鷹泊駅
鷹泊駅(たかどまりえき)は、北海道(空知支庁)深川市鷹泊にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。電報略号はタマ。事務管理コードは▲121404[2]。
鷹泊駅 | |
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駅舎と駅名標 (1995年8月) | |
たかどまり Takadomari | |
◄下幌成 (3.2 km) (10.6 km) 沼牛► | |
所在地 | 北海道深川市鷹泊 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 深名線 |
キロ程 | 27.3 km(深川起点) |
電報略号 | タマ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線(廃止時) |
開業年月日 | 1926年(大正15年)11月10日[1] |
廃止年月日 | 1995年(平成7年)9月4日[1] |
備考 | 深名線廃線に伴い廃駅 |
歴史
編集- 1926年(大正15年)11月10日 - 鉄道省雨龍線多度志駅 - 当駅間開通に伴い開業。一般駅[3]。
- 1929年(昭和4年)11月8日 - 当駅 - 幌加内駅間延伸開通に伴い中間駅となる。
- 1931年(昭和6年)10月10日 - 線路名を幌加内線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1941年(昭和16年)10月10日 - 線路名を深名線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道に移管。
- 1951年(昭和26年)6月 - 鷹泊ダム建設や河川改修、灌漑施設建設等の雨竜川綜合開発事業に伴い、石狩川治水事業所専用線を設置[4]。
- 1982年(昭和57年)3月29日 - 貨物取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。
- 1995年(平成7年)9月4日 - 深名線の廃線に伴い廃止となる[1]。
駅名の由来
編集開業当時の所在地名「雨竜郡多度志村鷹泊[6]」より。
地名は、市街の少し下流の対岸にある巨岩(現在の鷹泊岩)に鷹がよくとまっていたことからとされるが[7][8]、国鉄北海道総局発行の『駅名の起源』は1954年(昭和29年)版からアイヌ語の「チカㇷ゚オッナイ(chikap-ot-nay:鳥・多くいる・川)」に由来するという説を掲載しており[8][9]、不明である[10]。
駅構造
編集廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(名寄方面に向かって左手側)に存在した[11]。そのほか本線の名寄方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の旧貨物ホームへの側線を1線有していた[11]。かつては単式ホーム・島式ホーム(片面使用)複合型2面2線を有する列車交換可能な交換駅であり、ここを終着とする深川からの区間列車も運転されていた[12]。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[12]。駅舎側(西側)が下りの1番線、対向側(東側)が上りの2番線となっていた[12]。また島式ホームの外側1線が側線として残っていた[12]。この側線からは名寄方に伸びる行き止まりの短い側線を1線有した[12]。交換設備運用廃止後は線路は側線を含め1993年(平成5年)までには撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた[11]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接していた[11]。昔ながらの古びた木造で、入口の上には「たかどまり」と記載された大きな駅銘板が設置されていた[11]。有人駅時代には待合室に水仙とバラの造花が飾られていた[12]。
駅前広場には30m近い大椴松が数本そびえていた。
利用状況
編集乗車人員の推移は以下のとおり。なお、1967年度(昭和42年度)については当駅単体の値が判明していないため参考値を記す。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1967年(昭和42年) | (367,906) | (1,005) | [13] | 同年の上多度志 - 鷹泊間各駅(仮乗降場除)の合算値 |
1968年(昭和43年) | 74,825 | 205 | ||
1969年(昭和44年) | 60,886 | 166 | ||
1970年(昭和45年) | 51,972 | 142 | ||
1971年(昭和46年) | 49,166 | 135 | ||
1972年(昭和47年) | 53,872 | 148 | ||
1973年(昭和48年) | 39,876 | 109 | ||
1974年(昭和49年) | 36,842 | 101 | ||
1975年(昭和50年) | 34,749 | 95 | ||
1981年(昭和56年) | 86 | [12] | ||
1992年(平成4年) | 50 | [11] |
駅周辺
編集駅跡
編集2000年(平成12年)時点では、駅舎、ホーム、別棟のトイレが残存していた[16]。駅舎は窓や扉の開口部は板で打ち付けられて塞がれていた[16]。また駅前広場にあった大椴松の木はなくなっていた[16]。2010年(平成22年)時点でも同様で、駅舎は倉庫として再利用されている模様であった[17]。2011年(平成23年)時点でも同様であったが、トイレの劣化は激しく、傾いていた[18]。
また、当駅と沼牛駅との間にあった幌加内峠を抜ける幌加内トンネルは、2000年(平成12年)時点では草木に阻まれ調査不能状態であったが[16]、2010年(平成22年)時点では国道275号線の工事が進行中で立ち入ることができない状態であった[17]。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、846頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、223頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 大蔵省印刷局(編)「鉄道省告示 第209号」『官報』第4260号、国立国会図書館デジタルコレクション、1926年11月4日。
- ^ 多度志町史 1965年9月発行、P251,668等。
- ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- ^ 大蔵省印刷局(編)「鉄道省告示 第209号」『官報』第4260号、国立国会図書館デジタルコレクション、1926年11月4日。
- ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、35頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b 山田秀三 (2018-11-30). 北海道の地名. アイヌ語地名の研究 別巻 (2 ed.). 浦安市: 草風館. p. 82. ISBN 978-4-88323-114-0
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、113頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ “アイヌ語地名リスト セッ~ツキガ P71”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2018年6月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)74-75ページより。
- ^ a b c d e f g h i 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)204ページより。
- ^ 『深川市史』深川市、1977年、900頁。doi:10.11501/9570056 。2022年6月12日閲覧。
- ^ 書籍『全国保存鉄道III 東日本編』(監修:白川淳、JTBパブリッシング、1998年11月発行)41ページより。
- ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)15ページより。
- ^ a b c d 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2000年1月発行)34-35ページより。
- ^ a b 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)40-41ページより。
- ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)175-176ページより。