Wikipediaにおいて、亜流の理論(Fringe theory)という用語は、ある分野において広く受け入れられている、あるいは主流の見解から、著しく逸脱している考えについて論じる際、広い意味で用いられます。

Wikipediaは、重要な観点を、その支持度に応じて重み付けしたうえで要約することを目指しており、亜流の理論を実情以上に特筆性があるかのように、また、広く認められているかのように見せるべきではありません。ある考えの真実性に関する記述は、独立した信頼できる情報源に基づかなければなりません。主流の考えに関する記事において、当該の分野において広く支持されていない考えには、不当な重み付けを与えるべきではありません。さらに、亜流の理論的な考えと、主流の考えの関係性を、真剣かつ十分に支持する、信頼できる情報源を引用しなければなりません。

これらの要件には、多くの理由があります。Wikipediaは重要でない主題を正当化する情報源ではありませんし、そうあってはなりません。また、Wikipediaは独自研究のフォーラムではありません(独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成も参照)。Wikipediaの執筆者・編集者が中立的な方法で、論争を呼ぶ考えについて記述するにあたっては、十分な信頼性・品質を備えた、独立した二次資料において論じられていることをそのまま記述することがきわめて重要です。

Wikipediaの亜流の理論に関する立ち位置は、いわゆる「三大方針」、すなわち中立的な観点独自研究は載せない検証可能性にもとづきます。これらの方針から、Wikipedia中の記事において、独自の分析や情報の合成をふくんではならず、疑義を挟みうる内容には信頼できる情報源が必要であり、信頼できる情報源に掲載された、多数派および重要な少数派の見解は、各観点の比重に応じて公平に描写すべきであることがわかります。この文書に方針と食い違う内容が含まれる場合には、方針が優先されます。

亜流の理論とは

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Wikipediaにおいては、「亜流の理論」の語は、ある分野において広く受け入れられている、あるいは主流の見解から、著しく逸脱している考えについて論じる際、非常に広い意味で用いられます。例えば、科学における亜流の理論とは、主流の科学から著しく逸脱し、学術的な支持がほとんど、あるいはまったく得られていない学説を指します。また、陰謀論や、医学に関する神秘主義的主張なども、例として挙げられます。学術的観点は、一般的に、主流の見解が何であるかと特定するための、もっとも権威ある情報源となります。しかし、これにも、少なくとも2つの留意点があります。ひとつは、すべての主題にそれ専用の学術的専門分野が存在するとは限らないという点、もうひとつは、専門分野が異なる学者の意見を不当に重み付けすべきではないという点です。

信頼できる情報源が疑似科学的である、または亜流の理論であると指摘している話題を扱う際、編集者は、疑似科学的・亜流の見解を、科学的・学術的なコンセンサスと並列し、あたかも対立するが同等の見解であるかのように提示しないよう注意しなければなりません。疑似科学が記事にとって重要な要素となる場合もありますが、それによって主流の見解の説明やその重要性が曖昧になってはなりません。

亜流の理論のスペクトラム

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すべての疑似科学・亜流の理論が一律の立場にあるわけではありません。また、疑似科学と疑わしい科学(questionable science)のあいだにはおおよその境界線が存在し、これらには慎重に取り扱う必要性があります。不適切に実施された研究、研究不正、その他の悪い科学(bad science)は必ずしも疑似科学であるというわけではありません。これらの適切な特徴づけを行うには、信頼できる情報源を参照してください。

疑似科学

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科学的であると主張されている一方、明らかに虚偽である言説は、特別な根拠なしでも疑似科学としてラベリング・分類することができます。例えば、永久機関は実現不可能であることは、普遍性のある科学的見解です。よって、スタンリー・メイヤーの水燃料電池をはじめとする、あらゆる永久機関を自称するものは疑似科学と扱われます。また、占星術のような、科学的界において一般に疑似科学として扱われる言説に関しても、その情報を適切に記載し、疑似科学として分類することが妥当な場合があります。

