鉱山事故

鉱山で発生する事故・災害

鉱山事故(こうざんじこ、英語: Mining accident)または鉱山災害(こうざんさいがい、英語: Mine disaster)は、鉱山で発生する事故災害である。坑内作業を中心とする鉱山では、概して他産業に比べ作業環境が悪く、事故発生の頻度・強度ともに高い。ときに落盤ガス突出ガス爆発粉塵爆発などによって瞬時に多数の死傷者を出すことがあり、鉱山変災とよばれる[1]

439人の死者を出した1913年10月14日のセンゲニード炭鉱爆発事故(en:Senghenydd Colliery Disaster)現場、イギリスウェールズ南部

経済産業省のまとめによると、2011年末における日本の鉱山数は532鉱山、鉱山労働者数は11796人で、同年の鉱山災害発生件数は31件、罹災者数は28人(死者1人・重傷者20人・軽傷者7人)であった[2]

炭鉱事故

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日本の炭鉱事故

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日本では明治年間になると殖産興業の名の下、鉱山開発が盛んに行われた。しかし、当時の鉱山は利益優先で、労働環境は二の次であったため安全対策は劣悪な場合が多く、特にガス爆発や粉塵爆発が発生しやすい炭鉱においては、しばしば大規模な事故が発生した。小規模な死傷事故は、記録に残っていない事故まで含めると膨大な数となると考えられる。第二次世界大戦後、安全対策が充実すると事故の発生件数は劇的に減少したが、高コスト、石油エネルギーへの転換、輸入炭の増大などから閉山が相次ぐことになった。また、事故も完全になくなったわけではなく、そのため事故に対する労働者や遺族への補償も経営者の大きな痛手となり、日本の炭鉱衰退に拍車を掛けた。

日本の主な炭鉱事故
  • 1899年6月15日 - 豊国炭鉱福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者210人。
  • 1907年7月20日 - 豊国炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者365人。明治期最悪の事故。
  • 1909年11月24日 - 大之浦桐野炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者243人[3]
  • 1912年 - 北炭夕張炭鉱北海道)にて4月29日12月23日に爆発事故。それぞれ死者・行方不明者269人、216人[4]。1913年1月13日、会社は鉱夫53名の生死不明のまま坑口を密閉した。
  • 1913年2月6日 - 二瀬炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者101人。
  • 1914年
    • 11月28日 - 新夕張炭鉱(北海道)にて爆発事故。死者・行方不明者423人。
    • 12月15日 - 方城炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者687人。日本の近代史上最悪の炭鉱事故とされる。
  • 1916年 - 東見初炭鉱山口県)にて海水流入事故(鉱区が海域にあったため)。死者・行方不明者235人。
  • 1917年12月21日 - 大之浦桐野炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者361人[5]
  • 1918年2月5日 - 大之浦桐野炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者71人。
  • 1920年6月14日 - 北炭夕張炭鉱北上坑(北海道)にて爆発事故。死者・行方不明者209人。
  • 1927年3月27日 - 磐城炭鉱(福島県)で坑内火災。死者186人[6]
  • 1929年(昭和4年)
  • 1932年(昭和7年)8月5日 - 空知炭鉱(北海道)でガス爆発事故。作業員57人死亡[9]
  • 1934年(昭和9年)11月25日 - 松島炭鉱(長崎県)第四坑が海水流入により水没。54人死亡[10]
  • 1935年
  • 1936年
  • 1938年10月6日 - 北炭夕張炭鉱天竜坑(北海道)にて爆発事故。ガスが発生しているのにもかかわらず発破作業を行ったことが原因[19]。死者161人、負傷者26人[20]
  • 1941年3月18日 - 三菱美唄炭鉱(北海道)にて爆発事故[21]死者・行方不明者177人。
  • 1943年 - 長生炭鉱(山口県)にて海水流入事故。死者・行方不明者183人。
  • 1944年 - 美唄炭鉱(北海道)にて爆発事故。死者・行方不明者109人。
  • 1948年6月18日 - 勝田炭鉱(福岡県)で坑内爆発。死者58人(54人とする記述もあり)、負傷10人[22][23]
  • 1955年
    • 4月16日 - 安部鉱業所佐世保炭鉱(長崎県)のボタ山が崩壊。共同住宅等が巻き込まれて死者73人[24]
    • 11月1日 - 赤平茂尻鉱業所(北海道)でガス爆発が発生。死者60人[25]
  • 1958年9月25日 - 福岡県山田市にある池本鉱業大昇炭鉱にてガス爆発が発生。死者14人。
  • 1960年
  • 1961年 - 上清炭鉱(福岡県)にて坑内火災、死者71人[28]。大辻炭鉱(福岡県)にて坑内火災、救助に入った炭鉱長も巻き込まれ、死者26人。
  • 1963年11月9日 - 三井三池炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者458人を出し、第二次世界大戦後の事故では最多の死者数を出す。
  • 1965年
    • 2月22日 - 北海道炭砿汽船夕張鉱業所(北海道)第一砿内にて爆発事故。死者62人[29]
    • 6月1日 - 三井山野炭鉱(福岡県)にて爆発事故。死者・行方不明者237人[30]
  • 1966年11月1日 - 住友奔別炭鉱(北海道)にて午前2時45分ころガスによる事故が発生。作業中の職員3名、鉱員13名が死亡。鉱員4名が重軽傷を負う。
  • 1970年 - 三井芦別炭鉱(北海道)にてガス爆発事故。死者5人・重軽傷者7人。
  • 1972年 - 石狩炭鉱石狩鉱業所(北海道)にて11月2日午後5時48分頃にガス爆発事故。死者31人。
  • 1977年 - 三井芦別炭鉱(北海道)にてガス爆発事故。死者25人・重傷者8人。
  • 1981年 - 北炭夕張新炭鉱(北海道)にてガス突出・爆発事故。坑内に59名の安否不明者が取り残されたまま注水作業を開始し、最終的な死者は93人。
  • 1984年 - 三井三池炭鉱有明抗(福岡県)にて坑内火災。死者83人。
  • 1985年 - 三菱南大夕張炭鉱(北海道)にて爆発事故。死者62人。

