ロベール4世・ダルトワ
ロベール4世・ダルトワ(Robert IV d'Artois, 1356年 - 1387年7月20日)は、ウー伯ジャン・ダルトワとイザベル・ド・ムランの息子で、ウー伯(在位:1387年4月 - 7月)。
ロベール4世・ダルトワ Robert IV d'Artois | |
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ウー伯 | |
在位 | 1387年 |
出生 |
1356年 |
死去 |
1387年7月20日 ナポリ王国、卵城 |
埋葬 | ナポリ王国、サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会 |
配偶者 | ジョヴァンナ・ディ・ドゥラッツォ |
家名 | アルトワ家 |
父親 | ウー伯ジャン・ダルトワ |
母親 | イザベル・ド・ムラン |
生涯
編集1376年ごろ、ドゥラッツォ公カルロの娘ジョヴァンナ・ディ・ドゥラッツォと結婚した[1]。ロベール4世は1387年4月6日にサン=ヴァレリーおよびオーとともにウー伯領を継承したが、当時ナポリにおり父の死を知らなかった。1387年7月20日、ジョヴァンナの妹でナポリ摂政マルゲリータの命により、ロベール4世と妃は卵城(Castel dell'Ovo)に滞在中に毒殺された。ロベール4世とジョヴァンナはナポリのサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会に埋葬された。
ロベール4世とジョヴァンナの間には子供がいなかった。ウー伯位は弟のフィリップが継承した。
脚注
編集- ^ Setton 1975, p. 216.
参考文献
編集- Setton, Kenneth M. (1975). “The Catalans in Greece”. In Hazard, Harry W.. A History of the Crusades: The Fourteenth and Fifteenth centuries. III. University of Wisconsin Press
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