エマヌエル・ド・グラッフェンリード
エマヌエル・レオ・ルドウィグ・'トゥーロ'・ド・グラッフェンリード男爵(Baron Emmanuel Leo Ludwig 'Toulo' de Graffenried 、1914年5月18日 - 2007年1月22日)は、スイスのレーシングドライバー。彼はF1世界選手権23戦に出場、デビュー戦は1950年のイギリスグランプリで、生涯の通算成績は9ポイントであった。彼はまた数多くのノンタイル戦にも出走している[1]。
エマヌエル・ド・グラッフェンリード | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | スイス |
出身地 |
フランス 同・パリ |
生年月日 | 1914年5月18日 |
死没地 |
スイス 同・ヴォー州ロネ |
没年月日 | 2007年1月22日 (92歳没) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1950-1954,1956 |
過去の所属チーム |
'50,'51,'52,'53-'54,'56 マセラティ '51 アルファロメオ |
出走回数 | 23 (22スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 9 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1950年イギリスグランプリ |
最終戦 | 1956年イタリアグランプリ |
ド・グラッフェンリードのレース経歴は1936年に始まり、自らの所有するマセラティのヴォワチュレットで出走した。最も忘れられない結果のいくつかは自身のホームコース、ベルン近くのブレムガルテン・サーキットで達成された。彼はFIA世界選手権が行われる前年の1949年イギリスグランプリに勝利した。その後は6シーズンで7戦に出走、様々な結果を挙げた。最高の結果は1953年ベルギーグランプリの4位であった。
レースから引退すると、ド・グラッフェンリードはローザンヌで車の販売代理店を経営し、アルファロメオ、ロールス・ロイス、フェラーリなどを販売して生活費を稼いだ。また、彼は映画『スピードに命を賭ける男』の撮影でカーク・ダグラスのスタント・パーソンを務めた。その後彼は1970年代から1980年代にかけて多くのF1イベントに出演、フィリップモリスのマールボロブランドの宣伝を担当した。
1976年に開催された最終戦F1世界選手権インジャパンの観戦の為、来日している[2][3]。
ド・グラッフェンリードは最初のイギリスグランプリ優勝者と見なされ、1998年のシルバーストン・サーキット50周年祭では84歳で生涯最後のレーシングカーの運転を行った。彼は死去当時、FIAの第1回選手権である1950年イギリスグランプリに出走したドライバーの中で最後まで生き残った人物であった。
F1での年度別成績
編集年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1950年 | マセラティ/エンリコ・プラーテ | 4CLT/48 | GBR Ret |
MON Ret |
500 | SUI 6 |
BEL | FRA | ITA 6 |
NC (23位) |
0 | ||
1951年 | アルファロメオ | 159 | SUI 5 |
500 | BEL | ITA Ret |
ESP 6 |
16位 | 2 | ||||
マセラティ/エンリコ・プラーテ | 4CLT/48 | FRA Ret |
GBR | GER Ret |
|||||||||
1952年 | 4CLT | SUI 6 |
500 | BEL | FRA Ret |
GBR 19 |
GER | NED | ITA DNQ |
NC (24位) |
0 | ||
1953年 | A6GCM | ARG | 500 | NED 5 |
8位 | 7 | |||||||
マセラティ/バロン・デ・グラッフェンリード | BEL 4 |
FRA 7 |
GBR Ret |
GER 5 |
SUI Ret |
ITA Ret | |||||||
1954年 | A6GCM | ARG 8 |
500 | BEL | FRA | GBR | GER | SUI | ITA | ESP Ret |
NC (36位) |
0 | |
1956年 | マセラティ/セントロ・スッド | 250F | ARG | MON | 500 | BEL | FRA | GBR | GER | ITA 7 |
NC (33位) |
0 |
参照
編集- ^ “The Formula One Archives”. 2007年8月4日閲覧。
- ^ 三栄書房AUTO SPORTアーカイブ日本の名レース100選 001 ’76 F1 イン・ジャパン(2006年2月発行)
- ^ “『1枚の写真に写っていた紳士はレース界のレジェンドでした』”. ken@埼玉の備忘録. 2023年12月23日閲覧。 “1976年当時、サイトユーザーが撮影した写真で、当該雑誌にも掲載されている。”
- Obituary: 'Toulo' de Graffenried. (2007) Motor Sport, LXXXIII/4, p. 15
- “Drivers: Emmanuel de Graffenried”. www.GrandPrix.com. 2007年3月2日閲覧。
- “Former F1 driver Graffenried passes away”. GPUpdate.net (22 January 2007). 1 February 2011閲覧。
- “Baron Emmanuel Toulo de Graffenried”. www.HistoricRacing.com. 2007年3月2日閲覧。 [リンク切れ]
- “Emmanuel de Graffenried”. www.GPRacing.net192.com. 2007年3月2日閲覧。