  •   疑似科学(科学的であることを主張しているが、科学的でない言説):弦理論により、クォークと星々が直列すると流水から電気が生じることが証明できる。
  •   疑似科学でない(科学的であることを主張していない言説):サンタクロースは、空飛ぶ魔法のトナカイに乗っている。

疑わしい科学

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多くの支持者がいる一方で、批判者から疑似科学と見なされている仮説に関する記事では、そうした批判的見解を記載することができます。ただし、学術的な議論が依然として合理的な範囲で存在する場合、それらの仮説を明確に疑似科学と断定すべきではありません。

代替理論の構築

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科学界における代替理論の構築(alternative theoretical formulations)は、疑似科学ではなく、科学的プロセスの一部です。それらを疑似科学として分類すべきではありませんが、主流の見解との関係を適切に位置づける必要があります。こうした理論は、現実の特定の側面を説明できないこともありますが、説明に成功すれば通常、速やかに受け入れられます。例えば、大陸移動説は当初、既知のメカニズムが存在しないことや、提唱されたメカニズムが非現実的と考えられたため、強く批判されていました。しかし、プレートテクトニクスによる移動のメカニズムが発見されると、この理論は主流の学説となりました。別のケースでは、代替理論がその妥当性を示す十分な証拠を欠いていることがありますが、証拠が得られれば主流の理論へと昇格する可能性があります。例えば、トロイの実在、ノース人によるアメリカ大陸の植民地化、そしてビッグバン理論などがその例です。

あるものが疑似科学であるのか、それとも単なる代替理論の構築なのかを判断するには、次の点を考慮してください。代替理論の構築は、一般に、科学の最前線における事象を微調整であるか、既存理論では説明するのが困難な、強力な科学的証拠を前提に、現実をより適切に説明するモデルを作ろうとするものです。一方で、疑似科学は、支持者が存在すると信じたい現象を成り立たせるために、自然の基本法則そのものの変更を提案する傾向がありますが、そのような大幅な変更を正当化するだけの強力な科学的証拠や厳密さを欠いています。疑似科学は通常、主流の科学理論や方法論を攻撃する一方で、自らは批判的な議論を欠いています(創造科学の支持者に一般的に見られる傾向です)。また、逸話的証拠や統計的に弱い証拠(例えば超心理学におけるもの)に依存したり、疑わしい理論的前提(例えばホメオパシーの支持者による水の記憶英語版の主張)の上に成り立っていたりします。

出典付与

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信頼できる情報源

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Wikipediaのあらゆる記事には、信頼できる情報源が必要です。これは、ある考えが特筆性を持ち、それに関する専用の記事を作成するに値することを示すために必要とされます。亜流の見解を、主流の見解に関する記事で論じるためには、独立した信頼できる情報源が、そうした考えと、主流の考えの関係性を、真剣かつ十分に議論していなければなりません。

Wikipediaにおける信頼できる情報源には、査読付きの学術誌、大学出版の書籍、大学レベルの教科書、著名な出版社が刊行する雑誌・学術誌・書籍、そして主流の新聞が含まれます。学術誌や査読付きの出版物は、それらが利用可能な分野では通常、最も信頼できる情報源とされますが、学術的でない信頼できる情報源からの資料も、これらの分野で使用されることがあります。

Wikipediaにおいて、ある主題がどの程度の注目を受けるかは、その記事が書かれる情報源の詳細度に比例します。例えば、特定の主題についての言及がニュースソースにしか存在しない場合、それらのニュースソースに記載されている以上の詳細な情報を掲載することは不適切です。これは、Wikipediaの方針により独自研究が禁止されているためです(独自研究は載せない)。この方針は、既存の二次情報源からの情報の収集と整理を強く推奨するとともに、一次情報源の慎重な使用を認めています。

独立した情報源

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亜流の理論について論じる際、また、それらの理論の特筆性と支持度をはっきりさせる際に用いる資料としては、亜流の理論自体のエコシステムの外側にある、独立した信頼できる情報源がふさわしいです。特に、亜流の理論のさまざまな側面に関して、記事が割くべき紙幅は、主として独立した情報源にもとづくべきです。独立した情報源が言及していない要素について、記事の紙幅を割くべきではありません。亜流の理論的な資料は、独立した情報源に注目し、独立した情報源との適切な文脈が与えられている場合には、その補足のために用いることができます。

