霊性 (キリスト教)
キリスト教神学における霊性(英語:Spirituality(スピリチュアリティ)、ラテン語:spiritualitas[1])について概説する。
霊性というカトリック神学用語の起源は5世紀に遡り[1]、神学用語として積極的に用いられるようになったのは20世紀初めで[2]、その後はキリスト教用語の枠を越えて広く宗教用語や一般文化用語として用いられている[1]。
語義
編集古代ヘブライ・ギリシアからキリスト教神学での変遷
編集カトリック神学用語として霊性が使用されたのは5世紀に遡る[1]。その背景にはパウロが使った「霊」(ギリシア語でプネウマ)がある[1]。
霊性(Spirituality)と霊(Spirit)が欧米日本共に近似しているため両者を混同しやすいため、その区別を確かめることは重要である[1]。
Spirituality(スピリチュアリティ)は、古典ギリシャ語のπνευμα (プネウマ)、ψυχή(プシュケー)、ヘブライ語のרוח(ルーアハ)[3]、ラテン語のspiritus(スピリトゥス)[4]、英語のspirit(スピリット)を語源とし[5]、聖書の日本語訳では聖霊、御霊とも訳されてきた[6]。従来の日本のキリスト教においては「霊的」という言葉が使われてきたが、キリスト教でもその歴史のなかで修道院における霊的観想や霊的修練を見直す運動につながる[7]など、神に従って生きようとするキリスト者の歩みの総体を「霊性」という言葉で表現するようになった[8]。
霊性という言葉は使われはじめた当初から新プラトン主義的な身体や物質と対立する意味での「魂(プシュケー)」に概念的な接近を見せている。金子晴勇によれば、『旧約聖書』の「霊(ルーアッハ)」・『新約聖書』の「霊(プネウマ)」とプラトン主義的な「霊(プシュケー)」には相違が見られる。プシュケー、プネウマはもともと気息を意味した[9]。
奥村一郎は、霊性を、霊(プネウマ)と魂(プシュケー)と体(ソーマ)の三原理を統合するものと定義し、霊は円の中心にあり、体は円周に、魂(または精神、心)は円の内にある[1]。奥村は「人間の中心にあって本来みえない霊の働きが、魂という精神機能を通して心理現象となり、次に体がそれに目に見える形象を与えるとき霊性となる」と解説する[1]。
ヘブライ語:ルーアッハ
編集旧約聖書のヘブライ語 רוח(ルーアッハ、ルーアハ)は、神の霊、息、風を意味する[3]。ネシャマーと同義である[3]。ルーアハは創世記1-2で「神の霊」と訳され、天地創造で唯一動くものである[3]。
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 — 創世記1-2、『聖書[口語]』日本聖書協会、1955年
And the earth was waste and void; and darkness was upon the face of the deep: and the Spirit of God moved upon the face of the waters — Genesis1-2、Bible (American Standard),1901
時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ。そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。 — エゼキエル書37章9-10、『聖書[口語]』日本聖書協会、1955年
Then said he unto me, Prophesy unto the wind, prophesy, son of man, and say to the wind, Thus saith the Lord Jehovah: Come from the four winds, O breath, and breathe upon these slain, that they may live. So I prophesied as he commanded me, and the breath came into them, and they lived, and stood up upon their feet, an exceeding great army. — Ezekiel37:9-10、Bible (American Standard),1901
ルーアッハはまずもって人間を活かす生命力であり、肉とともに神と関係する人間を示すのみであるという見方もある[10]。
梶原直美のヘブライ語からの用語変遷の整理では、
- ネシャマー(ルーアハ)→プネウマ→スピリトゥス→スピリット(命の息)
- ネフェシェ→プシュケー→アニマ→ソウル(生きる者)
となる[3]。
古典ギリシャ語
編集プネウマ
編集古典ギリシャ語:πνευμα (プネウマ)は、動詞「吹く」 希: πνεω を語源とし、気息,風,空気、大いなるものの息、存在の原理の意[9]。呼吸、気息,生命、命の呼吸、力、エネルギー、聖なる呼吸、聖なる権力、精神、超自然的な存在、善の天使、悪魔、悪霊、聖霊などを意味した[11]。日本では「聖霊」[12]、日本ハリストス正教会では「神(しん)」と訳す。
プシュケー
編集古典ギリシャ語:Ψυχή、ψυχή(プシュケー)は、動詞ψύχω(プシュコー、吹く)から形成され、呼吸、息、生命、命、生命力、生命の呼吸、生きること、Bodyに対するSoul(精神、魂、心)、spirit(精神),ghost(ゴースト、霊、幽霊), 感情や情念の座、心臓、心、性格、人格、道徳的立場、自然、知性の座、意志や欲望の座、地獄で生き残ることなどを意味した[13][14]。霊魂も意味する[9]。動詞ψύχω(プシュコ―)は吹く、呼吸する、冷たくなる、死ぬの意[15]。日本ハリストス正教会では「プシヒ、霊」と訳す。マルコによる福音書[16]でプシュケーは「命」と訳された。
