高久光雄
日本の音楽プロデューサー (1946-2024)
高久 光雄(たかく みつお、1946年3月31日 - 2024年5月28日[1])は、日本の音楽ディレクター、音楽プロデューサー、経営者。血液型B型。
経歴
編集東京都大田区出身。祖父は実業家、父はマンドリン奏者の高久肇という家に育つ[2]。明治学院大学経済学部卒業後、日本コロムビアに入社し、エイプリル・フールなどをプロデュース。1971年に、EPIC班(のちのEPICソニーレコード)に移り、音楽ディレクターとして、ミシェル・ポルナレフ、矢沢永吉、プロデューサーとして、南佳孝などを、次々にヒットさせる。その後、キティMME、ユニバーサル インターナショナル、ドリーミュージックなどの社長兼CEOを経て相談役。日本レコード協会監事。
2024年5月28日、夕暮れ前に78歳で永眠。
エピソード
編集主な担当アーチスト
編集関連項目
編集- 須藤晃(CBSソニー時代のアシスタント)
脚注
編集- ^ “【訃報】音楽プロデューサーの高久光雄氏が死去 78歳、ミッシェル・ポルナレフや矢沢永吉、南佳孝など数多くのアーティストを手がける”. musicman (2024年5月30日). 2024年5月30日閲覧。
- ^ 第100回 高久 光雄 氏 株式会社ドリーミュージック・ 取締役相談役