情報源の均衡性

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亜流の理論およびその批判に関連する内容を、記事中に含めるかどうかの如何は、おおまかには情報源の均衡性(parity of sources)によって判断される場合があります。多くの査読済み文献があるような主題について記事を執筆する場合、査読を受けていない不明瞭な文献にしか情報源を持たない亜流の理論を含めるべきではありません。亜流の理論に関する学術誌が存在し、その中には査読を謳うものもあることに留意してください。しかし、こうした学術誌が亜流の理論の推進者以外による意味のある査読を実施していることは稀であり、通常は信頼できないものと考えるべきです。信頼できない学術誌の例としては、Creation Research Society Quarterly英語版Homeopathy英語版といったものが挙げられます。

亜流の理論的主題に関する記事において、特筆性のある亜流の理論が主にアマチュアや自己出版された文献によって記述されている場合、その亜流の理論への検証可能で信頼できる批判が査読付き学術誌に掲載されている必要はありません。例えば、アポロ計画陰謀論に関する記事には、査読を受けていない信頼できるウェブサイト、映画、テレビ特集、書籍などの資料を含めることができます。同様に、それらの資料に対する批判も、査読付きでない信頼できるウェブサイトや書籍から引用することが可能です。ただし、どのような観点であっても、記事に記述される際には信頼できる情報源のみが使用されるべきです。Wikipediaの検証可能性および存命人物の伝記に関する方針は、対象が亜流の理論であるという理由で停止されるものではありません。

「情報源の均衡性」という概念は、特定の亜流の理論が、通常Wikipediaにおける科学的な主題の信頼できる情報源とは異なる媒体でのみ、信頼性をもって報告・批判されていることを意味して用いられる場合があります。例えば、創造科学に関する査読付き媒体における批判が不足していることを理由に、科学的な観点からの創造科学批判を周縁化したり除外したりするべきではありません。なぜなら、創造科学自体、査読付き学術誌に掲載されるような主題ではないからです。同様に、創造科学に関する記事において、支持者の見解を、その研究が査読を受けていないという理由だけで除外するべきではありません。他の特筆性に関する考慮事項も考えられるべきです。亜流の見解は、主流の主題に関する記事において、信頼できる情報源がその主題について言及することがほとんどない、あるいは全くない場合に限り、適切に除外されます。

亜流の見解の支持度は、当該分野全体の見解と比較して評価される必要があります。この相対的な視点を、特定の限られた専門家の集団や、その見解の支持者の間のみに限定することは、必然的に、バイアスがかった、代表性を欠いた結論をうみだします。

情報源への帰属

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Wikipediaは、三次資料として機能することを意図しています。すなわち、Wikipediaは二次資料から得られた情報を要約すべきであり、場合によっては一次資料も参照します。研究や調査に関する一次資料は、あくまで記事内の記述を検証するためのみに使用されるべきであり、それらにのみ依拠することはWikipediaの独自研究に関する方針に違反します。特に、知名度の低い亜流の理論については、それを扱う二次資料の信頼性を慎重に評価する必要があります。

引用

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ある視点を情報源に適切に帰属させることは、Wikipediaにおける中立的な観点の最低限の要件を満たします。さらに、編集上の責務として、検証可能で中立的なWikipediaの記事を作成するという目的を果たすために寄与する引用や視点のみを含めるべきです。論争の的となる、または誤解を招く可能性のある引用は、故意でない支持・否定を避けるために、適切な文脈を与えなければなりません。さらに、ある引用が正確であり、検証可能な形で特定の情報源に帰属されていたとしても、それを記事に含めなければならないとは限りません。情報源に基づく記述は、あくまで検証可能で中立的な主題の提示に寄与するものでなければなりません。

