頼豪
平安時代中期の天台宗の僧。藤原文正-光輔-藤原有家(伊賀守)-頼豪。怨霊伝説。阿闍梨。実相院
経歴
編集園城寺(三井寺)の心誉に師事し、円行から法を受け、実相院に住した。
修法の効験で知られ、承保元年(1074年)に白河天皇の皇子誕生を祈願し敦文親王が誕生したことから、園城寺の戒壇創設を天皇に請うたが、園城寺と対立していた延暦寺の反対により実現しなかった。その後怨念を抱いて断食して命を絶った。
伝説
編集頼豪は死後、怨霊となってネズミ・鉄鼠となって延暦寺の経典を食い破ったという。この話は『平家物語』『太平記』に載せられた伝説である。
敦文親王は4歳で頼豪の祟りによって薨去したとされる。ただし実際は、親王は頼豪より前の承保4年(1077年)に薨去している。
園城寺には頼豪が化けたネズミ・鉄鼠を祀る十八明神社(ねずみの宮)があり、日吉大社にはその鉄鼠を封じ込めたものであるという鼠社がある。
創作
編集参考文献
編集- 山本ひろ子 『異神〈上〉中世日本の秘教的世界』 ちくま学芸文庫 2003年 ISBN 978-4480087683