高木正成
日本の安土桃山時代~江戸時代前期の大名。河内丹南藩初代藩主高木正次長男で、丹南藩2代藩主。従五位下主水正。大番頭・御書院番頭・小田原城守衛等を歴任
高木 正成(たかぎ まさなり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。河内国丹南藩の第2代藩主。官位は従五位下・主水正。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正15年(1587年) |
死没 | 寛永12年4月2日(1635年5月18日) |
改名 | 善次郎(幼名)、正成 |
官位 | 従五位下、主水正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康→秀忠→家光 |
藩 | 河内丹南藩主 |
氏族 | 高木氏 |
父母 | 父:高木正次、母:大久保忠佐の養女 |
兄弟 | 正成、永井直清正室 |
妻 | 山口重政の養女 |
子 | 正弘、正好、正房、渡辺吉綱正室、丹羽氏定正室、設楽貞辰室 |
略歴
編集初代藩主・高木正次の長男として近江国にて誕生した。母は大久保忠佐の養女。幼名は善次郎。
慶長3年(1598年)より徳川家に仕え、慶長5年(1600年)の第二次上田合戦では父と共に真田昌幸を攻めた。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣に従軍して戦功を挙げ、上総国内に1000石を与えられた。翌年の大坂夏の陣においても天王寺口で戦い、戦傷を負いながらも武功を挙げたため、さらに1000石を加増された。寛永7年(1630年)、父の死去により跡を継ぐ。このとき、先の2000石を長男の正弘と次男の正好に分与している。
小田原城守衛や御書院番頭などを務めたことから上総国内に3000石を加増され、後に大番頭にもなった。寛永12年(1635年)3月11日、49歳で死去し、跡を長男の正弘が継いだ。