1968年の近鉄バファローズ
1968年の近鉄バファローズでは、1968年の近鉄バファローズの動向をまとめる。
1968年の近鉄バファローズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ4位 | |
57勝73敗5分 勝率.438[1] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市 |
球場 | 日本生命球場 |
球団組織 | |
オーナー | 佐伯勇 |
経営母体 | 近畿日本鉄道 |
監督 | 三原脩 |
« 1967 1969 » |
この年の近鉄バファローズは、三原脩監督の1年目のシーズンである。
概要
編集この年巨人→西鉄→大洋と渡ってきた三原脩が監督に就任、西鉄との開幕3連戦、通称「親子シリーズ」(西鉄監督が三原の娘婿・中西太であるため)を全勝するなど4月を14勝4敗で開幕ダッシュすると、以後6月まで首位を突っ走る。三原監督就任後初の胴上げが秒読みと言われたが、7月の7連敗、8月の6連敗など大型連敗が続いて夏場に失速。9月以降も負けが込み最終的に東京にも抜かれて借金16の4位に終わった。投手陣は開幕投手の鈴木啓示が23勝をあげて2年連続の20勝をあげ、前年ローテーション入りの板東里視がチーム2位の12勝、佐々木宏一郎が11勝で2ケタ勝利投手3人を輩出し、西鉄からトレード移籍の清俊彦も負け越しながら防御率3点台で健闘するなど先発陣がチーム勝ち星の大半を稼いだ。打撃陣は打率・本塁打・得点がリーグ最低だったものの、前年チーム首位打者の土井正博が打率リーグ3位と活躍し、新人の小川亨・永淵洋三など若手も台頭。それ以外では安井智規が54盗塁、鎌田実が16盗塁など1・2番コンビが走りまくって盗塁数はリーグ1位の151個を記録した。結局阪急の2連覇を許したが、終わってみれば1963年以来の最下位脱出、三原のやり方が選手に自信を持たせる事になる。カード別成績では阪急に9勝17敗と負け越したが、2位南海には13勝13敗の五分で健闘した。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 中 | ボレス |
---|---|---|
2 | 右 | 北川公一 |
3 | 左 | 土井正博 |
4 | 二 | ロイ |
5 | 三 | 飯田幸夫 |
6 | 一 | 伊勢孝夫 |
7 | 捕 | 吉沢岳男 |
8 | 投 | 鈴木啓示 |
9 | 遊 | 安井智規 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 近鉄 | -- | 近鉄 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- |
2位 | 阪急 | 4.0 | 阪急 | 1.5 | 南海 | 3.0 | 南海 | 1.5 | 南海 | 2.0 | 南海 | 4.0 | 南海 | 1.0 |
3位 | 東映 | 5.5 | 南海 | 近鉄 | 3.5 | 東京 | 3.5 | 東京 | 6.5 | 東京 | 10.0 | 東京 | 13.0 | |
4位 | 南海 | 6.0 | 東京 | 4.0 | 東京 | 5.0 | 近鉄 | 7.0 | 近鉄 | 14.5 | 西鉄 | 21.0 | 近鉄 | 23.0 |
5位 | 西鉄 | 7.0 | 東映 | 5.0 | 東映 | 7.5 | 東映 | 13.0 | 西鉄 | 17.0 | 近鉄 | 22.0 | 西鉄 | 24.0 |
6位 | 東京 | 7.5 | 西鉄 | 6.0 | 西鉄 | 11.0 | 西鉄 | 14.0 | 東映 | 23.0 | 東映 | 27.0 | 東映 | 29.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 80 | 50 | 4 | .615 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 79 | 51 | 6 | .608 | 1.0 |
3位 | 東京オリオンズ | 67 | 63 | 9 | .515 | 13.0 |
4位 | 近鉄バファローズ | 57 | 73 | 5 | .438 | 23.0 |
5位 | 西鉄ライオンズ | 56 | 74 | 3 | .431 | 24.0 |
6位 | 東映フライヤーズ | 51 | 79 | 5 | .392 | 29.0 |
オールスターゲーム1968
編集→詳細は「1968年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 鈴木啓示 | 土井正博 |
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監督推薦 | 佐々木宏一郎 | |
補充選手 | 吉沢岳男 |
できごと
編集この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
安井智規 | 盗塁王 | 54個 | 初受賞 |
鈴木啓示 | 最多奪三振 | 305個 | 2年連続2度目 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
土井正博 | 外野手 | 2年連続2度目 |
ドラフト
編集→詳細は「1968年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 水谷宏 | 投手 | 全鐘紡 | 入団 |
2位 | 川島勝司 | 内野手 | 日本楽器 | 拒否 |
3位 | 岡田光雄 | 投手 | 松下電器 | 入団 |
4位 | 秋山重雄 | 内野手 | 立教大学 | 入団 |
5位 | 芝池博明 | 投手 | 専修大学 | 入団 |
6位 | 井上重信 | 投手 | 陸上自衛隊西部 | 入団 |
7位 | 吉村健二 | 内野手 | 高松商業高 | 拒否・松下電器入社 |
8位 | 半田実 | 投手 | 大鉄高 | 入団 |
9位 | 大島太治 | 捕手 | トヨタ自動車 | 拒否 |
10位 | 服部敏和 | 外野手 | 日本楽器 | 入団 |
11位 | 藤井信行 | 外野手 | 協和発酵 | 拒否 |
12位 | 佐々木辰夫 | 内野手 | 四国電力 | 拒否 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b “年度別成績 1968年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月30日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 139
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。