1950年のインディ500
1950年のインディ500 | |||
前年: | 1949 | 翌年: | 1951 |
第34回インターナショナル500マイル・スィープステークス (34th International 500-Mile Sweepstakes) は1950年5月3日(火)にインディアナポリス・モーター・スピードウェイで開催された。本レースは1950年のAAAナショナル・チャンピオンシップ・トレイルの1戦として開催された。また、1950年のF1世界選手権の第3戦としても行われ、世界選手権ポイントが与えられた。しかしながら、ヨーロッパからのエントリーは無かった。ジュゼッペ・ファリーナは当初よりエントリーの予定であったが、彼の車は到着しなかった。インディ500は1960年まで世界選手権に組み込まれた。
レース詳細 | |
---|---|
日程 | 1950年のF1世界選手権 |
決勝開催日 | 5月30日 |
開催地 |
インディアナポリス・モーター・スピードウェイ インディアナ州スピードウェイ |
決勝日天候 | 雨 |
ポールポジション | |
ドライバー | ウォルト・フォールクナー |
ファステストラップ | |
ドライバー | ジョニー・パーソンズ |
決勝順位 | |
優勝 | ジョニー・パーソンズ |
2位 | ビル・ホランド |
3位 | マウリ・ローズ |
レースは当初200周で予定されたが、雨のため138周で終了した。
ジョニー・パーソンズのチームがエンジンブロックに修復できないひびを発見したという噂がレースの間とレース後に広まった。そして、それはラップリーダー賞を狙っていたパーソンズの勢いを落ち込ませた[1]。さらにまた、エンジンが壊れる前に雨でレースが終了したことは、おそらくパーソンズが勝利を確保するのを許し、彼の1日を節約することになった。しかしながら、エンジンブロックのひびは都市伝説であることが後に証明された[2]。
パーソンズは勝利し9ポイントを得たことで、初代世界チャンピオンの座に向かって争うジュゼッペ・ファリーナ、ファン・マヌエル・ファンジオとポイントで並んだ。また、世界選手権で優勝した初のアメリカ人となった。インディ500はパーソンズにとって1950年のF1世界選手権唯一のレースであったにもかかわらず、ランキング6位になるに十分なポイントが与えられた。
レース開催月を通して、クラーク・ゲーブルとバーバラ・スタンウィックが映画「スピード王」の撮影のためサーキットに留まった。スタンウィックは勝者に対する伝統的なお祝いのキスを行うため、レース後のヴィクトリーレーンに待機していた。
決勝
編集順位 | グリッド | No | ドライバー | コンストラクター | 予選速度 | 予選速度順位 | 周回 | ラップリード | タイム/リタイア理由 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 5 | 1 | ジョニー・パーソンズ | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 132.040 | 8 | 138 | 115 | 2:46:55.97 | 9 |
2 | 10 | 3 | ビル・ホランド | デイト-オッフェンハウザー | 130.480 | 21 | 137 | 8 | + 1 Lap | 6 |
3 | 3 | 31 | マウリ・ローズ | デイト-オッフェンハウザー | 132.310 | 6 | 137 | 15 | + 1 Lap | 4 |
4 | 12 | 54 | セシル・グリーン | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 132.910 | 2 | 137 | 0 | + 1 Lap | 3 |
5 | 9 | 17 | ジョーイ・チットウッド トニー・ベッテンハウゼン |
カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 130.750 | 19 | 136 | 0 | + 2 Laps | 1 1 |
6 | 23 | 8 | リー・ウォラード | ムーア-オッフェンハウザー | 132.430 | 5 | 136 | 0 | + 2 Laps | |
7 | 1 | 98 | ウォルト・フォールクナー | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 134.340 | 1 | 135 | 0 | + 3 Laps | |
8 | 4 | 5 | ジョージ・コナー | レソヴスキー-オッフェンハウザー | 132.160 | 7 | 135 | 0 | + 3 Laps | |
9 | 19 | 7 | ポール・ルッソ | ニケルズ-オッフェンハウザー | 130.790 | 18 | 135 | 0 | + 3 Laps | |
