フィリップ・ド・ブルゴーニュ (1389-1415)

フィリップ・ド・ブルゴーニュPhilippe de Bourgogne, 1389年12月 - 1415年10月25日)は、ブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディとその妻のフランドル女伯マルグリット3世の間の末息子[1]ヌヴェール伯(在位:1405年 - 1415年)およびルテル伯(在位:1407年 - 1415年)。ヌヴェール伯としては「フィリップ2世(Philippe II de Nevers)」と数えられる。

フィリップ・ド・ブルゴーニュ
Philippe de Bourgogne
ヌヴェール伯
ルテル伯
在位 ヌヴェール伯:1405年 - 1415年
ルテル伯1407年 - 1415年

出生 1389年12月
ヴィレーヌ=アン=デュモワ英語版
死去 (1415-10-25) 1415年10月25日(25歳没)
アジャンクール
配偶者 イザベル・ド・クシー
  ボンヌ・ダルトワ
子女 フィリップ
マルグリット
シャルル
ジャン
家名 ヴァロワ=ブルゴーニュ家
父親 ブルゴーニュ公フィリップ2世
母親 フランドル女伯マルグリット3世
テンプレートを表示
ヌヴェール伯フィリップの紋章

生涯

編集

ブルゴーニュ公爵夫妻の第9子、五男として生まれた。長兄ジャン・サン・プールはブルゴーニュ公、次兄アントワーヌブラバント公、長姉マルグリットはバイエルン公ヴィルヘルム2世の妻、次姉カトリーヌはオーストリア公レオポルト4世の妻、三姉マリーはサヴォイア伯アメデオ8世(対立教皇フェリクス5世)の妻である。

1404年に父が死ぬと、翌1405年4月にアラスで2人の兄と相続協定を結び、分封領としてヌヴェール伯領を分与された[2]。1407年1月、次兄アントワーヌがブラバント公位に就いたことに伴う相続協定の修正により、アントワーヌからルテル伯領をも譲られた[2]

フィリップは百年戦争中に勃発したアルマニャック・ブルギニョン内戦英語版において長兄ジャン・サン・プールを支持したものの、イングランド王ヘンリー5世と同盟することはせず、1415年のアジャンクールの戦いに次兄アントワーヌと一緒にフランス軍側で参戦し、戦死した。

子女

編集

1409年4月9日、ベッドフォード伯・ソワソン伯クシー領主英語版アンゲラン7世の娘イザベル(1411年没)と結婚した。間に2人の子女をもうけるが、いずれも夭折した。

  • フィリップ(1410年 - 1415年)
  • マルグリット(1411年生、夭折)

1413年6月20日、ウー伯フィリップの娘ボンヌ・ダルトワと再婚し、2人の息子をもうけた。

  • シャルル(1414年 - 1464年) - ヌヴェール伯、ルテル伯
  • ジャン(1415年 - 1491年) - エタンプ伯、ヌヴェール伯、ルテル伯

脚注

編集
  1. ^ Miroslav Marek (10 September 2004). “Philippe, Cte de Nevers et de Rethel(capet25:A5.)”. genealogy.euweb.. 2012年10月21日閲覧。
  2. ^ a b 堀越孝一 『ブルゴーニュ家』 講談社現代新書、1996年、P30
先代
ジャン・サン・プール
ヌヴェール伯
1405年 - 1415年
次代
シャルル
先代
アントワーヌ
ルテル伯
1407年 - 1415年
次代
シャルル