1954年の日本競馬
1954年の日本競馬(1954ねんのにほんけいば)では、1954年(昭和29年)の日本競馬界についてまとめる。馬齢は旧表記で統一する。
1953年の日本競馬 - 1954年の日本競馬 - 1955年の日本競馬
概要
編集日本中央競馬会の発足
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できごと
編集1月 - 3月
編集- 1月17日 - 京都競馬場で日本経済新春杯競走が創設される[1]。
- 3月1日 - 日本トロッター協会が設立される。同会は10月に西日本馬主協会と協力して、米トロ(アメリカ合衆国産のトロッター)牝馬を30頭輸入、これらが10月14日に神戸港に入港されると、検疫後に関西の所属厩舎に配属された。翌年に日本中央競馬会のもとでは初めてとなる米トロ速歩競走が京都競馬場で行われたが、その時ここで輸入された馬が供された[2]。
- 3月 - 第5次吉田内閣は「日本中央競馬会法案」を閣議決定の上、第19国会に提出した[2]。
4月 - 6月
編集- 5月23日 - ケンタッキー州立大学に留学していた三上泰知事務官が中心となり、パトロールフィルムの実用化が図られる。これは5月23日からの第3次東京競馬で使用され、16ミリフィルムによって撮影された[2]。
- 6月2日 - 日本中央競馬会法が両院を通過して成立、7月1日に公布された。これに際して、保利農林大臣は大坪局長を伴って、安田伊左衛門に理事長に就任するよう懇願した[2]。
- 6月27日 - 阪神競馬場で毎日杯競走が創設される[1]。
7月 - 9月
編集- 9月10日 - 農林省により、安田伊左衛門が日本中央競馬会の理事長に任じられる[3]。
- 9月15日 - 日本競馬会の精算人であった長森貞夫は、1952年に国を相手取って起こしていた提訴を取り下げた。翌16日に、長森は農林省より日本中央競馬会の監事に任じられた[3]。
- 9月16日 - 日本中央競馬会が発足する[3]。
10月 - 12月
編集その他
編集競走成績
編集中央競馬の主な競走
編集- 第14回桜花賞(阪神競馬場・4月30日)優勝 : ヤマイチ(騎手 : 八木沢勝美)
- 第14回皐月賞(中山競馬場・4月18日)優勝 : ダイナナホウシユウ(騎手 : 上田三千夫)
- 第29回天皇賞(春)(京都競馬場・5月16日) 優勝 : ハクリヨウ(騎手 : 保田隆芳)
- 第15回優駿牝馬(オークス)(東京競馬場・5月22日) 優勝 : ヤマイチ(騎手 : 八木沢勝美)
- 第21回東京優駿競走(日本ダービー)(東京競馬場・5月23日) 優勝 : ゴールデンウエーブ(騎手 : 岩下密政)
- 第30回天皇賞(秋)(東京競馬場・11月21日) 優勝 : オパールオーキツト(騎手 : 中村広)
- 第15回菊花賞(京都競馬場・11月23日) 優勝 : ダイナナホウシユウ(騎手 : 上田三千夫)
中央競馬・障害
編集表彰
編集優駿賞
編集誕生
編集この年に生まれた競走馬は1957年のクラシック世代となる。
競走馬
編集- 3月8日 - ミスオンワード
- 3月11日 - アイアンリージ
- 3月14日 - ヒカルメイジ
- 3月28日 - セイユウ
- 4月10日 - ラプソデー
- 5月19日 - ミスヤマト
- 5月25日 - キタノヒカリ
- 5月29日 - オンワードゼア
- 6月2日 - セルローズ
人物
編集死去
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脚注
編集参考文献
編集- 一般社団法人 中央競馬振興会『日本近代競馬総合年表』中央競馬ピーアール・センター、2018年。