領家 政蔵(りょうけ まさぞう、1943年12月29日 - )は、鹿児島県曽於郡大崎町出身の元調教師・元騎手

領家政蔵
2009年トパーズS表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県曽於郡大崎町
生年月日 (1943-12-29) 1943年12月29日(80歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 阪神田中好雄(1963 - 1973)
阪神→栗東田中良平(1973 - 1980)
初免許年 1963年
免許区分 平地
騎手引退日 1980年
重賞勝利 6勝
通算勝利 2586戦296勝
調教師情報
初免許年 1980年(1981年開業)
調教師引退日 2014年
重賞勝利 22勝(うち地方4勝)
G1級勝利 2勝
通算勝利 7702戦802勝
経歴
所属 栗東T.C.(1981 - 2014)
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次女はタレント評論家領家華子

経歴

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農家の次男として生まれ[1]、少年時代から農耕馬に親しんだ。

当初は将来に獣医師を志していた[1]が、阪神田中良平厩舎を退職し帰郷した元厩務員と知り合ったことで目標を騎手に改め[2]、中学卒業後に良平の父である阪神・田中好雄厩舎に騎手見習として入門[1]。領家は騎手としては大柄で、周囲からは「帰った方がいい」、「厩務員になれ」などと勧められたという[2]

見習時代は磨き、洗濯は当たり前であり、道具は先輩からのお下がりで、乗馬ズボンの穴の開いた場所からいつも血が滲ませた[3]

1963年に免許を取得してデビューし、3月16日の阪神第4競走アラブ5歳以上オープン・タマカセン(11頭中10着)で初騎乗を果たす。6月1日の阪神第2競走アラブ4歳以上40万下・ケンサカエで初勝利を挙げるが、2着には同厩のミスケーシーが入って枠連1万720円の高配当決着となった。8月9月には高尾武士から乗り替わったアルプスオーで小倉の特別戦を連勝し、9月・10月にはマリーで小倉戦2勝2着2回と活躍。1年目の同年は5勝を挙げたが、5勝中4勝は小倉で、その4勝はアルプスオーとマリーで2勝ずつ挙げたものであった。

2年目の1964年には初の2桁となる19勝を挙げると、1977年まで14年連続2桁勝利を記録。1964年は清水出美から乗り替わった松井麻之助厩舎のトキノヒカリの主戦騎手となり、アラブ大障害(春)では人馬共に重賞初出走で7頭中7番人気ながら4着と健闘したが、同レースを最後に領家は降板。

その後も騎乗数は多くなかったが[1]1966年には自己最多の31勝をマーク。1968年にはシンザン記念で10頭中9番人気のヒカリオーに騎乗し、後のダービータニノハローモア皐月賞マーチスを抑えて重賞初制覇。同年の初勝利を重賞初勝利で飾り、その後も3月の春蘭特別で5頭中4番人気ながらタニノハローモアを破り、4月の4歳S(阪神)では人気に応えて東上。5月に行われた皐月賞はぶっつけで人馬共に初の八大競走GI級レース挑戦となり、タケシバオー・マーチス・アサカオーの三強に次ぐ4番人気に支持されたが、初の中山で雨と重馬場に泣き12着惨敗。

以後も散発的ながら重賞勝利を重ね、1970年神戸杯では10頭中9番人気のニューペガサスでオークスジュピックをアタマ差抑えて勝利。ニューペガサスは同年の二冠馬タニノムーティエと同じムーティエ産駒であったが、後に菊花賞馬となる人気のダテテンリュウが大差殿負けを喫したため、単勝4660円、枠連5850円の大波乱となった。

1976年にはコーヨーチカラ2月中京・未勝利を勝つと、3月には中京・カトレア賞(300万下)→阪神・オリーブ賞(600万下)と3連勝。初東上となったNHK杯では2着メルシーシャダイに4馬身差を付けて4連勝し、初めて東京優駿に臨む。本番でも「関西の秘密兵器」としてトウショウボーイテンポイントに次ぐ3番人気に支持されたが、結果は15着大敗に終わっている。この頃より騎乗数が減り始めたことから調教師への転身を考え、引退勧告の目安となる60回騎乗した後は受験勉強に集中するという生活を始める[4]

1977年7月24日札幌第9競走短距離ステークスではヨシオカザンに騎乗し、マルゼンスキーを抑えて逃げる見せ場を作った。結果は3着のヤマブキオーから6馬身も離された4着に終わったが、マルゼンスキーに生涯唯一の2番手からのレースを経験させた。

