鳩山薫
日本の教育者
(鳩山薫子から転送)
鳩山 薫(はとやま かおる[1]、1888年(明治21年)11月21日 - 1982年(昭和57年)8月15日)は、日本の教育者。52・53・54代内閣総理大臣である鳩山一郎の妻。共立女子大学学長を務めた。神奈川県横浜市出身。
はとやま かおる 鳩山 薫 | |
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薫共立女子学園長 共立女子専門学校長就任当時(1956年)に撮影。 | |
生誕 |
寺田 薫 1888年11月21日 日本 神奈川県横浜市 |
死没 |
1982年8月15日(93歳没) 日本 |
死因 | 老衰 |
出身校 | 女子学院卒業 |
配偶者 | 鳩山一郎(夫) |
子供 |
鳩山威一郎(長男) 古沢百合子(長女) 鳩山玲子(次女) 鳩山節子(三女) 山中恵子(四女) 渡邉信子(五女) |
親 | 寺田栄(父) |
経歴
編集神奈川県横浜市出身。横浜地方裁判所判事で貴族院議員の寺田栄といくの長女として生まれる。1905年(明治38年)に親戚筋にあたる鳩山家の養女となり、実名も薫から薫子と改名[2]。その後、1907年(明治40年)に女子学院を卒業[3][4]。
1908年(明治41年)9月18日に鳩山一郎と結婚[5]。1932年(昭和7年)に清和婦人会会長に就任。その後、共立女子大学の創立に携わり、財団法人共立女子学園理事長・共立女子専門学校長、共立高等女学校長、共立女子職業学校長・共立女子中学校校長・共立女子高等学校校長などを歴任[4]。
1951年(昭和23年)には共立女子大学学長に就任。また、日ソ婦人懇話会会長・日本友愛青年協会理事長・東京都文京区結婚相談員・財団法人日本花いっぱい協会会長・財団法人東京善意協会理事などを歴任[4]。
1976年(昭和51年)の孫・邦夫の地元(旧・東京八区)での初当選も見届け、1982年(昭和57年)8月15日、93歳で死去。死後、正四位に叙せられる。
受賞歴
編集文献
編集系譜
編集→詳細は「鳩山由紀夫 § 系譜」を参照
脚注
編集先代 吉田喜代 |
内閣総理大臣夫人 1954年12月10日 - 1956年12月23日 |
次代 石橋うめ |
先代 二宮丁三 |
共立女子大学学長 1951年 - 1982年 |
次代 剱木亨弘 |