平群郡

日本の奈良県(大和国)にあった郡

平群郡(へぐりぐん)は、奈良県大和国)にあった

奈良県平群郡の範囲

郡域

編集

1880年明治13年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

歴史

編集

古代

編集

7世紀後半までに飽波郡を編入した。

和名類聚抄』に記される郡内の

  • 那珂
  • 飽波(阿久奈美)
  • 平群(倍久利)
  • 夜麻
  • 坂門
  • 額田(奴加多)

式内社

編集

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
平群郡 20座(大12座・小8座)
竜田坐天御柱国御柱神社 二座
(龍田坐天御柱国御柱神社 二座)
タツタニマスアマノミハシラノ 並名神大 月次新嘗 龍田大社 奈良県生駒郡三郷町立野 [1]
竜田比古竜田比女神社 二社
(龍田比古龍田比女神社 二社)
タツタヒコタツタヒメノ (論)龍田神社 奈良県生駒郡斑鳩町龍田
(論)龍田比古神社・龍田比売神社 奈良県生駒郡三郷町立野 龍田大社摂社
往馬坐伊古麻都比古神社 二座 イコマニマス- 並大 月次新嘗 往馬坐伊古麻都比古神社 奈良県生駒市壱分町 [2]
平群石床神社 ヘクリノイハトコノ 月次新嘗 平群石床神社 奈良県生駒郡平群町越木塚 [3]
伊古麻山口神社 イコマノヤマクチ 月次新嘗 生駒山口神社 奈良県生駒郡平群町櫟原 [4]
平群神社 五座 ヘクリノ 並大 月次新嘗 平群神社 奈良県生駒郡平群町西宮 [5]
久度神社 クトノ 久度神社 奈良県北葛城郡王寺町久度
平郡坐紀氏神社 ヘクリ- 名神大 月次新嘗 平群坐紀氏神社 奈良県生駒郡平群町上庄 [6]
猪上神社 ヰカミノ 猪上神社 奈良県生駒郡平群町信貴畑
船山神社 フナヤマノ 船山神社 奈良県生駒郡平群町三里
御櫛神社 ミクシノ 御櫛神社 奈良県生駒郡平群町椹原
神岳神社 カンヲカノ
カミヲカ
神岳神社 奈良県生駒郡斑鳩町神南
雲甘寺坐楢本神社 -ナラモトノ 雲甘寺坐楢本神社 奈良県生駒郡平群町梨木
凡例を表示

近世

編集

旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領奈良奉行が管轄。●は村内に寺社領が、○は村内に寺社除地[1]が存在。(76村)

知行 村数 村名
幕府領 幕府領 33村 久安寺村、○南畑村、●○菅田村、●○立野村[2]、●○法隆寺村、●○服部村、○上庄村、○吉田村、下垣内村、若井村、○西宮村、○三井村、○稲葉車瀬村、○小吉田村、○興留村、○東勢野村、西勢野村[3]、○東福寺村、越木塚村、○椹原村[4]、○宮堂村、○八条村、○長安寺村、○東安堵村、○西村、○窪田村、五百井村、○阿波村、○岡崎村、○笠目村、○柏木村、西安堵村、○竜田村、安右衛門新田[5]
旗本領 8村 小瀬村、小平尾村、萩原村、○有里村、谷田村、辻村、○俵口村、小明村
幕府領・旗本領 2村 ○信貴畑村、●○額田部村
藩領 大和郡山藩 20村 ○山崎村、壱分村、小倉寺村、鬼取村、大門村、藤尾村、西畑村、鳴川村、椿木村、乙田村[6]、白石畑村、西向村、○池沢村、○馬司村、櫟原村、梨本村、○福貴畑村、○椣原村、○高安村、○椎木村
幕府領・藩領 幕府領・郡山藩[7] 2村 ○福貴村、○幸前村
旗本領・郡山藩 1村 菜畑村
その他 奈良楽人[8] 7村 ○神南村、中ノ宮村、安明寺村、平等寺村、椿井村[9]、○惣持寺村、目安村
幕府領・奈良楽人領 2村 新家村、岩井村
寺社除地 1村 今国府村

