黒部市立若栗小学校
富山県黒部市にある小学校
黒部市立若栗小学校(くろべしりつ わかぐりしょうがっこう)は富山県黒部市にある公立小学校。
黒部市立若栗小学校 | |
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北緯36度52分21.824秒 東経137度29分42.356秒 / 北緯36.87272889度 東経137.49509889度座標: 北緯36度52分21.824秒 東経137度29分42.356秒 / 北緯36.87272889度 東経137.49509889度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 黒部市 |
設立年月日 | 1873年7月15日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B116220700086 |
所在地 | 〒938-0802 |
外部リンク | 公式サイト |
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沿革
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- 1873年7月15日 - 『第六大学区新川県管内第一中学区寛栗小学校』として、真照寺内に仮屋を建てて創立[2]。
- 1874年7月15日 - 現在地にて[3]校舎新築落成[4](旧下新川郡最初の創立校舎)。
- 1887年 - 拾弐番設置区若栗簡易小学校と改称[5]。
- 1889年6月 - 下新川郡第弐拾弐番設置区域となる[5]。
- 1890年4月1日 - 若栗簡易小学校と改称[6]。
- 1891年4月1日 - 2階を寛栗尋常小学校、1階を若栗簡易小学校とする[6]。
- 1892年10月1日 - 寛栗尋常小学校と改称[5]。
- 1895年 - 若栗尋常小学校と改称[3]。
- 1916年4月7日 - 校舎改築落成式挙行[7]。
- 1928年 - 講堂増築[3]。
- 1941年4月1日 - 桜井町立若栗国民学校と改称[8]。
- 1944年8月27日 - 東京都の東蒲田国民学校、西蒲田国民学校の学童疎開を受け入れ[9]。
- 1945年5月17日 - 東京都の北蒲田国民学校の学童疎開を受け入れ[9]。
- 1947年 - 桜井町立若栗小学校と改称[3]。
- 1954年 - 黒部市立若栗小学校と改称。二宮尊徳像(設置)寄贈辻谷直作氏[3]。
- 1961年 - 講堂新築[3]。
- 1971年 - 給食室廃止。市給食センターに統合[3]。
- 1972年 - 校舎新築促進委員会発足、運動場新築工事着工[3]。
- 1973年
- 1974年 - 鉄筋校舎第1期竣工[10]。
- 1975年4月 - 鉄筋校舎第2期竣工し、新校舎の全工事が完了[10][3]。
- 1977年7月 - プール竣工[3]。
- 1982年 - グラウンド照明設備設置[10]。
- 1983年 - グラウンド防球ネット、相撲場完成[10]。
- 1985年 - 新館(体育室、ランチルーム、ミーティングルーム)竣工[3]。
- 1986年 - 屋外運動場完成[3]。
- 1993年9月 - 創校120周年校舎大規模改修第1期工事完成[3]。
- 1994年
- 2000年 - 校内LAN(幹線:光ファイバーケーブル)構築。特殊学級設置[3]。
- 2006年3月31日 - 黒部市・宇奈月町合併による黒部市発足により黒部市立若栗小学校となる[3]。
- 2014年 - 自閉症・情緒障害特別支援学級「あさがお級」設置[3]。
通学区域
編集若栗(全域)、荻生(寺坪の一部)[11]
進学先
編集著名な出身者
編集- 川村啓真 - 元プロ野球選手
関連項目
編集脚注
編集- ^ 黒部市立学校設置条例 別表(第2条関係) 平成27年1月現在
- ^ 『若栗村史』(2004年11月30日、若栗振興会発行)102 - 103頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 沿革の概要(黒部市立若栗小学校、2023年8月7日閲覧)
- ^ 『若栗村史』(2004年11月30日、若栗振興会発行)103頁。
- ^ a b c 『若栗村史』(2004年11月30日、若栗振興会発行)107頁。
- ^ a b 『若栗村史』(2004年11月30日、若栗振興会発行)105頁。
- ^ 『若栗村史』(2004年11月30日、若栗振興会発行)124頁。
- ^ 『若栗村史』(2004年11月30日、若栗振興会発行)138 - 140頁。
- ^ a b 『若栗村史』(2004年11月30日、若栗振興会発行)142頁。
- ^ a b c d e f g 『若栗村史』(2004年11月30日、若栗振興会発行)150頁。
- ^ 黒部市立小中学校通学区域設定規則 別表(第1条関係) 平成27年1月現在