中国の炭鉱事故

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中華人民共和国では、1990年代以降、経済の発展と共にエネルギー需要が逼迫し、小規模な炭鉱開発が無数に行われるようになった。政府は法令を整え安全対策などの充実を図るものの、貧弱な施設で操業する中・小企業および無届け業者が非常に多く大事故の発生が絶えない(無届け業者は事故が発生すると、救助を行う前に逃げ出すという[31])。

2005年には3,341件の事故により5,000人以上の労働者が亡くなったという。事故に関連して処罰された責任者は200名を超える。このため、中国政府は2006年には年間生産量が3万トンを下回る比較的小規模の炭鉱を2007年までに強制的に閉鎖する施策を発表したほか、2008年には、2010年までに小型炭鉱の数を1万ヵ所以内に整理削減[32]する目標を発表している。政府の労働安全当局により、2015年の鉱山(炭鉱以外を含むものかは不明)の年間死者数は598人という数字が伝えられている[33]

2005年に発生した主な炭鉱事故
国外向けのニュースで配信された主な事故。
  • 2月 遼寧省の孫家湾炭鉱にて爆発事故。死者・行方不明者200名以上[34]
  • 8月 広東省梅州市の大興炭鉱にて浸水事故。死者・行方不明者123名[35]
  • 10月 河南省鶴壁市の炭鉱にて爆発事故。死者・行方不明者34名[36]
  • 10月 四川省広安市の炭鉱にて爆発事故。死者・行方不明者28名
  • 12月 河北省唐山市の炭鉱にて爆発事故。死者・行方不明者75名
  • 12月 河南省新安県の炭鉱にて浸水事故。死者・行方不明者42名

トルコの炭鉱事故

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トルコ一般鉱山労働組合(The general Mine Workers Union in Turkey)によると、トルコ国営石炭公社(Turkish Coal Corporation ; TTK)の経営する炭鉱において、2000年から2009年の間に、25655件の事故が発生し、63人が死亡、26324人が負傷している[38]

アメリカ合衆国の炭鉱事故

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エネルギーの安全保障政策の観点から、アパラチア炭田産をはじめとして国内産の石炭の利用が行われており、露天掘りのほか、坑道による炭鉱も現存する。

イギリスの炭鉱事故

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フランスの炭鉱事故

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ベルギーの炭鉱事故

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ウクライナの炭鉱事故

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ローデシア(ジンバブエ)の炭鉱事故

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  • 1972年6月6日 : ブルワヨの北320kmにあったウォンキー鉱で爆発事故。468人が生き埋め[39]