例えば、ビッグフットに関する記事では、検証可能な形で帰属された正確な引用は、以下のように記述されるかもしれません。

ビッグフット・フィールド・リサーチャーズ・アソシエーション(Bigfoot Field Researchers Association)によれば、「さまざまな分野の科学者たちが、最も説得力のあるサスカッチの証拠を検証した。その結論は、総合的に見て画期的なものである。現在、北アメリカに巨大な霊長類が存在することを示す科学的証拠がある。この種は、サスカッチ(ビッグフット)に関する記述と一致している」という。

論争のある引用を記事に含める際には、それが特定の視点であることを慎重に文脈化する必要があります。単にそのような引用を記事の冒頭や「ビッグフットに関する科学的評価」のセクションに掲載することは、誤解を招く可能性があり、中立性を欠き、検証可能性が不十分であると見なされることがあります。この引用は、あくまで「ビッグフット・フィールド・リサーチャーズ・アソシエーションの視点」として、検証可能で中立的な文脈の中で提示される場合にのみ含めるべきです。編集者の合意によっては、その引用を記事に含めないという判断がなされることもあります。

文中における帰属付け

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亜流の理論に対する批判を記述する際には、情報源の慎重な使用が不可欠です。亜流の理論は、その支持者以外によってあまり取り上げられていない場合が多いため、それを直接的に否定する情報源の数が限られていることがあります。そのため、ある主張が少数の情報源によってのみ反論されているからといって、それがその他の情報源によって支持されているかのような誤解を読者に与えないよう注意しなければなりません。 特に強い批判は、例えば 「哲学者のA. C. グレイリング英語版は、インテリジェント・デザインを『幼稚な無知の一滴にすぎない。それは人類の幼年期の証だ』と断じている」 というように、明確に帰属させるべきです。一方で、 「人類とチンパンジーは共通の祖先から進化した」 というような単純な事実については、意見のように書き換えるのではなく、そのまま事実として提示するのが適切です。記事中の帰属表記を不用意に使用し、「この見解は特定の情報源にのみ支持されている」と誤解させることのないよう注意する必要があります。慎重な言葉遣いと中立的なトーンを採用することで、読者が意見を事実として受け取ること、あるいはその逆を防ぐことができます。

Wikipediaのカバーする範囲

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特筆性

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亜流の理論の特筆性は、その支持者の主張ではなく、検証可能かつ信頼できる情報源による記述から判断されなければなりません。さらに、その主題は特筆性の一般的な目安を満たす必要があります。すなわち、その主題は、その主題から独立した信頼できる情報源によって、十分に詳細に取り上げられていなければなりません。 信頼できるニュースメディアであっても、必ずしも特筆性のある主題のみを取り上げているわけではない点に留意する必要があります。例えば、エイプリルフールの記事、News of the Weird英語版のような特集、あるいは「ニュースが少ない時期(slow news days)」には、特筆性が厳密でない話題が軽妙な形で報じられることがあります(cf. ジャンクフードニュース英語版夏枯れ時英語版)。また、信頼できるニュースメディアであっても、時に亜流の理論やその提唱者を真に受けた記事を掲載することがあるほか、正規のメディアを装った、まったく信頼できない情報源も依然として多く存在します。

独立記事を立項可能である程度に、十分な特筆性を有する亜流の理論としては、以下のようなものがあります。

  • 創造科学およびインテリジェント・デザイン:圧倒的多数の科学者がこれを疑似科学と見なし、公立学校の初等教育で教えるべきではないと考えています。しかし、この考えに対する強い批判が存在し、科学者・科学誌・教育機関・政治機関・裁判所などの間で活発に議論されているため、Wikipediaに独立記事を立項するだけの特筆性があります。
  • ホロコースト否認:ホロコースト否認論者は、「アドルフ・ヒトラーはヨーロッパのユダヤ人に対して大量虐殺の意図を持っていなかった」「アウシュヴィッツなどの収容所で大量殺人のためのガス室が使用されなかった」「ナチスによって殺害されたユダヤ人の数は600万人よりもはるかに少なかった」などと主張します。しかし、これらの主張は、圧倒的多数の専門歴史家によって虚偽と見なされています。それにもかかわらず、ホロコースト否認論者の主張は時折公の場で注目を集めるため、特筆性を有します。
  • アポロ計画陰謀論:月面着陸が捏造であると主張する陰謀論は、おそらく広く信じられているものではありませんが、書籍、テレビ番組、NASAの反論声明などで議論がなされてきたため、Wikipediaに独立記事を立項するだけの特筆性があります。

