馬淵鋭太郎
日本の内務官僚、政治家
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馬淵 鋭太郎(まぶち えいたろう、1867年2月22日(慶応3年1月18日[1])- 1943年(昭和18年)9月13日)は、日本の内務官僚、政治家。官選府県知事、京都市長、錦鶏間祗候。馬渕と表記される場合がある。
経歴
編集美濃国加納藩士・馬淵致正の長男として生まれる。1893年、帝国大学法科大学を卒業。同年8月、高等試験に合格し、内務省試補となり内務属として社寺局に配属された。以後、兵庫県・奈良県・京都府の各参事官、栃木県・山口県・長崎県の各書記官などを歴任。
1906年7月、山形県知事に就任。以後、山口県・三重県・広島県・京都府の各知事を歴任。退官後、1921年7月、京都市長となる。その後、恩賜財団済生会理事長、日本赤十字社常議員を務めた。
栄典
編集- 位階
- 勲章等
著書
編集- 『国民精神ノ振興ト国史教育』馬淵鋭太郎、1918年。
- 訳書
- ダッドレー・ヒースコート稿『新欧洲「ムッソリニ」の新国家観』馬淵鋭太郎、1926年。
脚注
編集参考文献
編集- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。