1979年8月19日の小倉第3競走4歳未勝利・サチノホーオーが最後の勝利となり、同年12月9日の中京第9競走美濃特別・コーヨーシロー(16頭中15着)が最後の騎乗となった。1980年に2度目の受験で調教師免許を取得し、同年限りで現役を引退。通算2586戦296勝、うち重賞6勝。

引退後の1981年6月、廃業した中村武志の管理馬を引き継いで厩舎を開業[4]同6日の阪神第9競走5歳以上400万下・サンクレーイ(17頭中7着)で初出走を果たし、初勝利も8月1日の小倉第10競走4歳以上400万下に出走させた同馬であった。CBC賞・キョウエイウオーク(11頭中9着)で重賞初出走、2年目の1982年には天皇賞(春)に転入初戦のキングオブイブキを出してGI級レース初出走を果たす。

3年目の1983年抽籤馬ラブリースター金鯱賞を制し、調教師としての重賞初勝利を記録。同馬は北九州記念も制して2勝目をマークするが、共に鞍上は田原成貴であった。

以後しばらく重賞からは遠ざかったが、勝利数では1988年に全国4位(関西3位)の34勝を挙げ優秀調教師賞を初受賞。以後も1990年に29勝で全国7位(関西3位)、1991年には33勝で全国8位(関西7位)といった安定した成績を挙げた。

1995年にはラブリースターの仔で田原騎乗のワンダーパヒューム桜花賞を制し、12年ぶりの重賞勝利を挙げると共にGI初制覇を果たした。同年、自己最高の40勝を挙げて2度目の優秀調教師賞を受賞し、以後も勝利数では上位の成績を続けた。

2008年にはJRA育成馬のセイウンワンダー朝日杯フューチュリティステークスを制し、13年ぶりにGI(JpnI)制覇を果たした。また、同年よりビービーガルダンが短距離路線を賑わせ、2009年から重賞2勝を挙げたほか、スプリンターズステークス(2009年)と高松宮記念2010年)という秋春の短距離GIでいずれもハナ差2着という珍しい記録を作った。特に前者では、勝ったローレルゲレイロと1cmという非常な僅差であった[5]

成績

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騎手成績

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通算成績 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 254 212 231 2324 .109 .201
障害 42 51 48 262 .160 .355
296 263 279 2586 .114 .216
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1963年3月16日 1回阪神1日4R アラブ5歳以上オープン タマカセン 11頭 11 10着
初勝利 1963年6月1日 2回阪神5日2R アラブ4歳以上40万下 ケンサカエ 11頭 4 1着
重賞初騎乗 1964年6月7日 2回阪神8日7R アラブ大障害(春) トキノヒカリ 7頭 7 4着
重賞初勝利 1968年1月15日 1回京都6日11R シンザン記念 ヒカリオー 10頭 9 1着
GI級初騎乗 1968年5月19日 6回中山2日9R 皐月賞 ヒカリオー 16頭 4 12着

