酒井 直方(さかい なおかた)は、江戸時代の武士。出羽庄内藩家老。酒井奥之助家第8代。

 
酒井直方
時代 江戸時代
生誕 享和2年(1802年
死没 慶応元年3月28日1865年4月23日
墓所 山形県鶴岡市家中新町 大督寺
幕府 江戸幕府
主君 酒井忠器酒井忠発
出羽庄内藩家老
氏族 酒井氏
父母 父:酒井直寛
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経歴

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享和2年(1802年)、庄内藩亀ヶ崎城代酒井直寛の長男として生まれる。文政13年(1830年)2月、父直寛の隠居により家督と知行1200石を相続。

天保2年(1831年)3月、家老となる。天保13年(1842年)4月、藩主酒井忠器が隠居して、忠発が新藩主となると、忠発を廃立して、分家旗本忠明を擁立しようと企てるも露見して、忠明は捕らえられ、支藩松山藩に幽閉された。

弘化2年(1845年)1月、忠発を廃立して、弟忠中を擁立を企てるも、8月、忠中の病死により挫折した。弘化3年(1846年)2月、亀ヶ崎城代に左遷。弘化4年(1847年)8月、再び家老となる。

嘉永2年(1849年)、藩主忠発が、九条尚忠の娘夙子入内の奉賀のため上洛を命じられ、その供をして御所に参内し孝明天皇に拝謁を賜る。

万延元年(1860年)、隠居逼塞を命じられる。慶応元年(1865年)3月28日死去。享年64。

酒井直方が登場する作品

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小説

参考文献

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  • 『荘内人名辞書』
  • 『新編庄内人名辞典』