渡辺 吉綱(わたなべ よしつな)は、江戸時代前期の大名武蔵国野本藩初代藩主。伯太藩渡辺家初代。

 
渡辺 吉綱
時代 江戸時代前期
生誕 慶長16年(1611年
死没 寛文8年6月19日1668年7月27日
別名 大学(通称)、半丞
戒名 浄閑吉綱院
墓所 愛知県豊田市寺部町の守綱寺
官位 従五位下丹後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光家綱
武蔵野本藩
氏族 三河渡辺氏
父母 父:渡辺重綱、母:杉浦盛嗣
兄弟 勝綱仲綱忠綱治綱吉綱綱貞(三綱)長綱石川正光正室、松平三左衛門室、稲葉正通
正室高木正成の娘
近綱利綱方綱、則綱、内藤信通正室、山田常紀
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略歴

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慶長16年(1611年)、渡辺重綱の五男として誕生した。

元和9年(1623年)から徳川秀忠に仕え、3520石の知行を与えられた。後に中央詰、御書院番士小姓組番頭書院番頭を歴任する。寛文元年(1661年)11月8日、大坂定番となり、河内国内に1万石を与えられて1万3000石の大名となった。幕臣として、その後も重用された。

寛文8年(1668年)6月19日、死去。享年58。跡を三男の方綱が継いだ。