辛島格
辛島 格(からしま いたる、1854年6月5日(嘉永7年5月10日[1])- 1913年(大正2年)5月22日[2])は、第3代熊本市長。
経歴
編集熊本藩士辛島多禧次の二男として生まれる[2]。祖父の辛島塩井は藩儒であった[2]。藩校時習館で学ぶ[2]。1879年(明治12年)、熊本県師範学校副幹事・教授方を務めた。1881年(明治14年)、上益城郡書記・上益城郡下益城郡書記に転じ、翌年まで務めた。1885年(明治18年)には熊本県警部となり、1888年(明治21年)には熊本県属となった。1893年(明治26年)、八代郡長となり、海面埋め立て事業を手掛けた。
1897年(明治30年)、熊本市長に就任。当時、熊本市の山崎町には第6師団の練兵場があり、市街の発展を妨げていた。陸軍省との交渉の結果、練兵場の買収に成功し、跡地に市街地を建設する市区改正事業に尽力した。
市街地の開発を行った辛島の姓をとって、熊本市中心部に「辛島町」という地名が生まれ、熊本市電の駅名が辛島町停留場という名前になっている。墓所は熊本市来迎院。
親族
編集- 辛島知己 - 長男。内務官僚。熊本市長。
脚注
編集参考文献
編集- 「辛島格特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A12090144000