雞知町

日本の長崎県下県郡にあった町

雞知町(けちまち)は、長崎県下県郡にあった町。1932年(昭和7年)に竹敷村を編入後[1]、1955年(昭和30年)に北隣[2]船越村と合併し、美津島町となった。

けちまち
雞知町
廃止日 1955年3月1日
廃止理由 新設合併
雞知町船越村美津島町
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
下県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,960
国勢調査、1950年)
隣接自治体 下県郡厳原町佐須村船越村
雞知町役場
所在地 長崎県下県郡雞知町大字雞知甲555番地
座標 北緯34度16分07秒 東経129度18分42秒 / 北緯34.26864度 東経129.31175度 / 34.26864; 129.31175座標: 北緯34度16分07秒 東経129度18分42秒 / 北緯34.26864度 東経129.31175度 / 34.26864; 129.31175
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現在の対馬市美津島町の南部にあたる。

地理

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対馬島の中部に位置する。

  • 山:白嶽前嶽、紅葉山(鶴嶽)、遠見岳、立石山、鼎冠山、鉾ヶ岳、飛岳、郷山、塩屋壇山、八斗蒔壇山、士富壇山、加志岳、大山壇山、大坂壇山、ニガカシ山、中山、向山、大梶岳、鶴ヶ岳、飯盛山、大比良壇山、城山、持山、曲網代岳
  • 島嶼:島山島、大島、黒崎島、鼠島、志々加島、志々加小島、車島、頭切島、化物島、境島
  • 河川:雞知川、洲藻川、加志川
  • 港湾・海域:大口瀬戸浅茅湾竹敷港、雞知浦

沿革

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当町域の一帯について、中世は「与良郡」及び「佐須郡」の各一部、近世は「与良郷」及び「佐須郷」の各一部に属した[3][4][5][6][7]。また『津島紀事』によれば、与良郷内には1府30村[8]、佐須郷内には9村[9]が属していたとされる[6][7]。与良郷と佐須郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[6][7]

  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、雞知村・根緒村・洲藻村・箕形村・吹崎村・加志村・今里村が合併し下県郡雞知村が発足[10]
    • 同時に竹敷村・黒瀬村・尾崎村・島山村・昼ヶ浦村が合併し下県郡竹敷村が発足。
  • 1932年(昭和7年)4月1日 - 竹敷村を編入[1]
  • 1940年(昭和15年)10月17日 - 雞知村が町制施行。雞知町となる。
  • 1955年(昭和30年)3月1日 - 船越村と合併して美津島町が発足し、雞知町は自治体として消滅。

地名

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大字を行政区域とする。

  • 今里(いまざと)
  • 加志(かし)
  • 雞知(けち)
  • 洲藻(すも)
  • 根緒(ねお)
  • 吹崎(ふくざき)
  • 箕形(みかた)
竹敷村
  • 尾崎(おさき)
  • 黒瀬(くろせ)
  • 島山(しまやま)
  • 竹敷(たけしき)
  • 昼ヶ浦(ひるがうら)

名所・旧跡

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参考文献

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脚注

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  1. ^ a b 長崎縣告示第二百二十號『下県郡竹敷村を廃しその区域を雞知村に編入の件』長崎県公報 昭和7年3月28日付
  2. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年2月11日
  3. ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
  4. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郡」
  5. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐須郡」
  6. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「与良郷」
  7. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐須郷」
  8. ^ 府中である厳原城下のほか、鷄知(けち)・洲藻・箕形・吹崎・賀志・尾崎・昼浦・島山・大山・犬吠・小船越・鴨居瀬・芦浦・賀谷・横浦・濃部・大船越・久須保・緒方・竹敷・黒瀬・根緒・小浦・南室・久田・尾浦・安神・久和・内院・内山の各村からなる。上記のうち内院村は江戸時代初期に与良郷と豆酘郷の境界として分割され、与良郷側の内院村は「与良内院村」とも称する。
  9. ^ 樫根・下原(しもばる)・小茂田・阿連・今里・椎根・上槻・久根・瀬の各村からなる。上記のうち瀬村は江戸時代初期に佐須郷と豆酘郷の境界として分割され、佐須郷側の瀬村は「佐須瀬村」とも称する。また、久根村は江戸時代末期までに久根田舎村と久根浜村の2村に分割された。
  10. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外

関連項目

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