アルトワ家
アルトワ家(フランス語:maison d'Artois)は、中世フランス王国の貴族の家系。カペー家のフランス王ルイ8世の子ロベール1世が1237年にアルトワ伯領を与えられ成立した。
概要
編集1302年にロベール2世が死去したのち、ロベール2世の娘マオーと孫ロベール3世とが継承権を争った。パリ議会はマオーの伯領継承を支持し、ロベール3世はボーモン=ル=ロジェを相続したが、のちロベールは文書を偽造した罪で領地を没収され、イングランドへと逃亡した。ロベールにとって義兄にあたるフランス王フィリップ6世はイングランド王エドワード3世にロベールの引き渡しを要求したが、エドワード3世はこれを拒否し、このことがフランスとイングランドとの関係をさらに悪化させ、百年戦争の一因ともなった[1]。ロベール3世の息子ジャンは20年後の1350年にウー伯を与えられたが、同家は1472年に男子後継者なく断絶した。
マオーが継承したアルトワ伯位は、アンスカリ=シャロン家、カペー家を経て、フランドル家からヴァロワ=ブルゴーニュ家へと渡り、ブルゴーニュ公国の一部となった。また、アルトワ家が男系で相続したウー伯位はヴァロワ=ブルゴーニュ家を通してクレーフェ公家が継承した。
系図
編集ルイ8世 フランス王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイ9世 フランス王 | ロベール1世 アルトワ伯 | シャルル アンジュー伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カペー家 フランス王家 | アンスカリ家 | ロベール2世 アルトワ伯 | アミシー・ド・クルトネー (ピエール2世の甥ピエール娘) | アンジュー=シチリア家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オトン4世 ブルゴーニュ伯 | マオー アルトワ女伯 | フィリップ | ロベール | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリップ5世 フランス王 | ジャンヌ1世 ブルゴーニュ女伯 アルトワ女伯 | ブランシュ =シャルル4世 フランス王 | ロベール ブルゴーニュ伯 | ロベール3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ウード4世 ブルゴーニュ公 | ジャンヌ2世 ブルゴーニュ女伯 アルトワ女伯 | マルグリット1世 ブルゴーニュ女伯 アルトワ女伯 | ルイ1世 フランドル伯 | ジャン ウー伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリップ | ルイ2世 フランドル伯 ブルゴーニュ伯 アルトワ伯 | ロベール4世 ウー伯 | フィリップ ウー伯 | マリー オーヴェルニュ女公 (ベリー公ジャン1世娘) | ジャン1世 ブルボン公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリップ1世 ブルゴーニュ公 ブルゴーニュ伯 アルトワ伯 | マルグリット3世 フランドル女伯 ブルゴーニュ女伯 アルトワ女伯 | フィリップ2世 ブルゴーニュ公 | シャルル ウー伯 | ブルボン家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャン1世 ブルゴーニュ公 フランドル伯 ブルゴーニュ伯 アルトワ伯 | ボンヌ | フィリップ ヌヴェール伯 ルテル伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリップ3世 ブルゴーニュ公 フランドル伯 ブルゴーニュ伯 アルトワ伯 | シャルル ヌヴェール伯 ルテル伯 | ジャン ヌヴェール伯 ルテル伯 ウー伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴァロワ=ブルゴーニュ家 | ヨハン1世 クレーフェ公 | エリザベート ヌヴェール伯継 ウー伯継 | シャルロット ルテル伯継 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
クレーフェ公家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引用
編集- ^ 朝治、p.104
参考文献
編集- 朝治啓三他 編著 『中世英仏関係史1066-1500』 創元社、2012年