鳥越 彦三郎(とりごえ ひこさぶろう、生年不明 - 1942年昭和17年)2月20日)は、福岡県吉井町商人米穀商)[注 1]鳥越製粉創業者[2]。ジャーナリスト鳥越俊太郎の曽祖父。

人物

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福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。実父は鳥越半助[2]。鳥越家は江戸の末期くらいから米を脱穀する仕事をやっていた[3]。裕福な家庭の二男坊として何不自由なく育つ[2]

1877年、父から独立を言い渡される[2]。徴兵強化の風評は高まっていたが、一家の嗣子、長男だけは兵役を猶予されるので、父は彦三郎を身内の鳥越順作の養嗣子として入籍させた[2]

1877年、吉井町で米穀・日用雑貨取扱業を創業[4]。大地主である鳥越家の斜め向かい50の場所で米を量り売りする米穀商店を始めた[3][5]。大地主の鳥越家には昭和の農地改革まで年4000から7000もの米が上納米として入ってきていて、それをいくつかの米屋に卸していたが、そのうちの一軒がこの米穀商店だった[3]。「鳥越彦三郎商店」と称した。

彦三郎は町中にある水車を巧みに利用し、精米した米を造り酒屋卸し、店を大きくしていった[6]1935年、株式会社鳥越商店(現・鳥越製粉)を設立、息子の繁が社長となり、彦三郎は取締役となった。1940年、家業が米穀商から製粉・精麦業に転換したのを見届けて1942年に亡くなった。

家族・親族

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鳥越家

脚注

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注釈

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  1. ^ 鳥越彦三郎について『日韓商工人名録 下巻』には「米穀商兼肥料商」とある[1]
  2. ^ 鳥越繁について『福岡県壱万円以上実業家資産名鑑と大日本富豪家蓄財の経歴 大正11年8月現在』には「純資産額は2万円、職業は雑穀」とある[7]

出典

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  1. ^ 『日韓商工人名録 下巻』福岡県 筑後国 吉井町73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『五十年の歩み 鳥越製粉株式会社50周年記念社史』1 - 10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月27日閲覧。
  3. ^ a b c NHKが報道した鳥越俊太郎のデタラメ家系図 “ホンモノ”子孫が憤りを明かす”. デイリー新潮 (2016年5月30日). 2024年11月2日閲覧。
  4. ^ 会社の沿革、年表、鳥越製粉株式会社公式サイト。
  5. ^ a b c d 週刊新潮』新潮社、2016年5月26日号、46-48頁。
  6. ^ a b c d ファミリーヒストリー』(2015年7月10日放送)。
  7. ^ 『福岡県壱万円以上実業家資産名鑑と大日本富豪家蓄財の経歴 大正11年8月現在』156頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年3月2日閲覧。
  8. ^ 『商工資産信用録 第40回 九州防長版』福岡県トナ之部74頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年3月4日閲覧。

参考文献

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  • 『日韓商工人名録 下巻』實業興信所、1908年。
  • 帝国実業奨励会編『福岡県壱万円以上実業家資産名鑑と大日本富豪家蓄財の経歴 大正11年8月現在』若越書院、1922年。
  • 『商工資産信用録 第40回 九州防長版』商業興信所、1939年。
  • 鳥越製粉株式会社社史編集委員会編『五十年の歩み 鳥越製粉株式会社50周年記念社史』鳥越製粉、1985年。