BPM(ビーピーエム、1986年 設立 - 1988年 活動停止)は、同期間のみ存在した、近田春夫が主宰したレコードレーベル

略歴・概要

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前史

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近田春夫は、1980年に古巣のキングレコードから日本コロムビアに移籍。ジューシィ・フルーツのプロデュースや1981年からの近田春夫&ビブラトーンズとしてのレコードリリースを行う。

1983年にはゲートボールを結成とともに徳間ジャパン(現徳間ジャパンコミュニケーションズ)に移籍した[1]1984年1月にビブラトーンズは解散、ゲートボールも活動停止した。

1985年には、日本コロムビア移籍第一作のアルバム『星くず兄弟の伝説』(1980年)が手塚眞によって映画化。そのサウンドトラックは改めてレコーディングされ、SMSレコードからリリースされた[1]

活動期

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そういった近田のレコード会社の変遷を経て、1986年、当時の新興レコード会社であった、SIXTY RECORDS内に近田春夫が設立した[1]ヒップホップ専門レーベルがBPMである[2]

近田がヒップホップに踏み切った背景には、1986年8月のRun-D.M.C.Walk This Way』のヒットがあった[1]。同曲は、Run-D.M.C.が1975年エアロスミスのヒット曲を、スティーヴン・タイラージョー・ペリーを迎えてカヴァーしたもので、ビルボード・ホット100の5位以内にチャートイン(最高位4位)した初のヒップホップであった。

近田は、President BPMを名乗り、1986年10月25日、同レーベル第1弾として自ら12インチシングル『MASS COMMUNICATION BREAKDOWN』を発表[2]。当時すでにヒップホップを始めていた藤原ヒロシと元東京ブラボーの高木完のユニットタイニー・パンクスいとうせいこう細野晴臣フレンズ・オブ・アースらを所属レーベルを超えてフィーチャーし、短期間に5枚の12インチシングルを連打した。

1987年6月5日宮崎美子の7インチシングル『だからDESIRE』、BPMワークの集大成としてのベスト・アルバムHEAVY』をLPとCDを同時リリース。1988年に12インチシングル『FAITH, HOPE & CHARITY / DO the PUNK ROCK』をリリースしたのを最後に、同レーベルは幕を閉じる[2]

その後

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近田は、1988年、BPMを離れると同時にビブラストーンを結成、人力ビッグバンドによるヒップホップを開始する。次のレーベルは高護率いるソリッド・レコードである。ビブラストーンのファーストアルバム『Vibra is Back』はライヴ盤で、ソリッドレコードから1989年にリリースされた。

ディスコグラフィ

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12インチシングル

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  1. MASS COMMUNICATION BREAKDOWN 1986年10月25日発売 (12SL-2) - President BPM
  2. NASU-KYURI / I Luv Got The Groove 1986年12月25日発売 (12SL-3) - President BPM / TINNIE PUNX
  3. Hoo! Ei! Ho! / NASTY BEAT 1987年2月25日発売 (12SL-4) - BPM PRESIDENTS featuring TINNIE PUNX / HIP HOP CREW
  4. COME★BACK / Cold Getting Down 1987年4月25日発売 (12SL-5) - F.O.E. featuring HARUOMI HOSONO with President BPM and SEIKOH ITOH / M.I.D.
  5. FAITH, HOPE & CHARITY / DO the PUNK ROCK 1988年発売 (12SL-6) - TINY P@NX

7インチシングル

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  1. だからDESIRE / タカラ本みりん 1987年6月5日発売 (7SS-16) - 宮崎美子

アルバム

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  1. HEAVY 1987年6月5日発売 (28SL-12 / 32SD-12) - President BPM featuring TINNIE PUNX and F.O.E.
1993年3月24日、SIXTY RECORDSからCD再発売(SXCR-304)[2][3]

関連事項

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  1. ^ a b c d 石川誠壱のウェブサイト「近田春夫と私」の記述を参照。
  2. ^ a b c d #外部リンク内の「BPM」リンク先の記述を参照。
  3. ^ #外部リンク内の「HEAVY」リンク先の記述を参照。

外部リンク

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