール勲章を叙された。彼の死後、葬儀は当時のフランスの主席ラビのラザール・イジドールによって執り行われ、エドモン・ルブーフ率いる12人を超える将軍が参列した[1][2]。
数学
編集テルケムは、大砲に関する作品の翻訳、教科書の執筆などを行った。また、数学史の専門家だった[2]。1842年、テルケムとカミーユ=クリストフ・ジェロノは雑誌Nouvelles Annales de Mathématiquesを創刊した[1]。更に1855年、彼はこの雑誌の補完物として「Bulletin de Bibliographie, d'Histoire et de Biographie de Mathématiques」を創刊し、1861年まで編集を続けた[1][4]。この誌が前述の数学史に特化した史上初の雑誌である[4]。
幾何学におけるテルケムの功績の一つに九点円が知られている。この円は、三角形の特別な9点を通ることよりこの名がつけられている。カール・フォイエルバッハは、 辺の中点と頂垂線の足が同一円周上にあることを証明したが、テルケムは、垂心と各頂点の中点もそれらの点と共円であることを示した[5]。また、フォイエルバッハの定理の新しい証明を発見した[3]。
テルケムの他の功績に、垂足曲線の命名、ある点を通る代数曲線に垂直に交わる直線(法線)の数を曲線の次数との関連付けなどがある[2][3]。また、対称関数の最大最小値は、変数をすべて等しくした場合に得られることに最初に気づいた[2]。
ユダヤ人の活動
編集テルケムは、フランス内の主要なユダヤ教改革提唱者の中で、初めて最も急進的かつ率直な人物「the enfant terrible of French Judaism」であると評されている[6][7]。彼はTsarphati(サルファティ、ヘブライ語でフランス人を意味する語)という偽名を用いて27通の投書「letters of an Israelite」を出版して[7][8]、彼の観点から、ユダヤ人を現代生活へ同化させ、労働者階級をユダヤ人に適応する改革を推進した[6]。最初の9巻は「L'Israélite Français」に掲載され、他18巻は「Courrier de la Moselle」の編集へ送られた[9]。テルケムはタルムードを否定し[8][10]、ユダヤ人と非ユダヤ人の結婚法制の提案を行い[8]、安息日を日曜に移すことを推し進め[6][10]、祈りではヘブライ語ではなく他の言語を使うことを主張し[2]、割礼、女性への退嬰的態度、ユダヤ暦などに反対した[6][7]。しかし、当時のユダヤ人の慣習への彼の影響はごくわずかだった[7][10]。
テルケムは改革を呼び続け、カトリックの女性と結婚し、子をカトリックに育てたが[6]、自分の葬式に関してはユダヤ人の正式な儀式で行うことを望んだ[1]。
出典
編集- ^ a b c d e f “Terquem, Olry”, Jewish Encyclopedia, Funk and Wagnalls, (1906).
- ^ a b c d e f g h Waterhouse, William C. (1983), “Do symmetric problems have symmetric solutions?”, The American Mathematical Monthly 90 (6): 378–387, doi:10.2307/2975573, JSTOR 2975573, MR707152. Biographical appendix, pp. 385–386.
- ^ a b c Ratcliffe, Barrie M. (2006), “Chapter 3. Towards a better understanding of Olinde Rodriguez and his circle: family and faith in his life and career”, in Altmann, Simon; Ortiz, Eduardo L., Mathematics and Social Utopias in France: Olinde Rodrigues and His Times, History of Mathematics, 28, American Mathematical Society, pp. 39–70, ISBN 9780821842539. See in particular pp. 60–61.
- ^ a b Dauben, Joseph W. (1999), “Historia Mathematica: 25 years/context and content”, Historia Mathematica 26 (1): 1–28, doi:10.1006/hmat.1999.2227, MR1677459.
- ^ Maor, Eli; Jost, Eugen (2014), Beautiful Geometry, Princeton University Press, p. 140, ISBN 9781400848331.
- ^ a b c d e Meyer, Michael A. (1995), Response to Modernity: A History of the Reform Movement in Judaism, Wayne State University Press, pp. 165–167, ISBN 9780814337554.
- ^ a b c d Glick, Leonard B. (2005), Marked in Your Flesh: Circumcision from Ancient Judea to Modern America, Oxford University Press, pp. 137–138, ISBN 9780198039259.
- ^ a b c Albert, Phyllis Cohen (1982), “Nonorthodox attitudes in nineteenth-century French Judaism”, in Albert, Phyllis Cohen; Malino, Frances, Essays in Modern Jewish History: A Tribute to Ben Halpern, Herzl Press publications, Fairleigh Dickinson University Press, pp. 121–141, ISBN 9780838630952. See in particular p. 123.
- ^ Berkovitz, Jay R. (2011), Rites and Passages: The Beginnings of Modern Jewish Culture in France, 1650–1860, Jewish Culture and Contexts, University of Pennsylvania Press, p. 282, ISBN 9780812200157.
- ^ a b c Hyman, Paula (1998), The Jews of Modern France, Jewish communities in the modern world, 1, University of California Press, p. 72, ISBN 9780520919297.
関連項目
編集参考文献
編集- 清水領「19世紀前半のフランスにおけるユダヤ教改革運動の発露 : オルリー・テルケムと『ツァルファティの手紙』」『ユダヤ・イスラエル研究』第27巻、2013年。