10 | 11 | 59 | パット・フラハーティ | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 129.600 | 30 | 135 | 0 | + 3 Laps | |
11 | 16 | 2 | マイロン・フォーア | マルケーゼ-オッフェンハウザー | 131.710 | 11 | 133 | 0 | + 5 Laps | |
12 | 13 | 18 | デュアン・カーター | スティーヴンス-オッフェンハウザー | 131.660 | 12 | 133 | 0 | + 5 Laps | |
13 | 26 | 15 | マック・ヘリングス | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 130.680 | 20 | 132 | 0 | + 6 Laps | |
14 | 6 | 49 | ジャック・マクグラース | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 131.860 | 10 | 131 | 0 | スピン | |
15 | 24 | 55 | トロイ・ラットマン | レソヴスキー-オッフェンハウザー | 131.910 | 9 | 130 | 0 | + 8 Laps | |
16 | 31 | 75 | ジーン・ハートレイ | ラングレー-オッフェンハウザー | 129.210 | 32 | 128 | 0 | + 10 Laps | |
17 | 27 | 22 | ジミー・デイヴィス | ユーイング-オッフェンハウザー | 130.400 | 23 | 128 | 0 | + 10 Laps | |
18 | 33 | 62 | ジョニー・マクドウェル | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 129.690 | 27 | 128 | 0 | + 10 Laps | |
19 | 20 | 4 | ウォルト・ブラウン | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 130.450 | 22 | 127 | 0 | + 11 Laps | |
20 | 14 | 21 | トラヴィス・ウェッブ | マセラティ-オッフェンハウザー | 129.740 | 26 | 126 | 0 | + 12 Laps | |
21 | 15 | 81 | ジェリー・ホイト | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 129.520 | 31 | 125 | 0 | + 13 Laps | |
22 | 29 | 27 | ウォルト・アデアー | ラエ-オッフェンハウザー | 129.940 | 25 | 123 | 0 | + 15 Laps | |
23 | 30 | 77 | ジャッキー・ホームズ | オルソン-オッフェンハウザー | 129.690 | 28 | 123 | 0 | スピン | |
24 | 28 | 76 | ジム・ラスマン | ウェッテロス-オッフェンハウザー | 129.950 | 24 | 122 | 0 | + 16 Laps | |
25 | 21 | 12 | ヘンリー・バンクス | マセラティ-オッフェンハウザー | 129.640 | 29 | 112 | 0 | オイル系統 | |
26 | 22 | 67 | ビル・シンドラー | スノーバーガー-オッフェンハウザー | 132.690 | 4 | 111 | 0 | トランスミッション | |
27 | 17 | 24 | ベイリス・レヴレット ビル・カントレル |
アダムス-オッフェンハウザー | 131.180 | 14 | 108 | 0 | 油圧 | |
28 | 2 | 28 | フレッド・アガバシアン | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 132.790 | 3 | 64 | 0 | オイル漏れ | |
29 | 32 | 61 | ジミー・ジャクソン | カーティス・クラフト-カミンズ | 129.200 | 33 | 52 | 0 | コンプレッサー | |
30 | 25 | 23 | サム・ハンクス | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 131.590 | 13 | 42 | 0 | 油圧 | |
31 | 8 | 14 | トニー・ベッテンハウゼン | デイト-オッフェンハウザー | 130.940 | 16 | 30 | 0 | ホイールベアリング | |
32 | 18 | 45 | ディック・ラスマン | ワトソン-オッフェンハウザー | 130.920 | 17 | 25 | 0 | エンジンストール | |
