青木一咸
青木 一咸(あおき かずひろ)は、江戸時代後期の大名。摂津国麻田藩の第13代藩主。官位は従五位下・甲斐守。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文政11年(1828年) |
死没 | 安政3年8月20日(1856年9月18日) |
墓所 | 東京都港区白金台の瑞聖寺 |
官位 | 従五位下・甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶、家定 |
藩 | 摂津麻田藩主 |
氏族 | 奥平氏、青木氏 |
父母 | 奥平昌高、青木一興 |
兄弟 |
奥平昌暢、奥平昌猷、生駒親愛、 池田慶政、生駒親道、一咸、牧野忠直、 鉄姫、成瀬正住正室、稲葉幾通正室、 鍼姫、フチ、島津忠寛正室、銈姫、 内藤頼愛正室、永井尚典正室、 加藤泰理正室、操姫、軽姫ら |
妻 | 戸田光庸養女鋠 |
子 | 男子、重義 |
略歴
編集文政11年(1828年)、豊前国中津藩の第5代藩主・奥平昌高の十二男として誕生した。
嘉永2年(1849年)10月2日、先代藩主の一興が嗣子なく死去したため、末期養子となって跡を継いだ。同年12月16日、従五位下・甲斐守に叙任する。
安政3年(1856年)8月20日、29歳で死去した。跡を第11代藩主・青木重龍(隠居ながら存命であった)の五男で一興の甥の重義が継いだ。