近田春夫&ビブラトーンズ

ビブラトーンズ(Vibra-Tones)は、かつて存在した日本ロックバンドである。1981年結成、1984年解散。ロックバンド「人種熱」に、近田春夫が加入する形で組成したバンドとして知られる。正式結成前は「人種熱+近田春夫」(じんしゅねつプラスちかだはるお)名義、その後、「近田春夫&ビブラトーンズ」名義を経て、最後は「ビブラトーンズ」名義で活動した。

ビブラトーンズ
別名 人種熱+近田春夫
近田春夫&ビブラトーンズ
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル ロックニュー・ウェイヴ
活動期間 1981年 - 1984年
レーベル 日本コロムビア
事務所 近田春夫事務所
メンバー 近田春夫 ヴォーカルキーボード
福岡ユタカ(ヴォーカル、パーカッション
ホッピー神山(キーボード)
岡田陽助ギター
横山英規ベースサックス
矢壁篤信ドラムス
旧メンバー 窪田晴男(ギター)
矢野正道(キーボード)

略歴・概要

編集

1981年(昭和56年)初頭、近田春夫が福岡ユタカ窪田晴男のバンド「人種熱」に注目、アニメーション映画悪魔と姫ぎみ』の劇伴(サウンドトラック)製作に同バンドを引き込み、同年3月25日、同映画のオリジナルサウンドトラックを「人種熱+近田春夫」名義で発表する[1]

同年秋、近田は「タレント廃業ミュージシャン専念」宣言をし、結成したのが「近田春夫&ビブラトーンズ」である。結成当初のメンバーは、近田、福岡[2]、窪田、岡田陽助横山英規矢壁篤信[2]矢野正道の7名であった[1]。同年11月25日、アルバム『ミッドナイト・ピアニスト』、シングル『金曜日の天使』で正式デビューを果たす。

1982年(昭和57年)6月21日にリリースされた平山みきのアルバム『鬼ヶ島』(Invitation)を近田がプロデュース、演奏や楽曲提供に「ビブラトーンズ」名義で参加した。同アルバム発売を前後して、窪田が脱退した。窪田はサエキけんぞうらとパール兄弟を結成した[1]

その半年後の同年11月21日には、セカンドの4曲入りミニアルバム『VIBRA-ROCK』を「ビブラトーンズ」名義で発表。リリース後に矢野が脱退、爆風銃ホッピー神山を迎えてライブ活動はつづけられた[1]。半年後に、同アルバム収録曲、『AOR大歓迎』がレナウンのCMソングに採用された[1]

その一方で、福岡、矢壁、神山は、のちに「PINK」の前身となる「おピンク兄弟」としての活動を開始する。「おピンク兄弟」には、東京ブラボー岡野ハジメ、元爆風銃のスティーヴ衛藤ショコラータ渋谷ヒデヒロが参加、ジューシィ・フルーツ沖山優司もセッションに参加していた。1983年(昭和58年)には、「PINK」が正式に結成された[3]。近田も、同年には、デビュー以来プロデュースを手がけていたピンナップスが解散し、ともに関わっていた元近田春夫&ハルヲフォン高木英一とピンナップスのリタ(野元貴子)と3人で、新バンド・ゲートボールを結成していた[4]

1984年(昭和59年)1月、ビブラトーンズが解散[1]

1988年(昭和63年)10月21日、2枚のアルバムと1枚のシングル、未発表曲を集めたCDアルバム『ビブラトーンズFUN』が発売され、2002年(平成14年)4月20日2008年(平成20年)8月20日に再発売された。しかし、2008年盤には、『AOR大歓迎』のみが収録されていない[5]

ディスコグラフィ

編集

シングル

編集
青木美冴」名義のシングルに、「人種熱+近田春夫」名義で編曲・演奏で参加
  1. Goin'にMy Way 1981年3月25日発売(日本コロムビア
  2. 夢みるカカオ - 同シングルB面
    • 作詞森雪之丞、作曲近田春夫、編曲近田春夫+人種熱
「近田春夫&ビブラトーンズ」名義
  1. 金曜日の天使 1981年11月25日発売 (日本コロムビア)
    • 作詞・作曲近田春夫、編曲近田春夫&Vibra-Tones
  2. ほんとはジェントルマン - 同シングルB面
    • 作詞・作曲近田春夫、編曲近田春夫&Vibra-Tones

アルバム

編集
「人種熱+近田春夫」名義
  1. 「悪魔と姫ぎみ」オリジナル・サウンド・トラック (1981年3月25日発売、日本コロムビア)
「近田春夫&ビブラトーンズ」名義
  1. ミッドナイト・ピアニスト (1981年11月25日発売、日本コロムビア)
  2. ビブラトーンズFUN1988年10月21日発売、日本コロムビア) - ベスト盤
平山みき」名義、演奏「ビブラトーンズ」名義
  1. 鬼ヶ島1982年6月21日発売、Invitation
「ビブラトーンズ」名義
  1. VIBRA-ROCK (1982年11月21日発売、日本コロムビア) - ミニアルバム

関連事項

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f 石川誠壱のウェブサイト「近田春夫と私」の記述を参照。
  2. ^ a b 福岡の在籍中の名義は「土肥座円陣」、矢壁は矢壁カメオ名義であった。出典:『PINK BOX 所収ブックレット』、ワーナーミュージック・ジャパン、2013、EAN 4943674138609
  3. ^ PINK (バンド)」の項の記述を参照。
  4. ^ 高木英一」の項の記述を参照。
  5. ^ #外部リンク内の「Vibra-Tones Fun」リンク先の記述を参照。

外部リンク

編集