33 | 7 | 69 | デューク・ディンスモア | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | 131.060 | 15 | 10 | 0 | オイル漏れ |
注
編集- ポールポジション:ウォルト・フォールクナー - 4:27.97
- 最速リードラップ:ジョニー・パーソンズ - 1:09.77
- シェアード・ドライバー:
- ジョーイ・チットウッド(82ラップ)とトニー・ベッテンハウゼン(54ラップ)。チットウッドはベッテンハウゼンがリタイアした後走行。5位のポイントは両名で分け合った。
- ヘンリー・バンクス(71ラップ)とフレッド・アガバシアン(41ラップ)。
- ベイリス・レヴレット(105ラップ)とビル・カントレル(3ラップ)。
- ファイアストンの世界選手権における初勝利。
予選
編集予選落ち
編集第3戦終了時点でのランキング
編集順位 | ドライバー | ポイント | |
---|---|---|---|
1 | ニーノ・ファリーナ | 9 | |
2 | ファン・マヌエル・ファンジオ | 9 | |
31 | 3 | ジョニー・パーソンズ | 9 |
1 | 4 | ルイジ・ファジオーリ | 6 |
1 | 5 | アルベルト・アスカリ | 6 |
- 注:トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。
放送
編集ラジオ
編集レースはミューチュアル・ブロードキャスティング・システム、後のIMSラジオネットワークによって実況中継された。放送はパーフェクト・サークル・ピストンリングの提供でビル・スレーターが中継した。シド・コリンズがレポートを担当し、レース終了後の勝利者インタビューを行った。放送はスタートとフィニッシュ、レースの間中生中継を行った。
レースの前、病気のためスレーターが出演できないかもしれないと伝えられた。WIBCのパーソナリティであるシド・コリンズが代役として指名されたが、スレーターはレース当日に間に合った。コリンズは以前にレポーターを務めていたが、ブースの共同アンカーを担当した[3]。コリンズは史上初めてヴィクトリーレーンで優勝者インタビューを行った。インタビューは雨の中行われたが、コリンズはパーソンズの車の熱くなったエキゾーストパイプでズボンを燃やしてしまったとされる。
ミューチュアル・ブロードキャスティング・システム | ||
---|---|---|
ブースアナウンサー | ターンレポーター | ピットレポーター |
南ターン: E. Z. グイン |
ゴードン・グラハム シド・コリンズ(ヴィクトリーレーン) |
テレビ
編集レースはインディアナポリスのローカルテレビ局、WFBM-TVで2年連続で生中継された。アール・タウンゼントジュニアがアナウンサー、ディック・ピッテンジャーとポール・ロバーツが解説。レース後、スピードウェイ側はゲート・アテンダントが否定的に伝えられたことからWFBMに対して再放送を許可しなかった。
WFBM-TV | |
---|---|
実況 | ピットレポーター |
実況:アール・タウンゼント, Jr |
ポール・ロバーツ |
参照
編集- ^ "Great Moments From the Indy 500" (VanCamp's Pork and Beans Presents/Freetwood Sounds), 1975
- ^ "The Talk of Gasoline Alley" - WFNI, May 20, 2012
- ^ Davidson, Donald (2012年5月24日). “IMS Radio Network celebrates 60th anniversary”. Indianapolis Motor Speedway 2012年8月13日閲覧。
外部リンク
編集- Indianapolis 500 History: Race & All-Time Stats - Official Site
- Unless otherwise indicated, all race results are taken from “The Official Formula 1 website”. 2007年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月5日閲覧。
- 1950 Indianapolis 500 Radio Broadcast, Mutual
- Van Camp's Pork & Beans Presents: Great Moments From the Indy 500 - Fleetwood Sounds, 1975
- 1950 Indianapolis 500 at RacingReference.info (Relief driver statistics)
前戦 1950年モナコグランプリ |
FIA F1世界選手権 1950年シーズン |
次戦 1950年スイスグランプリ |
前回開催 1949年インディ500 |
インディ500 | 次回開催 1951年インディ500 |