佐須村

日本の長崎県下県郡にあった村

佐須村(さすむら)は、長崎県下県郡にあった村。1956年(昭和31年)に厳原町・久田村豆酘村と合併し、改めて発足した厳原町の一部となった。

さすむら
佐須村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併
厳原町、久田村豆酘村佐須村厳原町
現在の自治体 対馬市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
下県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,550
国勢調査、1955年)
隣接自治体 下県郡厳原町美津島町久田村
佐須村役場
所在地 長崎県下県郡佐須村大字小茂田75番地
座標 北緯34度13分53秒 東経129度11分48秒 / 北緯34.23128度 東経129.19678度 / 34.23128; 129.19678座標: 北緯34度13分53秒 東経129度11分48秒 / 北緯34.23128度 東経129.19678度 / 34.23128; 129.19678
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現在の対馬市厳原町の北西部にあたる。

地理

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対馬島の南部に位置する。対馬における「佐須」の地名の由来について、『津島紀事』のうち佐須郷の項目のによれば、波浪や河川が運ぶ土砂によって形成された「砂州」にちなむとされる[1]

  • 山:有明山矢立山、後山、中山、丸山、黒土山、大坂壇山、穴ノ壇山、ニガカシ山、権現山、隠蔵寺山、柳ノ壇山、竜本山、月輪山、カズエノ壇山、野田ノ壇山、断伐山、板置山、舞石ノ壇山、大鳥毛山、小鳥毛山、増木庭山、大平山、天ノ原山、冷水山、狩山、白山、黒岳、金田山、大隈山、関ノ隈山、三隈山、佐須峠(佐須坂)
  • 河川:佐須川、小茂田川、日見川、シワコウ川、阿連川、上槻川、椎根川、悪水川、久根川
  • 港湾:小茂田港

沿革

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当村域の一帯について、中世は「佐須郡」の一部、近世は「佐須郷」の一部に属した[2][3][4]。また『津島紀事』によれば、佐須郷内には9村[5]が属していたとされる[4]。佐須郷は対馬島内の他の各郷とともに明治5年に廃止された[4]

  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行により、久根浜村・久根田舎村・上槻村・椎根村・小茂田村・樫根村・下原村・阿連村が合併し下県郡佐須村が発足[6]
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 厳原町・久田村・豆酘村と合併して改めて厳原町が発足し、佐須村は自治体として消滅。

地名

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大字を行政区域とする。

  • 阿連(あれ)
  • 樫根(かしね)
  • 久根田舎(くねいなか)
  • 久根浜(くねはま)
  • 上槻(こうつき)
  • 小茂田(こもだ)
  • 椎根(しいね)
  • 下原(しもばる)

産業

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佐須川沿岸の樫根・下原に所在する対州鉱山は、天武天皇年間に初めてを採掘し朝廷へ献上した歴史を持つ。江戸期の徳川家光の代では銀とともにの産出が行われ、明治以降は鉛や亜鉛等の産出を主とする。所有者を転々とした後、1939年(昭和14年)に日本亜鉛(後の東邦亜鉛)が鉱山一帯を買収した。戦時中の休山を経て1948年(昭和23年)に操業を再開したが、採掘に伴う河川や田畑の汚染が懸念された[7][8][9]

新設の厳原町発足以降、鉱山周辺地域のカドミウム汚染が判明する。また鉱床の枯渇もあり、1973年(昭和48年)12月までに閉山となった。閉山以降は公害防除を目的とした土地改良事業の一環として、鉱山周辺の農地復旧工事が行われている。

名所・旧跡

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佐須村出身の著名人

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参考文献

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脚注

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  1. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐須」
  2. ^ 対馬6町合併のあゆみ 対馬6町合併協議会(総務省 合併デジタルアーカイブ)
  3. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐須郡」
  4. ^ a b c 角川日本地名大辞典 42 長崎県「佐須郷」
  5. ^ 樫根・下原(しもばる)・小茂田・阿連・今里・椎根・上槻・久根・瀬の各村からなる。上記のうち瀬村は江戸時代初期に佐須郷と豆酘郷の境界として分割され、佐須郷側の瀬村は「佐須瀬村」とも称する。また久根村は江戸時代末期までに久根田舎村と久根浜村に分割された。
  6. ^ 長崎縣令第二十號『対馬の各町村合併及びその名称に関する件[1][2]』長崎県公報 明治41年3月25日付号外
  7. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「樫根(近代)」
  8. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「対州鉱山」
  9. ^ 岩松繁俊『東邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染 - 企業内部告発文書 -』(1975年)140頁

関連項目

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