辰巳 楢太郎(たつみ ならたろう、1865年3月18日(慶応元年2月21日[1]) - 1940年昭和15年)4月30日[2])は、明治から昭和時代前期の大地主[1]政治家銀行家貴族院多額納税者議員

経歴

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辰巳平四郎の長男として大和国平群郡法隆寺村奈良県生駒郡法隆寺村を経て現斑鳩町)に生まれ[3]1892年(明治25年)11月[1]家督を相続する[3]1886年(明治19年)大阪府師範学校中等師範学科を卒業する[2]。農業を営む傍ら[3]1895年(明治28年)法隆寺村会議員に当選し、ついで生駒郡会議員、同議長、奈良県会議員、所得税調査委員会会長、西和銀行頭取などを歴任した[2]

1904年(明治37年)奈良県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]から1911年(明治44年)9月28日まで在任した[2]

脚注

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  1. ^ a b c 『人事興信録 第3版』た173頁。
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 202頁.
  3. ^ a b c 人事興信所 1928, タ214頁.
  4. ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。

参考文献

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