十分な特筆性を有さない亜流の理論としては、以下のようなものがあります。

  • ジョン・ウィルクス・ブース生存説:英語版Wikipediaのジョン・ウィルクス・ブースの記事には、彼が追跡を逃れて生き延びたとする陰謀論の記述が含まれています。しかし、これらの説自体は、Wikipediaに独立した記事を持つほどの特筆性を有していません。

特筆性と受容度の関係

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ある考えが大多数の専門家に受け入れられていないからといって、それをWikipediaから削除されるべきであるとは限りません。Wikipediaに記事を掲載するかどうかの判断基準は、一般的な独立記事作成の目安によって決まります。特定の考えの受容度(level of acceptance)と、特筆性の複雑な関係については、以下で詳しく説明します。

受容度を明記する

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たとえ明らかに誤った主張や、「火星の顔(Face on Mars)」のような亜流の理論であっても、それが公衆の目から見て特筆性がある考えである場合には、百科事典に記載する価値があると考えられます。

論争や異論のある、または棄却された考えを詳細に扱う記事では、信頼できる情報源を用いて、それらの考えが関連する学術界で現在どの程度受け入れられているのかを記録しなければなりません。ある考えの立場に関する信頼できる情報源による適切な言及が見つからない場合、その考えは検討も受けておらず、受け入れられてもいないものと見なすべきです。信頼できる情報源によって裏付けられない限り、ある考えを受け入れられているものとして描写すべきではありません。

しかし、検討や受容の欠如が直ちに棄却を意味するわけではありません。信頼できる情報源によって裏付けられない限り、ある考えを棄却されたものとして描写したり、疑似科学などの否定的なラベルを付けたりすべきではありません。棄却された、広く荒唐無稽または疑似科学的とみなされている、歴史的な関心のみを持つ、または主にSFの領域に属する考えは、信頼できる情報源を用いてそのように記録すべきです。

特筆性が低い、または境界線上にある考えはWikipediaに言及されることがあり得ますが、不当に大きな比重を与えてはなりません。Wikipediaは新しい考えを提示する場でも、学術界などの制度における体系的偏向に対抗する場でもなく、他で注目に値しなかった考えを推進する場でもありません。Wikipediaは「重大な誤りを正す」場ではありません。科学界が亜流の理論を無視している場合、それらの理論を科学関連の記事から除外することができます。しかし、ある考えが広く誤りと見なされているからといって、単にその理由だけで百科事典から排除すべきではありません。同様に、Wikipediaの目的は、科学界が荒唐無稽または価値がないと見なす特筆性のある考えを、「反証する」ような独自に構成された文章を提供することでもありません。亜流の理論に対する批判は、それを行っている情報源の可視性、特筆性、および信頼性に応じて報告されるべきです。

Wikipediaは未来を予測する魔法の水晶玉ではありません。現在受け入れられている科学的パラダイムが将来的に棄却されることもあり、かつて論争的または誤りと見なされていた仮説が科学界によって受け入れられることもあります(例:大陸移動説)。しかし、Wikipediaの役割は、そのような推測を行うことではありません。ある考えの立場が変わった場合には、それを反映する形でWikipediaも変化します。Wikipediaは主に現在の知識の状態に焦点を当て、適切な場合には過去を記録します(その際は過去のものとして明示する)。未来についての推測は避けるべきです。

査読付き情報源を受容度の評価に役立てる

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科学・歴史・その他の学術的研究に関連する亜流の理論の特筆性および受容度を判断するための重要な指標の一つは、そのテーマに関する査読付き研究の有無です。査読付き情報源が存在しないからといって、その主題が自動的にWikipediaから除外されるべきであるということにはなりません。しかし、その主題について独自研究を行わずに十分な詳細を持って記述できるだけの信頼できる情報源が存在する必要があります。特定の見解を推進することを主目的とする学術誌には注意が必要です。広範な学術界による査読を受けていない学術誌は、代表するグループの見解を示す場合を除き、信頼できる情報源とは見なされるべきではありません。また、ある文献が査読付きであることを謳っていることは、それ自体でその学術誌が評価されていること、あるいはその文献が意味のある査読が行われていることを示すものではありません。その学術誌が信頼できる査読付き学術誌として扱われていること自体も、信頼できる情報源によって示さなければなりません。