主な騎乗馬

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※括弧内は領家騎乗時の優勝重賞競走

調教師成績

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区分 1着 2着 3着 4着以下 出走数 勝率 連対率
1981年 平地 8 11 9 78 106 .076 .179
障害 0 1 0 4 5 .000 .200
8 12 9 82 111 .072 .180
1982年 平地 13 16 14 102 145 .090 .200
障害 0 0 0 1 1 .000 .000
13 16 14 103 146 .089 .199
1983年 平地 12 9 11 100 132 .091 .159
1984年 平地 14 10 4 85 113 .124 .212
障害 0 2 0 7 9 .000 .222
14 12 4 92 122 .115 .213
1985年 平地 18 15 14 113 160 .113 .206
障害 2 7 2 13 24 .083 .375
20 22 16 126 184 .109 .228
1986年 平地 14 19 12 133 178 .079 .185
障害 0 1 0 10 11 .000 .091
14 20 12 143 189 .074 .180
1987年 平地 15 13 12 143 183 .082 .153
1988年 平地 32 21 23 156 232 .138 .228
障害 2 7 1 5 15 .133 .600
34 28 24 161 247 .138 .251
1989年 平地 16 19 21 164 220 .073 .159
障害 0 0 1 4 5 .000 .000
16 19 22 168 225 .071 .156
1990年 平地 29 28 22 175 254 .114 .224
障害 0 0 1 9 10 .000 .000
29 28 23 184 264 .110 .216
1991年 平地 33 27 25 194 279 .118 .215
障害 0 0 0 3 3 .000 .000
33 27 25 197 282 .117 .213
1992年 平地 21 22 25 166 234 .090 .184
障害 1 0 0 5 6 .167 .167
22 22 25 171 240 .092 .183
1993年 平地 16 34 19 180 249 .064 .201
1994年 平地 23 29 23 147 222 .104 .234
障害 4 5 2 7 18 .222 .500
27 34 25 154 240 .113 .254
1995年 平地 39 28 28 148 243 .160 .276
障害 1 0 0 7 8 .125 .125
40 28 28 155 251 .159 .271
1996年 平地 22 22 16 199 159 .085 .170
1997年 平地 24 29 24 176 253 .095 .209
障害 1 3 0 2 6 .167 .667
25 32 29 178 259 .097 .220
1998年 平地 19 26 30 154 229 .083 .197
障害 0 0 2 3 5 .000 .000
19 26 32 154 234 .081 .192
1999年 平地 32 27 21 158 238 .134 .248
障害 0 1 0 3 4 .000 .250
32 28 21 162 242 .132 .248
2000年 平地 32 20 30 172 254 .126 .205
障害 1 0 0 6 7 .143 .143
33 20 30 178 261 .126 .203
2001年 平地 26 16 19 163 223 .117 .188
2002年 平地 30 21 22 196 269 .112 .190
障害 1 1 0 0 2 .500 1.000
31 32 22 196 271 .114 .196
2003年 平地 25 18 21 172 236 .106 .182
障害 1 0 1 2 4 .250 .250
26 18 22 174 240 .108 .183
2004年 平地 17 12 11 189 229 .074 .127
2005年 平地 19 25 22 195 261 .073 .169
障害 0 0 0 2 2 .000 .000
19 25 22 146 263 .072 .167
2006年 平地 34 31 14 223 302 .113 .215
障害 1 2 0 2 5 .200 .600
35 33 14 225 307 .114 .221
2007年 平地 23 22 22 198 265 .087 .170
障害 1 2 0 2 5 .200 .600
35 33 14 225 307 .114 .221
2008年 平地 33 17 15 208 273 .121 .183
障害 0 0 0 2 2 .000 .000
33 17 15 210 275 .120 .182
2009年 平地 31 26 32 179 268 .116 .263
障害 0 0 0 0 1 .000 .000
31 26 32 180 269 .115 .212
2010年 平地 26 24 18 184 252 .103 .198
障害 0 2 0 1 3 .000 .667
26 26 18 185 255 .102 .204
2011年 平地 37 19 24 176 256 .145 .219
障害 0 0 3 3 6 .000 .000
37 19 27 179 262 .141 .214
2012年 平地 29 20 30 172 251 .116 .195
障害 0 1 0 3 4 .000 .250
29 21 30 175 255 .114 .196
2013年 平地 21 22 19 194 256 .082 .168
障害 2 0 0 1 3 .667 .667
23 22 19 195 259 .089 .174
平地 783 698 652 5,391 7,524 .104 .196
障害 19 36 13 110 178 .107 .309
総計 802 734 665 5,501 7,702 .104 .199

※上記は中央のみの成績。

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1981年6月6日 3回阪神7日9R 5歳以上400万下 サンクレーイ 17頭 10 7着
初勝利 1981年8月1日 2回小倉7日10R 4歳以上400万下 サンクレーイ 9頭 5 1着
重賞初出走 1981年12月13日 3回中京6日11R CBC賞 キョウエイウオーク 11頭 7 9着
重賞初勝利 1983年7月10日 2回中京8日10R 金鯱賞 ラブリースター 20頭 10 1着
GI初出走 1982年4月29日 3回京都3日9R 天皇賞(春) キングオブイブキ 16頭 15 16着
GI初勝利 1995年4月9日 4回京都6日10R 桜花賞 ワンダーパヒューム 18頭 7 1着

主な管理馬

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※括弧内は領家管理下での優勝重賞競走。

太字はGIレース、斜体ダートグレード競走

GI優勝馬

その他重賞優勝馬

受賞

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主な厩舎所属者

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※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

出典

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  1. ^ a b c d 木村幸治『調教師物語』(洋泉社、1997年)ISBN 4896912926、pp.244-245
  2. ^ a b 優駿』1995年10月号、p.79
  3. ^ 【小倉大賞典】領家師 ゼロスに思いを乗せ東京から見守る
  4. ^ a b 木村(1997)pp.247-248
  5. ^ ゲレイロ1cm差戴冠 / スプリンターズS”. 日刊スポーツ (2009年10月9日). 2014年2月2日閲覧。

関連項目

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