和泉 (防護巡洋艦)
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2023年4月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
和泉(いずみ / いづみ)は、日本海軍の防護巡洋艦。艦名は旧国名「和泉国」にちなんで名づけられた。元はチリ海軍の「エスメラルダ」(スペイン語: Esmeralda、「エメラルド」の意味)。世界で最初に完成した防護巡洋艦である[2]。
和泉 | |
---|---|
1908年、佐世保にて | |
基本情報 | |
建造所 | アームストロング社エルジック造船所 |
運用者 |
チリ海軍 大日本帝国海軍(1895年〜) |
艦種 | 防護巡洋艦 |
級名 | 和泉型防護巡洋艦 |
艦歴 | |
起工 | 1881年4月5日 |
進水 | 1883年6月16日[要出典] |
竣工 | 1884年7月15日 |
就役 | 1884年10月16日 |
その後 |
1894年11月25日に日本海軍が購入、1895年1月8日に艦籍に編入 1912年4月1日に除籍、1913年1月15日 売却解体 |
改名 |
エスメラルダ(建造時) 和泉(1895年〜) |
要目 | |
常備排水量 | 2,950 トン |
全長 | 82.2 m |
最大幅 | 12.8 m |
吃水 | 5.6 m |
機関 | 二軸レシプロ蒸気機関 |
ボイラー | ベルヴィール石炭専焼缶 4基 |
出力 | 5,500 hp |
速力 | 18.0 ノット |
燃料 | 石炭600t |
乗員 | 300名 |
兵装 |
安式30口径25.4cm単装砲 2基(1902年以降は安式45口径15.2cm単装速射砲 2基) 安式40口径15.2cm単装砲 6基(1902年以降は安式40口径12cm単装速射砲6基) 5.7cm砲 2基 40mm砲 5基 機銃 2挺 35.6cm(後に45.7cm)水上魚雷発射管 3門 |
装甲 |
甲板水平部:12mm 甲板傾斜部:25mm |
その他 | 信号符字:GQHB(1894年〜)[1] |
艦歴
編集チリ時代
編集アームストロング・ミッチェル社ロー・ウォーカー造船所で建造[2]。1881年4月5日起工[2]。1883年6月6日進水[2]。1884年7月15日竣工[2]。
1891年1月に始まった内戦では議会派が海軍を掌握しており、「エスメラルダ」もそちら側に属す[3]。1月6日時点で「エスメラルダ」は「ブランコ・エンカラダ」、「O'Higgins」、「マガジャネス」とともに就役状態でバルパライソ湾にあった[4]。まず「エンカラダ」はタルカワノへ新兵帳簿と兵器、資金調達のため派遣され、その後はタラパカ州州沿岸の封鎖支援に向かっている[5]。2月19日のイキケでの戦闘の際は「エスメラルダ」も砲撃を行った[6]。
3月12日の夜明け、「エスメラルダ」は「Imperial」(政府側の水雷砲艦の母艦)と遭遇[7]。追跡したが、船底が汚れていた「エスメラルダ」は距離を詰めることができなかった[8]。夕刻には窯から灰をかき出すため「Imperial」が速度を落とすといったこともあったが、結局日没後に「Imperial」には逃げられた[8]。
議会派の軍は8月20日にバルパライソの北に上陸し、28日にバルパライソを占領した[9]。その前の8月18日、そのような進攻を支持者へ伝える合図として「エスメラルダ」はConcón沖で発砲した[10]。その後Forts Valdiviaから砲撃を受けたが被害はなかった[11]。8月20日、バルパライソから出てきた水雷艇「Sargente Aldea」、「Guale」を「エスメラルダ」と「マガジャネス」、「Biobio」は追い払った[12]。8月21日、議会派の軍のアコンカグア川渡河の際、「エスメラルダ」は「O'Higgins」などと共に支援[13]。8月23日のFort Callao攻撃時には「エスメラルダ」は「アルミランテ・コクレーン」、「O'Higgins」とともに砲撃を行った[14]。
売却
編集1894年に日清戦争に伴う戦力増強のため、チリ政府から日本海軍が購入した。この購入案は海軍ではなく内務省県治局長であった江木千之の案で、江木が内務大臣井上馨を説得し、井上が内閣に提出したものである[15]。
この時チリは中立を維持するために、「エスメラルダ」を一旦エクアドル政府に売却してから日本に売り渡した[16]。引き渡しはガラパゴス諸島で行われ、日本に到着するまでエクアドル国旗は降ろされなかった[17]。
日本時代
編集1895年(明治28年)1月8日、艦籍に編入され「和泉」と命名、横須賀鎮守府の所管と定められた[18]。2月5日、横須賀に到着し、金州警備に従事した。
1898年(明治31年)3月から翌年にかけて、横須賀造船廠で主罐を換装した。3月21日、三等巡洋艦に類別。
1900年(明治33年)の義和団の乱では厦門警備に従事した。
1901年(明治34年)から翌年にかけて横須賀造船廠で主砲の安式(アームストロング)30口径25.4cm単装砲2基を安式45口径15.2cm単装速射砲2基に換装した。同時に副砲の安式40口径15.2cm単装砲6基を安式40口径12cm単装速射砲6基に換装した。また魚雷発射管を35.6cmから45.7cmに換装した。ファイティング・トップ(ミリタリーマストの速射砲を据えるスペース)も撤去された。
1903年(明治36年)12月28日、第三艦隊(司令長官:片岡七郎中将、旗艦:防護巡洋艦厳島)隷下の第六戦隊(須磨(戦隊旗艦)、和泉、千代田、秋津洲、司令官:東郷正路少将)に配属される。
日露戦争に際しては、旅順攻略作戦、対馬海峡警備、日本海海戦、樺太作戦等に参加した。日本海海戦では、(1905年5月27日の)午前6時過ぎに仮装巡洋艦信濃丸からバルチック艦隊への触接任務を引き継いだ。また装甲巡洋艦「ヴラジーミル・モノマフ」と砲戦を行った。
1912年(明治45年)4月1日に除籍され、翌年1月13日に売却、1月15日に引き渡され長崎で解体された。
和泉の船首に付いていた菊花紋章は現在、記念艦三笠内に展示されている。
艦長
