1878年の相撲
1878年の相撲(1878ねんのすもう)は、1878年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
編集東京相撲の体質を批判して相撲会所を離脱していた高砂浦五郎率いる「改正組」が、相撲会所と規約を結び、6月場所に番付外で帰参した[1]。
興行
編集誕生
編集- 1月12日 - 緑嶌友之助(最高位:小結、所属:春日山部屋、+ 1952年【昭和27年】)[4]
- 2月18日 - 男嶌舟藏(最高位:前頭12枚目、所属:秀ノ山部屋→出羽海部屋、+ 1943年【昭和18年】)[5]
- 3月11日 - 2代梅ヶ谷藤太郎(第20代横綱、所属:雷部屋、年寄:+ 1927年【昭和2年】)[6]
- 6月18日 - 藤見嶽虎之助(最高位:前頭3枚目、所属:藤島部屋→尾車部屋→藤島部屋、+ 1923年【大正12年】)[7]
- 7月1日 - 小柳芦太郎(最高位:前頭2枚目、所属:高砂部屋、+ 1946年【昭和21年】)[8]
- 8月2日 - 野州山孝市(最高位:前頭10枚目、所属:尾上部屋→出羽海部屋、+ 1936年【昭和11年】)
- 11月26日 - 緑川兼吉(最高位:前頭13枚目、所属:高砂部屋、+ 1906年【明治39年】)
死去
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。