査読は、科学、歴史、その他の学術的考えを扱う信頼できる情報源の重要な特徴ですが、査読と科学界による受容とは同義とはいえません。査読を経た独自の仮説であっても、それが科学的コンセンサスや事実を代表するものとしてWikipediaに記載されるべきではありません。単一の一次資料(たとえそれが査読付きであっても)のみに基づく亜流の理論の記事は、特筆性の観点からWikipediaから除外される可能性があります。同様に、Wikipediaにおいて特異な主張を行う場合には、高品質な信頼できる情報源が必要です。

主張の評価と記述

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多くの百科事典的な主題は、複数の異なる観点から評価することができ、その中には研究による検証を欠いているもの、本質的に検証不可能なもの、あるいは疑似科学的なものを含む場合があります。一般に、Wikipediaは信頼できる情報源に基づく確立された研究の流れを優先し、その他の主張については、それらの歴史的・科学的・文化的な支持度に応じて中立的に記述すべきです。信頼できる情報源の中で異論もなく、議論の対象ともなっていない主張(例:「電子の質量は陽子の質量の約1/1836である」)は、単純な事実の陳述として提示すべきです。

亜流の理論に由来する主張は、適切な情報源に慎重に帰属させ、適切な文脈の中で提示しなければなりません。例えば、「ジャック・アルブロン(Jacques Halbronn)のような極端な見解をとる研究者は、ノストラダムスの『予言集』は後世の手による政治的な意図を持った偽作であると、詳細かつ複雑に主張している」といったようにです。このような主張には、中立性を維持するための修飾表現を含めることができますが、その使用には慎重を期し、過度に辛辣または批判的な評価に見えないようにすべきです。例えば、「アルブロンは、おそらくこの文書や関連するアーカイブについて、現存する誰よりも多くの知識を有している。しかし、この見解は同分野の他のほとんどの専門家によって否定されている」といったようにです。これは特に、亜流の考えを扱う特定の記事において重要です。そのような記事では、まず考えを明確かつ客観的に説明し、次により広く受け入れられている考えに読者を誘導し、過度な反論の羅列を避けるべきです。また、すべての異論を「批判」セクションに押し込むのではなく、統合され、読みやすく、正確な記事本文の中で適切に記述することが望ましいでしょう。

科学的現象に関する主張を含む一方で、本質的に非科学的な視点は、科学理論としてのみ扱うべきではありません。例えば、『創世記』は、古代文学の一作品として、あるいはヘブライ語聖書旧約聖書の一部として、または神学的な重要性の観点から主に扱われるべきであり、宇宙論的理論として扱うべきではありません。科学的発見に正面から対抗することを目的とした非科学的または疑似科学的な宗教的主張は、科学的および神学的観点の両方から評価されるべきであり、最も信頼できる情報源がこれらの主題をどのように扱っているかを明示すべきです。例えば、創造論創造科学は、主に宗教的および政治的運動として記述され、その主張が主流の神学者や科学者によって否定されている事実を明確に示さなければなりません。信頼できる研究に反する亜流の理論(例えば歴史否定主義)は、それ自体の独立した記事の中で明確に説明されるべきであり、より一般的な主題の議論において不当に大きな比重を与えられるべきではありません。

