鳴尾八幡神社

兵庫県西宮市にある神社

鳴尾八幡神社(なるおはちまんじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社。市内鳴尾地区における鎮守神として地域住民に信仰されている。社号については、単に八幡神社と称される[1]場合もあり、入口の社号標には「八幡神社」と刻名されている。

鳴尾八幡神社
2015年11月3日撮影
社殿
所在地 兵庫県西宮市上鳴尾町14-21
位置 北緯34度43分20秒 東経135度22分8.3秒 / 北緯34.72222度 東経135.368972度 / 34.72222; 135.368972座標: 北緯34度43分20秒 東経135度22分8.3秒 / 北緯34.72222度 東経135.368972度 / 34.72222; 135.368972
主祭神 応神天皇
天照皇太神
社格 旧村社
創建 文安年間
別名 八幡神社
例祭 7月9日
主な神事 例大祭
地図
鳴尾八幡神社の位置(兵庫県内)
鳴尾八幡神社
鳴尾八幡神社
鳴尾八幡神社 (兵庫県)
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歴史

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有栖川宮熾仁親王より奉献された勅額(複製)

創建は後花園天皇が在位した文安年間と伝えられている。旧称は廣幡八幡宮

文明年間には鳴尾村を含む7村の総鎮守[2]となり、本郷の宮と称された。また有栖川宮家より代々に渡り崇敬され、度々幣帛と御歌が寄進されている。

さらに1906年明治39年)に公布された神社合祀令により、武庫郡鳴尾村の村社・総鎮守として、翌年から1912年大正元年)にかけて砂浜神社など鳴尾村内の数社[注 1]合祀した[1]

年表

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  • 1811年文化8年)、社殿を再建。拝殿は瓦葺で本殿は檜皮葺三間社[注 2]春日造という珍しい様式であった。
  • 1873年明治6年)8月、近代社格制度により村社に列せられる。
  • 1995年平成7年)、阪神・淡路大震災により本殿が全壊。
  • 2000年(平成12年)3月、社殿を再建。
  • 2018年(平成30年)9月、本殿屋根が台風により破損。
  • 2021年(令和3年)12月26日、西宮神社の新宮司・吉井良昭氏が就任。
  • 2022年(令和4年)6月16日、本拝殿屋根の修繕工事が完了。
  • 2022年(令和4年)6月25日、仮本殿から本殿遷座祭を行う。

祭神

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祭事

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  • 1月1日 - 歳旦祭
  • 3月25日 - 天満宮例祭
  • 7月9日 - 夏祭
  • 7月15日 - 猿田彦社祭
  • 8月15日 - 慰霊祭
  • 8月24日 - 子安社例祭
  • 10月20日 - 秋祭
  • 毎日9:30~ー日供祭(にっくさい)

境内

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南側 鳥居
 
境内 参道

1400年頃より生えているとされるクロマツの巨木が茂る約2,000坪の境内は、西宮市の景観樹林保護地区に指定されている[1][3]。南端の鳥居より社殿前まで約170mの参道が真直ぐに延びており[注 3]、境内社や慰霊塔等が沿道に鎮座している。

社殿
木造銅板葺。阪神・淡路大震災により本殿が全壊し、2000年平成12年)3月に再建された。拝殿に掲げられていた扁額は、1867年慶応3年)11月、有栖川宮熾仁親王より奉献された勅額であったが、同震災による破損のため再建後は複製が掲げられている。
稲荷社
社殿前の参道西側にある。祭神は倉稲魂命
天満宮
社殿前の参道西側、稲荷社の北隣にある。祭神は菅原道真
猿田彦社
社殿前の参道西側、稲荷社の南隣にある。祭神は猿田彦大神住吉大神船玉大神松尾大神出雲大神淡島大神廣峯大神多賀大神多度大神一目連大神[4]
子安社
第三鳥居(石橋)南の参道西側にある。祭神は木花咲耶姫命磐長姫命八意思兼神八岐比古神八岐姫神
鳴尾 元戎社
例祭日九月十日
鳴尾には、西宮まで蛭児神を神輿に乗せた御神幸に際して、これに供奉した漁民たちの存在が伝えられている。この人々を太夫とよび、その代々の子孫は太夫の名乗りを継承した。太夫の家は七軒あったといわれる。戦災により寺や家々の過去帳が焼失したため、いまではどの家が太夫だったかはわからなくなったが、御神幸に参加した太夫たちの総代で「惣太夫」とよばれた家がある。(中略)戦前までは鳴尾の太夫たちも毎年五月十四日(旧暦)の西宮神社の御神幸式日に参加していたという。 この文中の「惣太夫」が今でもおこしや祭りに参加し、鳴尾名物であったスイカをお供えしているのだ。
慰霊塔
第二鳥居北の参道西側にある。1923年(大正12年)に除籍となった戦艦安芸砲身が塔として建立されたもの。旧称は忠魂碑。当時の鳴尾村より出征した、日清戦争日露戦争大東亜戦争の戦死者を祀る。1941年昭和16年)に公布された金属類回収令により2体の神馬像が武器生産のため供出されたが、慰霊塔は残された。

その他参道脇には、江戸時代の文人墨客[注 4]が集った砂浜神社の名残りである「文房四神之碑」や、第七代西宮市長・辰馬龍雄と当時の鳴尾文化協会会長・東内三男の協力により建立された俳句塚1936年(昭和11年)の耕地整理事業完成記念の神馬像[注 5]などがある[1]

交通

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脚注

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注釈

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  1. ^ 素盞嗚神社、田ノ前八幡神社、西浜素盞嗚神社、外葭島琴刀比羅神社、砂浜神社、稲荷神社
  2. ^ 正面の柱間が3ヶ所ある本殿。
  3. ^ 以前はさらに南方の海岸(現・ららぽーと甲子園付近)まで参道が延びていたとも言われている。
  4. ^ ぶんじんぼっかく。詩文・書画等の風流を親しむ人。
  5. ^ 前述の供出後、戦後に再建された1体が建てられている。

出典

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  1. ^ a b c d 鳴尾村誌 1889-1951 P.103-104
  2. ^ 西宮・鳴尾八幡神社。 - 神戸の空の下で。~街角の歴史発見~
  3. ^ 景観樹林保護地区指定一覧表 - 西宮市ホームページ (PDF)
  4. ^ 猿田彦社の御祭神 - 公式サイト

参考文献

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  • 鳴尾村誌編纂委員会 編『鳴尾村誌 1885-1951』西宮市鳴尾区有財産管理委員会、2005年3月。 

関連項目

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外部リンク

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