鳥越 俊雄(とりごえ としお、1916年大正5年)7月28日 - 1990年平成2年)3月30日[1])は、日本実業家鳥越製粉専務。鳥越製粉創業者鳥越彦三郎の孫。ジャーナリスト鳥越俊太郎の父[2]

人物

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福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身[1][3]1939年京都帝国大学経済学部卒業[3][4]。住友本社に勤務[3]。札幌の北日本鉱業所に配属された[5]。現場で鉱山労働者などから相手にされず[5]、いじめにあい、神経症を発症した[2]。1940年、長男の俊太郎が誕生したときは九大精神科の病棟に入院していた[2]1943年、退職[3]。対人恐怖症を克服しようと、仏教に傾倒した[5]。京都帝国大学文学部に入学した[3]

1946年5月、同大学中退[3]。同年10月、鳥越商店入社、監査役[3]。地元に作られた劇団「ともだち座」の人たちに心を許し、自宅の2階を開放し、俊雄は大勢の若者たちと稽古に没頭した[5]。さらに地域合唱団を結成した[5]1952年取締役[3]1963年、セブン食品常務兼任[3]

65歳で会社を退職した[5]。息子英樹とともに、フランスパンが売りのパン屋を立ち上げた[5]。また弱者のため精神障害者の共同作業所を立ち上げた[2]。肝腎不全のため73歳で亡くなった[1][2]。心身障害者、精神障害者と身体障害者のメンバーが、俊雄の霊前で弔辞を読んだ[2]

宗教は真宗[3]。趣味は音楽、古典、声楽[3]。大学時代は合唱団に所属していた[5]。住所は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)。著書に『虚実の彼方に-鳥越家の人々』がある。

家族・親族

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鳥越家

脚注

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  1. ^ a b c 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.439
  2. ^ a b c d e f “東京都知事選 鳥越俊太郎氏演説詳報(22日)「東京都からはっきりと『反安倍』の旗を立てます」”. 産経ニュース (産経新聞社). (2016年7月23日). https://www.sankei.com/article/20160723-ZSSIZN3RKZPKDDTH5CGH43WTTI/2/ 2018年2月28日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』574頁。
  4. ^ 『京都帝国大学一覧 昭和15年度』卒業生姓名 経済学部(経済学士)459頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月11日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i ファミリーヒストリー』(2015年7月10日放送)。

参考文献

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  • 京都帝国大学編『京都帝国大学一覧 昭和15年度』京都帝国大学、1940 - 1943年。
  • 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年。