エンサイン・N175 (Ensign N175) は、イギリスのレーシングチーム、エンサイン1975年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーボロが購入し1976年1977年ボロ・001として参戦、1978年はマリオ・デリオッティ・レーシングから再びエンサイン・N175として参戦した。

エンサイン・N175
ボロ・001
カテゴリー F1
コンストラクター エンサイン
デザイナー デイヴ・ボールドウィン
先代 エンサイン・N174
後継 エンサイン・N176
主要諸元
シャシー アルミニウム製モノコック
エンジン フォード・コスワースDFV  V型8気筒 N/A  
トランスミッション ヒューランドFG400(エンサイン)
ヒューランドDG400(ボロ)
タイヤ グッドイヤー
主要成績
通算獲得ポイント 1
優勝表彰台ポールFラップ
0000
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概要

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新たなデザイナーのデイヴ・ボールドウィンが加入し、新規に設計したマシン。当時のトップマシンであったマクラーレン・M23によく似た直線形のデザインであった。デビュー戦は1975年フランスグランプリ。ジィズ・ヴァン・レネップがドライブし予選22位、決勝15位であった。次戦イギリスグランプリではロエロフ・ヴンデリンクがドライブするも予選落ち、ドイツグランプリでレネップが再びドライブして6位入賞、1ポイントを獲得した。その後加入したクリス・エイモンがオーストリアとイタリアでドライブし、いずれも12位となり、最終戦アメリカグランプリで再びヴンデリンクがドライブするがリタイアに終わった。

1976年、エンサインをスポンサードしていたHBが独自のチームを設立しN175を購入、ボロ・001と改名して参戦した。ドライバーはラリー・パーキンス。初戦は第4戦スペイングランプリ。この年は6戦に参加し完走2回、リタイア3回、予選落ち1回でポイントを獲得することは無かった。1977年シーズンはブライアン・ヘントンを起用してオランダグランプリとイタリアグランプリに参加するが、オランダでは押しがけのため失格、イタリアでは予選落ちであった。ボロはF1から撤退し、マシンは売却された。

1978年は主にノンタイトル戦に参加する。第10戦イギリスグランプリにジェフ・リースのドライブで参加するが予選落ちに終わり、これが世界選手権最後となった。

F1における全成績

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(key) (太字ポールポジション

チーム シャシー タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント 順位
1975年 HBビウェイキング・チーム・エンサイン N175 G ARG
 
BRA
 
RSA
 
ESP
 
MON
 
BEL
 
SWE
 
NED
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
ITA
 
USA
 
1 12位
  ロエロフ・ヴンデリンク DNQ Ret
  ジィズ・ヴァン・レネップ 15 6
  クリス・エイモン 12 12
1976年 HBビウェイキング・アラーム・システムズ ボロ・001 G BRA
 
RSA
 
USW
 
ESP
 
BEL
 
MON
 
SWE
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
NED
 
ITA
 
CAN
 
USA
 
JPN
 
0 NC
  ラリー・パーキンス 13 8 DNQ Ret Ret Ret
1977年 HBビウェイキング・アラーム・システムズ ボロ・001 G ARG
 
BRA
 
RSA
 
USW
 
ESP
 
MON
 
BEL
 
SWE
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
NED
 
ITA
 
USA
 
CAN
 
JPN
 
0 NC
  ブライアン・ヘントン DSQ DNQ
1978年 マリオ・デリオッティ・レーシング N175 G ARG
 
BRA
 
RSA
 
USW
 
MON
 
BEL
 
ESP
 
SWE
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
NED
 
ITA
 
USA
 
CAN
 
0 NC
  ジェフ・リース DNQ

外部リンク

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