プラトン主義の伝統においては、プシュケーを持っていることで人間が本質的に神と同族であるという確信があった[17]。
プネウマ(pneuma)はもともと気息,風,空気を意味したが,ギリシャ哲学では存在の原理とされた[9]。空気中のプネウマ(精気、空気、気息)が体内に取り込まれ生体を活気づけると、アナクシメネス、ヒポクラテスらは考え、アリストテレスは植物プシュケー、動物プシュケー、理性プシュケーの3種のプシュケー(精気)を区別し、ガレノスも肝臓にある自然精気、心臓にある生命精気 (Pneuma zoticon) 、脳にある動物精気 (Pneuma physicon) の3つを考えた[18]。アリストテレスやガレノスのプシュケー(精気)をスピリトゥスとして標記する研究もある[4]。
新約聖書のプネウマでは、神の霊と人間の霊とは区別されている[19]ので、プロティノスの思想はキリスト教に近いように見えるが、実はそうではない[17]。
ラテン語:スピリトゥス
編集プネウマはラテン語でスピリトゥス(spiritus)と訳された[4]。スピリトゥスは、空気の動き、呼吸、息、生命の原理、聖なる息、soul(bodyに対する心、精神、魂)、自尊心、誇り、感情、道徳などを意味した[20]。
スピリトゥスは霊、また人格性を有する自己自身を指すアニマとの対比で、非人格的な原理を意味する[4]。ルネサンス時代のエラスムスも『エンキリディオン』8章で、魂が肉を離れて、完全なる霊(スピリトゥス)に近づくことを勧告した[4]。またフィチーノではスピリトゥスを「医者は血液の気化したものと定義している」といっていた[4]。
聖霊
編集- 希: Άγιο Πνεύμα(アギオ・プネヴマ、ハギオ・プネウマ)、羅: Spiritus Sanctus、英: Holy Spiritは、日本では聖霊、日本ハリストス正教会では「聖神」と訳す[21]。
日本語訳聖書における霊性
編集漢語としての「霊性」は超人的な力能をもつ不思議な性質[22]や聡明な天性[23]、才知、能力を意味したが[24][25]、そして聖書の日本語訳において「霊性」は、1880年の「新約全書」の中で英語のthe spirit of holiness(聖霊)の訳語として使用された[26]。
- 明治元訳聖書
日本語訳聖書の訳語としての「霊性」は、1876年(明治9年)より順次分冊刊行し、1880年(明治13年)に完訳した[27]北英聖書會社(スコットランド聖書協会)による『新約全書』(明治元訳聖書)の羅馬書(ローマの信徒への手紙)第1章4「彼は肉体に由ればダビデの裔より生れ、聖善の霊性に由ば甦りし事によりて明らかに神の子たること顕れたり」における「聖善の霊性」に見られる[26][注釈 1]。また1881年(明治14年)に米國聖書會社が訳した『新約全書』でも同様である[28]。
なお、1902年(明治35年)の日本正教会訳『我主イイススハリストスの新約』では「聖善の霊性」は「聖徳の神(しん)」[29]、1917年(大正6年)の大正改訳聖書では「潔き靈」と訳された[30][注釈 2]。
この「聖善の霊性」として日本語に翻訳された原語は、カトリック教会の標準ラテン語訳聖書ヴルガータではspiritum sanctificationis[31]、ギリシア語訳ではπνεῦμα(プネウマ)[32]、英訳では1526年のティンダル訳聖書ではthe holy gooiest[33]、1568年のThe Bishops' Bibleでは the spirite、ジェイムズ王欽定訳聖書ではthe spirit of holinessであり、聖霊、聖なる霊[34]としても訳されているものである。
- 漢訳聖書
日本語訳聖書に先立って翻訳された1813年のロバート・モリソン(Robert Morrison,馬禮遜)とウイリアム・ミルン(William Milne)による漢訳聖書『新遺詔書[35][36]』では「聖風」と訳された[37]。さらにメドハースト代表委員会訳が1852年『新約全書』、1854年『旧約全書』が出版されたあとの1863年にブリッジマン・カルバートソン版『新約全書』(美華書局、上海)では「聖徳之霊」と訳された[38]。日本語訳聖書明治元訳を作成するにあたって使われたのはこの上海美華書館発行の1863年ブリッジマン・カルバートソン版であり、明治元訳聖書には漢訳聖書の表記の多くが引き継がれている[36]。その後、1919年の和合本では「聖善的靈」、1968年の思高聖経では「聖的神性」(聖なる神性)、1999年の牧霊聖経では「神圣的神性」(神聖な神性)と中国語に訳されている。
Spiritualityの用例史
編集英語Spiritualityの類義語も含めた用例史について概説する。いずれの類義語もラテン語のスピリトゥス(spiritus)を語源とする[39]。綴りには、spiritualite,spiritualitie,spirituallitie,spirituelity,spyrytualite,spirittualityなどがある[40]。
- Spirit
Spirit(スピリット)は1256年頃の用例があり、これは古フランス語esp(e)rit(e)の語頭音消失である[39]。日本訳語では霊、霊魂、亡霊、精神など。spiritにはギリシヤ語の語源にある息、呼吸という意味は歴史的研究をのぞいて通常の使用法としてはなくなっている[41]
