金塚村
日本の新潟県北蒲原郡にあった村
かなづかむら 金塚村 | |
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廃止日 | 1955年7月20日 |
廃止理由 |
新設合併 加治村、金塚村 → 加治川村 |
現在の自治体 | 新発田市、胎内市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 |
都道府県 | 新潟県 |
郡 | 北蒲原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 中条町、築地村、加治村、新発田市 |
金塚村役場 | |
所在地 | 新潟県北蒲原郡金塚村 |
座標 | 北緯38度01分10秒 東経139度22分29秒 / 北緯38.01947度 東経139.37469度座標: 北緯38度01分10秒 東経139度22分29秒 / 北緯38.01947度 東経139.37469度 |
ウィキプロジェクト |
沿革
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い北蒲原郡金山村、貝塚村、小国谷村、貝屋村、金沢新村新田、下坂町村、下小中山村、境新村新田、寺尾新村新田、大野新田、戸野湊新田、岡島新田、青田新田、金子新田、藤井新田、俵橋新田、中川新田、相馬新田が合併し、金塚村が発足。
- 1903年(明治36年)11月1日 - 北蒲原郡堀切村の大字弥彦岡・塩津・城塚を編入。
- 1915年(大正4年)4月15日 - 大字金子・青田・藤井を合併し大字金塚とする[1]。
- 1955年(昭和30年)
- 7月20日 - 北蒲原郡加治村と合併し、加治川村となり消滅。
- 10月20日 - 旧村域の大字上城塚・下城塚・塩津・弥彦岡が加治川村から分離され、北蒲原郡中条町に編入。
経済
編集産業
編集- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば金塚村の篤農家は、「白勢正員、白勢長衛、長谷川秀太郎、宮下銀六」などがいた[2]。
- 商工業
白勢正衛、白勢正次の職業は貸地である[3]。
地主
編集白勢友彌、白勢正衛は金塚村の大地主である。
学校
編集小学校
編集- 金塚村立金塚小学校
- 金塚村立貝屋小学校
中学校
編集- 金塚村立金塚中学校
交通
編集鉄道路線
編集出身・ゆかりのある人物
編集脚注
編集- ^ “『字名改称並区域変更』官報. 1915年04月13日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年2月25日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』507頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月26日閲覧。
- ^ a b 『帝国信用録 第18版』新潟県シ之部55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月1日閲覧。
参考文献
編集- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 帝国興信所編『帝国信用録 第18版』帝国興信所、1925年。
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。