亜流の理論の不当な宣伝

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亜流の理論の支持者は、Wikipediaをそれらを宣伝するための場として利用しようとします。Wikipediaの方針は、これを制限します。すなわち、ある亜流の理論についての記述が、その理論の考案者や支持者によるものだけである場合、ウィキペディアは何ではないかが適用されます。Wikipediaは独自の考えを発表する場でもなければ、演説台、広告宣伝の手段でもありません。亜流の理論の考案者や信奉者が、その理論の知名度を人為的に高めようとする試み、例えば削除依頼の議論におけるソックパペット行為などは禁止されています。亜流の理論の考案者が自己出版した資料を参考文献として提示するような宣伝活動も認められません(cf. 外部リンク#掲載すべきでない外部リンク利益相反行為自分自身の記事)。こうした理由から、亜流の理論に関する話題の特筆性に関する基準は、一般的な特筆性の基準よりも厳格なものとなります。亜流の理論の特筆性は、検証可能で信頼できる情報源による記述によって判断されるべきであり、その信奉者の主張によって判断されるべきではありません。

中立的な観点の方針は、すべての多数派および重要な少数派の立場を記事に含めることを求めます。しかし、それぞれの立場に不当な重み付けが与えられてはなりません。科学的コミュニティから批判的な評価を受けていない、あるいは否定された推測は、高品質な信頼できる情報源が代替的な立場として議論している場合に限り、科学的な主題を扱う記事に含めることができます。ごく少数の支持者しかいない考えは、それ自体が特筆性を持つ場合に限り、その考えに特化した記事内で説明されることがあります。

亜流の理論自体以外の記事における言及

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亜流の見解、製品、およびそれらを推進する人物については、独立した信頼できる情報源が、それらの話題を真剣かつ支持されている形で関連付けている場合にのみ、他の記事の本文内で言及できます。しかし、この基準を満たすことは、必ずしも特定の記事内でその話題を言及すべきことを意味するわけではありません。他の記事内で亜流の理論について言及することが、その理論に不当に大きな比重を与える場合、その記述は制限されるか、場合によっては完全に除外されることがあります。特定の亜流の理論が主流の話題と関連付けられる独立した信頼できる情報源が存在しない場合、その記事の「関連項目」節にすらリンクを追加すべきではありません。そうしないと、その記事がコートラック英語版のような役割を果たしてしまうおそれがあるからです。

亜流の理論は、適切な文脈の中で議論されるべきです。議論の余地のないような考えであっても、亜流の理論に関連して言及する必要があるかもしれません。主流の見解についての議論は、信頼できる主流の情報源にもとづくべきです。また、亜流の理論に関する記事中に主流の話題へのリンクを含めることは、読者の理解を助け、「壁に囲まれた庭」を作り出してしまうリスクを回避します。一方で、主流の話題を扱う記事においては、基本的に亜流の理論に関する記事にリンクを貼らないでください。これは、亜流の理論に関する「一方向リンク(one-way linking)」の原則です。

  • 占星術:多くの信頼できる情報源が、占星術と天文学の違いについて論じているため、天文学に関するきちんとした記事においても、占星術に言及することができます。
  • オートダイナミクス英語版特殊相対性理論に関する信頼できる情報源で、オートダイナミクスに言及しているものは存在しないため、特殊相対性理論に関するきちんとした記事においては、オートダイナミクスに言及すべきではありません。

存命人物の扱い

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亜流の観点を持つ人物の扱いには、特に注意を払うべきです。なぜなら、一般的にこうした人物は、論争の対象となるためです。こうした人物に関するすべての記事は、Wikipediaにおける存命人物の伝記に関する方針に準拠しなければなりません。他の業績や出来事によってよく知られている人物の亜流の見解については、特にそれがその人物の名声にとって本質的でない場合、不当に大きな比重を与えるべきではありません。しかし、この方針は、その人物に対する批判をすべて削除したり、その人物が専門外の分野で行っている亜流の主張の性質を覆い隠したりするための口実にはなりません。

亜流の主張をおこなっていること自体によって、Wikipediaの記事が作成されるほどの特筆性が認められる人物も存在します。そうした主題の特筆性は、その人物について真剣かつ広範に議論している、信頼できる独立した情報源によって判断されるべきです。また、亜流の理論そのものの特筆性を判断する際に生じうる問題にも注意する必要があります。特筆性のある中立的な伝記を作成するのに十分な情報源が存在するかどうかを慎重に評価し、対象の人物について不当に宣伝したり、不当に貶めたりしないようにすることが求められます。