- Spiritual
Spiritualは1303年頃の用例があり、日本訳語は精神、霊的、教会の、聖霊の、超自然的存在の、心霊術の、などである[39]。
Spirituelは、1673年頃に(女性が)高雅な、という意味での用例がある[39]。
- Spritualty
1378年頃にspritualtyの用例があり、これはSpiritualityと同義語である[39]。
- Spirituality
霊的な体、聖職者を意味するSpiritualityは1513年のLife Henry V.や、1583年のPHILLIP STUBBES'S ANATOMY ABUSES IN ENGLAND SHAKSPERE'S YOUTHなどにある[40][42]。
- Spiritualty
- Spiritualism
霊性史
編集新約聖書の霊
編集新約聖書のプネウマ(πνευμα) は、聖霊、御霊とも訳される[注釈 3]。
一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。 — 使徒行伝2:4、『口語新約聖書』日本聖書協会(1954年)
1901年のアメリカ標準訳聖書(American Standard Version)ではthe Holy Spiriとthe Spiritとある。
And they were all filled with the Holy Spirit, and began to speak with other tongues, as the Spirit gave them utterance. — Acts of the Apostles2:4、Bible (American Standard),1901
1611年のジェイムズ王欽定訳聖書ではthe Holy Ghost,the Spiritとある。
新約聖書のプネウマは死を越えていく存在様式や生命力を指すこともあるが、プシュケーとは異なり、それらの多くは人間的な意味である。つまり神の霊と人間の霊とは区別されている[19]。
神の霊
編集新約聖書での「霊」はまず何よりも「神の霊」である[8]。
神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである — ヨハネによる福音書4:24、『口語新約聖書』日本聖書協会、1954年
God is a Spirit: and they that worship him must worship in spirit and truth. — John,4:24、Bible (American Standard),1901
神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。 — コリントの信徒への手紙一2-10〜15、『口語新約聖書』日本聖書協会、1954年
But unto us God revealed [them] through the Spirit: for the Spirit searcheth all things, yea, the deep things of God. For who among men knoweth the things of a man, save the spirit of the man, which is in him? even so the things of God none knoweth, save the Spirit of God. But we received, not the spirit of the world, but the spirit which is from God; that we might know the things that were freely given to us of God. Which things also we speak, not in words which man's wisdom teacheth, but which the Spirit teacheth; combining spiritual things with spiritual [words]. Now the natural man receiveth not the things of the Spirit of God: for they are foolishness unto him; and he cannot know them, because they are spiritually judged. But he that is spiritual judgeth all things, and he himself is judged of no man. — 1 Corinthians,2:10-15、Bible (American Standard),1901
人間の霊
編集そして、神によって造られた人間も霊を有する[8]。ステパノはイエスに「私の霊をお受けください」と祈る(使徒言行録7:59)[8]。
死んだ聖徒は「全うされた義人たちの霊」といわれた(ヘブル人への手紙12-23)[8]。
真の霊性
編集霊性は、聖霊によって生み出され、肉とは対立するとされる[43][8]。
なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。 — ローマ人への手紙8章2-16、『口語新約聖書』日本聖書協会、1954年