編集※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 島崎好忠 大佐:1895年2月20日 - 1896年6月5日
- 高木英次郎 大佐:1896年6月5日 - 1896年11月17日
- 早崎源吾 大佐:1896年11月17日 - 1898年3月11日
- 斎藤孝至 大佐:1899年9月29日 - 1900年9月25日
- 成田勝郎 大佐:1900年9月25日 - 1901年5月16日
- 八代六郎 大佐:1901年10月1日 - 10月21日
- 鏑木誠 大佐:1901年11月13日 - 1902年10月23日
- 和田賢助 大佐:1902年10月23日 - 1903年4月12日
- 池中小次郎 中佐:1903年9月26日 -
- 石田一郎 大佐:1905年5月8日 - 12月12日
- 茶山豊也 大佐:1905年12月12日 - 1906年4月1日
- 真野巌次郎 大佐:1906年9月28日 - 1907年2月4日
- (兼)荒川規志 大佐:1907年2月4日 - 2月28日
- 東郷吉太郎 中佐:1907年2月28日 - 9月28日
- 山口九十郎 大佐:1907年9月28日 - 1908年9月25日
- 森義臣 大佐:1908年9月25日 - 11月20日
- 高木七太郎 中佐:1908年12月10日 - 1909年7月10日
- 舟越楫四郎 中佐:1909年7月10日 - 10月11日
- 小林恵吉郎 中佐:1909年12月1日 - 1911年12月1日
エルジック・クルーザー
編集本艦はいわゆるエルジック・クルーザーの原点である。これはエスメラルダがアームストロング社のエルジック造船所で建造されたことに由来する呼称だが、本艦と同形式の設計で造られた防護巡洋艦は、他の造船所で建造されていてもエルジック・クルーザーという俗称で呼ばれる。
日本のエルジック・クルーザー
編集現存物
編集石川県鳳珠郡穴水町大町にある穴水大宮の境内には、和泉の副砲とされる砲が野外保存されている。同町内の美麻奈比古神社の境内にも、和泉のものとされる砲が保存されている。
脚注
編集- ^ #信号符字点附 画像1『三月七日 軍艦和泉ヘ點附ノ信號符字 ○逓信省告示第五十號 軍艦和泉ヘ點附ノ信號符字ハ左ノ如シ 明治二十八年三月七日 逓信大臣伯爵黑田淸隆 信號符字 艦名 GQHB 和泉 Idzumi』
- ^ a b c d e "The Elswick Cruisers Part I", p. 159
- ^ Ironclads at War, pp. 319-320
- ^ Four Modern Naval Campaigns, p. 136
- ^ Four Modern Naval Campaigns, pp. 137, 139
- ^ Four Modern Naval Campaigns, pp. 147-148
- ^ Ironclads at War, pp. 320-321
- ^ a b Ironclads at War, p 321
- ^ Ironclads at War, pp. 322-323
- ^ Four Modern Naval Campaigns, p. 174
- ^ Four Modern Naval Campaigns, pp. 174-175
- ^ Four Modern Naval Campaigns, p. 175
- ^ Four Modern Naval Campaigns, p. 179
- ^ Ironclads at War, pp. 322-323, Four Modern Naval Campaigns, p. 182
- ^ 江木千之翁経歴談刊行会 編刊『江木千之翁経歴談 上』(1933) 204-209頁
- ^ 細野昭雄 (2012年1月). “特別寄稿 「坂の上の雲」の時代の日本とラテンアメリカ” (PDF). 国際開発研究者協会. 2018年8月21日閲覧。
- ^ Mario Barros Van Buren, "Historia Diplomatica de Chile, 1541-1938", Editorial Andres Bello, 2nd Edition 1958, page 547, gbooks
- ^ #28年達完 画像1『達第一號 今般購入ノ軍艦ヲ和泉ト命名セラル 明治二十八年一月八日 海軍大臣伯爵西郷從道 達第二號 軍艦和泉ヲ横須賀鎭守府所管ト定メラル 明治二十八年一月八日 海軍大臣伯爵西郷從道』
参考文献
編集- 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡Ⅰ』光人社、1989年。 ISBN 4-7698-0455-5
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 『官報』
- アジア歴史資料センター(公式)
- 『明治28年 達 完:1月』。Ref.C12070034700。
- 『公文類聚・第十九編・明治二十八年・第二十七巻・交通(郵便~船車):軍艦和泉ヘ點附ノ信號符字』。Ref.A15113036700。
- Jack Greene, Alessandro Massignani, Ironclads at War: The Origin and Development of the Armored Warship, 1854-1891, Combined Publishing, 1998, ISBN 0-938289-58-6
- William Laird Clowes, Four Modern Naval Campaigns: Historical, Strategical, and Tactical with Maps and Plans, Unit Library, 1902
- Peter Brook, "The Elswick Cruisers: Part I. The Early Types", Warship International, JUNE 30, 1970, Vol. 7, No. 2 (JUNE 30, 1970), pp. 154-176
関連項目
編集- 嶋田繁太郎 - 少尉候補生として乗艦、日本海海戦に参加