近代

編集
  • 慶応4年
  • 明治4年
  • 明治初年(79村)
    • 菅田村が分割して南菅田村・北菅田村となる。
    • 額田部村が分割して額田部村寺方・額田部村南方・額田部村北方となる。
  • 明治9年(1876年)(79村)
    • 4月18日 - 第2次府県統合により堺県の管轄となる。
    • このころ東勢野村・西勢野村が合併して勢野村となる。
    • このころ椿木村が櫟原村に合併。
  • 明治10年(1877年)(74村)
    • 吉田村・新家村が合併して吉新村となる。
    • 中ノ宮村・安明寺村・岩井村が合併して三里村となる。
  • 明治12年(1879年) - 惣持寺村が勢野村に合併。(73村)
  • 明治13年(1880年4月15日 - 郡区町村編制法の堺県での施行により、行政区画としての平群郡が発足。添上郡奈良町に「奈良郡役所」が設置され、同郡および添下郡山辺郡広瀬郡とともに管轄したが、まもなく「添上添下山辺広瀬平群郡役所」に改称。
  • 明治14年(1881年2月7日 - 大阪府の管轄となる。
  • 明治20年(1887年11月4日 - 奈良県(第2次)の管轄となる。
 
11.南生駒村 12.北生駒村 13.明治村 14.三郷村 15.竜田村 16.法隆寺村 17.富郷村 18.本多村 19.安堵村 20.平端村(赤:生駒市 橙:生駒郡斑鳩町 青:合併なし 1 - 9は添下郡)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(10村)
    • 南生駒村小瀬村乙田村小平尾村萩原村藤尾村西畑村鬼取村大門村小倉寺村有里村壱分村(現・生駒市)
    • 北生駒村山崎村谷田村俵口村小明村辻村菜畑村(現・生駒市)
    • 明治村 ← 西向村、櫟原村、椣原村、上庄村、梨本村、吉新村、三里村、白石畑村、平等寺村、下垣内村、鳴川村、福貴村、福貴畑村、久安寺村、信貴畑村、椹原村、越木塚村、若井村、西宮村、椿井村(現・生駒郡平群町)
    • 三郷村 ← 勢野村、立野村、南畑村(現・生駒郡三郷町)
    • 竜田村 ← 竜田村、神南村、稲葉車瀬村、小吉田村、五百井村、服部村、目安村(現・生駒郡斑鳩町)
    • 法隆寺村 ← 法隆寺村、東福寺村(現・生駒郡斑鳩町)
    • 富郷村 ← 三井村、幸前村、高安村、興留村、阿波村(現・生駒郡斑鳩町)
    • 本多村 ← 今国府村、椎木村、馬司村、池沢村(現・大和郡山市)
    • 安堵村 ← 東安堵村、西安堵村、笠目村、窪田村、岡崎村(現・生駒郡安堵町)
    • 平端村 ← 長安寺村、柏木村、額田部村寺方、額田部村南方、額田部村北方、西村、八条村、宮堂村(現・大和郡山市)
    • 南菅田村・北菅田村が山辺郡二階堂村の一部となる。
  • 明治24年(1891年4月2日 - 竜田村が町制施行して竜田町となる。(1町9村)
  • 明治29年(1896年9月1日 - 明治村が改称して平群村となる。
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、添下郡・平群郡の区域をもって生駒郡が発足。同日平群郡廃止。

行政

編集
奈良郡長→堺県添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治13年(1880年)4月15日
明治14年(1881年)2月6日 大阪府に移管
大阪府添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治14年(1881年)2月7日
明治20年(1887年)11月3日 奈良県へ移管
奈良県添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治20年(1887年)11月4日
明治30年(1897年)3月31日 添下郡との合併により平群郡廃止

脚注

編集
  1. ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
  2. ^ ●○立野村・立野村新田に分かれて記載。
  3. ^ 西勢野村・西勢野新田に分かれて記載。
  4. ^ ○椹原村・椹原新田に分かれて記載。
  5. ^ 詳細不明。本項では村数に数えない。
  6. ^ 乙田村・南乙田村に分かれて記載。
  7. ^ 2村とも幕府領を後に郡山県が管轄。
  8. ^ 南都寺社に奉仕した狛姓の楽人であった南都楽所の領地。
  9. ^ 椿井村上方・椿井村下方に分かれて記載。
  10. ^ 同年4月27日(1868年5月19日)にかけて移管。

参考文献

編集
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 29 奈良県、角川書店、1990年3月1日。ISBN 4040012909 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

編集
先代
-----
行政区の変遷
- 1897年
次代
生駒郡