神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。務は種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。 — コリントの信徒への手紙一12-3-11、『口語新約聖書』日本聖書協会、1954年
肉とは、ねたみや争い、党派心、不品行、他の人を顧みないこと、見下すこと、教会全体の益を図らず好き勝手に賜物を用いる利己的な態度[44]、愛の欠けた自己中心的態度[45]、貪欲[46]、欺きや虚偽不正[47]、偏見や差別[48]、性的不道徳[49]などがあり、真の霊性とはこうした肉に支配されず聖霊によって生きることに他ならない[50][8]。
御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。 — ガラテヤ人への手紙5:16-18、『口語新約聖書』日本聖書協会、1954年
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。 — ガラテヤ人への手紙5:19-26、『口語新約聖書』日本聖書協会、1954年
真の霊性は、父なる神とイエスに従い続けていくことで得られ、教会をはじめとする共同体の霊性とされる[8]。
キリスト教的倫理に遵った生活は、「洗礼の際、神によって注がれた霊に遵って生きること」とされた[51]。
教父哲学
編集プラトン主義とキリスト教の混交が始まるのは、教父哲学においてであり、オリゲネスの霊性理解はプラトン主義に接近している。それに対しエイレナイオスは霊と肉の区別(霊肉二元論の強調)を批判し、その傾向が著しいグノーシス主義を排斥している[52]。カトリック大事典では、グノーシス、新プラトン主義からのキリスト教的霊性への影響があり、また教父神学は霊性と一体であるとする[1]。
中世
編集中世ヨーロッパでは、ベネディクト会、クリュニー系修道院、シトー会、ドミニコ会、フランチェスコ会などの修道院において、修道院生活は霊性の中心に位置づけられた[1]。
12・13世紀に霊性は、人間の「超自然性」「非物質性」を意味し、さらには国家に対する教会法的意味での教会の聖職を指す用語となった[53]。中世の政治思想において国家は、「世俗的なるもの」に対する「霊的なるもの」の優位という階層秩序観に基づき、教会への奉仕を求められることになる。ハンナ・アーレントは、中世においては政治秩序の支配する「公的領域が非常に限られた統治の領域に変形した」という[54]。
イエズス会のイグナチオ・デ・ロヨラは『霊操』で霊性を鍛えることで神の意志を見出すとした。
この他、カトリック大事典では、トマス・アクィナス、ボナヴェントゥラ、デヴォティオ・モデルナ、トマス・ア・ケンピス、アビラのテレサ、ファン・デ・ラ・クルス、カテリーナ、17世紀フランスの霊的著作家、フランソア・ド・サル、フェヌロンの静寂主義、ジャンセニスム、パスカル、マルグリット・マリー・アラコックら民衆の霊性から啓蒙思想にも霊性は見出され、フランス革命を経てマリア信心の高揚などがその例とされている[1]。
プロテスタントの霊性
編集ドイツではFrömmigkeitという概念があり、マルティン・ルター、敬虔主義、ジャン・カルヴァンなども霊性史の一部として、さらにイングランド国教会、ジョン・ヘンリー・ニューマン、オックスフォード運動、カール・バルト、ディートリヒ・ボンヘッファー、ユルゲン・モルトマンなどの神学も事例として挙げられている[1]。1520年代にいた神秘的な合一を目指す神秘主義的傾向を持つSpiritualistenは「霊性主義者」と訳される[55]。
霊性神学
編集19世紀にはジャン・バティスト・マリー・ヴィアンネ、カテキズム運動、青少年運動、信心会の活動、宣教会、リジューのテレーズなどがあり、19世紀に霊性神学が成立した[1]。
現代
編集現代では第2バチカン公会議、イグナティウス、黙想についての東洋的霊性から学ぶ動きがあり、ティヤール・ド・シャルダン、K・ラーナー、エキュメニカル運動などがある[1]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 日本国語大辞典 第二版(小学館2002)の「霊性」項目では「引照新約全書」(1880)と書かれているが、1880年に刊行されたのは翻訳委員社中「新約全書」北英聖書會社(スコットランド聖書協会)である。『引照 新約全書』横浜:米国聖書會社、1887,四百廿三頁。
- ^ 1950年の日本聖書協会訳『新約聖書』でも「潔き靈」と訳された。
- ^ ギリシア語καὶ ἐπλήσθησαν ἅπαντες Πνεύματος ἁγίου, καὶ ἤρξαντο λαλεῖν ἑτέραις γλώσσαις καθὼς τὸ Πνεῦμα ἐδίδου αὐτοῖς ἀποφθέγγεσθαι. — Πράξεις τῶν Ἀποστόλων,2-4
出典
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- ^ コロサイ 3:9、 I テモテ 3:8、ヤコブ 5:1-6 、使徒 5:1-11
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参考文献
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関連文献
編集- マクグラス「現代キリスト教神学思想事典」新教出版社、2001
- ブイエ他「教父と東方の霊性」「中世の霊性」「近代の霊性」上智大学中世思想研究所編訳、キリスト神秘思想史1-3、平凡社1996-1998