渡辺 忠綱(わたなべ ただつな)は、江戸時代前期の旗本

 
渡辺忠綱
渡邉忠綱の肖像
時代 1604-1623
別名 忠七郎
戒名 忠綱院釈宗圓
墓所 東京都台東区池之端忠綱寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠
氏族 三河渡辺氏
父母 父:渡辺重綱、母:水野正重
兄弟 勝綱仲綱渡辺治綱渡辺吉綱綱貞(三綱)長綱石川正光正室、松平三左衛門室、稲葉正通室
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略歴

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慶長12年(1604年)、渡辺重綱の三男として誕生した。

江戸幕府から直接拝領していた、武蔵領3000石を父・重綱より分領されるが、寛永元年(1623年)、二十歳にて早逝。その後、弟・吉綱に引き継がれる。

兄・忠綱の死を悲しんだ吉綱と、重綱は神田台に向岡山渡邉院忠綱寺と冠して一寺を建立し、その菩提を弔った。

出典

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