ロシアの炭鉱事故

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脚注

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  1. ^ 鉱山災害』 - コトバンク
  2. ^ 鉱山における最近の災害の状況 -平成23年の災害を踏まえた分析結果- 平成24年7月 鉱山保安課 (PDF)
  3. ^ 2007年12月の周年災害”. 防災情報新聞. 2021年8月27日閲覧。
  4. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』289,291頁 河出書房新社刊 2003年11月30日刊全国書誌番号:20522067
  5. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p321 河出書房新社刊 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  6. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、28頁。ISBN 9784816922749 
  7. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』p.32
  8. ^ 「遭難七十人の法要、涙の遺族たち」『北海タイムス』1929年(昭和4年)8月13日(昭和ニュース編纂委員会編『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p.600 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  9. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』p.36-37
  10. ^ 「三井・松島炭坑に出水、五十四人絶望」『大阪毎日新聞』1934年(昭和9年)11月26日(昭和ニュース編纂委員会編『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p.485 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  11. ^ 「死者・行方不明は十七人、端島坑でガス爆発」『大阪毎日新聞』1935年(昭和10年)3月28日(昭和ニュース編纂委員会編『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p.517 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  12. ^ 「死者・不明は九十四人、六十遺体を収容」『北海タイムス』1935年(昭和10年)5月10日夕刊(昭和ニュース編纂委員会編『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p.682 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  13. ^ 「死者・不明は四十八人、入山坑惨事」『河北新報』1935年(昭和10年)6月1日(昭和ニュース編纂委員会編『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p655 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  14. ^ 「二次爆発で救援隊遭難、死者・行方不明六十六人」『大阪毎日新聞』1935年(昭和10年)7月15日(昭和ニュース編纂委員会編『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p219 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  15. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』p.44
  16. ^ 「麻生吉隈炭坑で坑内火災、四十四人が遭難」『九州日報』1936年(昭和11年)1月27日(昭和ニュース編纂委員会編『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p655 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  17. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』p.45
  18. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』p.46
  19. ^ 「不明の百十二人は絶望」『東京日日新聞』1938年(昭和13年)10月8日(昭和ニュース編纂委員会編『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p230 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  20. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』p.53
  21. ^ 「三百七十四人が遭難、百八十人は救出」『朝日新聞』1941年(昭和16年)3月19日夕刊(昭和ニュース編纂委員会編『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p215 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  22. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』p.70
  23. ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、366頁。ISBN 4-00-022512-X 
  24. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』p.106
  25. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』p.110
  26. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』p.142
  27. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』p.148
  28. ^ 昭和36年3月 中日ニュース No.374_2「斜陽産業の悲劇 -上清炭鉱で死者71名」 中日映画社
  29. ^ 所長に懲役求刑 北炭夕張事故の論告公判「生産を優先、保安軽視」『朝日新聞』1970年(昭和45年)6月16日夕刊 3版 9面
  30. ^ NHK放送史 山野鉱でガス爆発 237人死亡”. 日本放送協会. 2023年1月27日閲覧。
  31. ^ 炭鉱爆発、12人死亡=違法操業で責任者逃亡-中国河南省(時事通信)
  32. ^ 中国、2010年までに小型炭鉱を1万ヵ所に削減(サーチナ2008年7月10日)
  33. ^ 中国の炭鉱ガス爆発、死者33人に 行方不明者の遺体発見CNN.co.jp 2016/11/2(2016/11/06閲覧)
  34. ^ 遼寧省で炭鉱爆発203人死亡、13人が不明(2005年2月15日 サーチナ)
  35. ^ 炭鉱事故:逃亡の炭鉱幹部10人拘束、市長停職(2005年8月10日 サーチナ)
  36. ^ 河南省の炭鉱でガス爆発事故、34人死亡、新疆でも(2005年10月4日 サーチナ)
  37. ^ a b “炭鉱事故の死者274人に トルコ史上最悪に”. 共同通信. (2014年5月15日). https://web.archive.org/web/20140517022656/http://www.47news.jp/CN/201405/CN2014051501000814.html 2014年5月15日閲覧。 
  38. ^ Finbarr Bermingham (2014年5月14日). “Turkey's Sorry History of Coal Mining Disasters”. International Business Times. http://www.ibtimes.co.uk/soma-disaster-turkeys-sorry-history-coal-mining-disasters-1448506 2014年5月15日閲覧。 
  39. ^ 「468人生埋め ローデシアの炭鉱で大爆発」『朝日新聞』昭和47年6月7日.22面

関連項目

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外部リンク

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