路思義教堂
路思義教堂(ルースーイーきょうどう、ろしぎきょうどう)もしくはルース・チャペル[2]、ルース・メモリアル・チャペル[3](英語:The Luce Chapel)は、台湾台中市西屯区の東海大学内にあるプロテスタント教会堂。著名な台湾人建築家陳其寬および中国系アメリカ人建築家イオ・ミン・ペイ(1917 - 2019)により建てられた。
路思義教堂 The Luce Chapel | |
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側面 | |
基本情報 | |
所在地 |
中華民国(台湾)台中市西屯区 台湾大道四段1727号 |
座標 | 北緯24度10分43.65秒 東経120度36分1.87秒 / 北緯24.1787917度 東経120.6005194度座標: 北緯24度10分43.65秒 東経120度36分1.87秒 / 北緯24.1787917度 東経120.6005194度 |
宗教 | プロテスタント |
管理者 | 東海大學校牧室 |
ウェブサイト | 東海大學 |
建設 | |
建築家 |
イオ・ミン・ペイ 陳其寬 |
形式 | 教会堂 |
様式 | モダニズム建築 |
着工 | 1962年11月1日 |
完成 | 1963年11月2日 |
建築物 | |
正面 | 東方 |
横幅 | 19.8メートル |
奥行 | 30.48メートル |
資材 | 鉄筋コンクリート |
路思義教堂 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 路思義教堂 |
簡体字: | 路思义教堂 |
拼音: | Lùsīyì Jiào táng |
通用拼音: | Lùsihyì Jiào táng |
注音符号: | ㄌㄨˋ ㄙ ㄧˋ ㄐㄧㄠˋ ㄊㄤˊ |
ラテン字: | lussui chiao t'ang |
発音: | ルースーイー チャオタン |
台湾語白話字: | Lō͘-su-gī kàu-tn̂g |
日本語漢音読み: | ろしぎきょうどう |
日本語慣用読み: | ルースきょうどう |
英文: | The Luce Chapel |
路思義教堂 | |
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中華民国 文化資産 | |
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登録名称 | 路思義教堂 |
その他の呼称 | (市定)路思義教堂及鐘樓 |
種類 | 国定古蹟 |
等級 | 大学校園建築 |
文化資産登録 公告時期 | 市定:2017年9月26日 国定昇格:2019年4月25日[1] |
位置 | 台湾 台中市西屯区台湾大道四段1727号 |
建設年代 | 教堂:1963年 鐘楼:1966年 |
開放時間 | 日曜日15:00~18:00、 月、水~金16:30~18:00 |
2017年9月26日台中市文化資産処は「路思義教堂と鐘楼」名義で畢律斯鐘楼[注釈 1]とともに教会堂を直轄市定古蹟に登録、同時に校内の衛理会館と旧藝術中心を市の歴史建築へ登録を決定した[4]。その後、ミン・ペイ102歳の誕生日となる2019年4月25日、中華民国文化部は台中州庁とともに教堂の国定古蹟への昇格を決定した[5][6]
名称の由来
編集米国の雑誌「タイム」、「ライフ」を創刊したヘンリー・ルース(Henry Robinson Luce、1898-1967)によって、中国で宣教師だった父のヘンリー・W・ルース(Henry W. Luce、1868-1941)を称えるべく出資し建てられた[7][8][9]。路思義はヘンリー・ルースの中国語表記『亨利・路思義』に由来する。
沿革
編集19世紀末以降、中国キリスト教大学聯合董事会[注釈 2]により中国大陸には13か所のキリスト教大学が設立されたが、1949年に中華人民共和国が成立すると、閉鎖を迫られた[10](p1)。1951年、董事会は中国大陸以外でのキリスト教高等教育の場を拡大しようと試み、董事会幹部だったウィリアム・フェン(William Fenn)が1952年に台湾を訪れ、国内に1か所の大学を開校することになる[10](p1)。
候補地選定時に好意的だった台中市の申し出を受け、杭立武が1953年6月に市内西屯区の大肚山に開校[10](p2)。
初期はニューヨークでキャンパスの設計構想が練られたため、在米の華人建築家イオ・ミン・ペイ(貝聿銘)に設計を依頼したが、多忙のため張肇康と陳其寬の2名にも参加を要請した。1950年代は台湾には日本統治時代に開校した国立台湾大学および国立台湾師範大学の2か所しか総合大学がなく、董事会は中国式の大学を構想していた。中国式かつキリスト教との融合を目指し中華伝統の四合院の校舎と三角形の教会堂という構成となった。
陳其寬は張肇康に代わって東海大校舍設計を担った。路思義教堂の施工は台湾省立台北工業専科学校(現・国立台北科技大学)出身の紀錦坤と陳新登が担い、1962年11月1日に教会堂本棟を起工[11](p22)、1963年11月2日落成[11](p22)[12]。
建築
編集東海大学建築系の元主任漢寶德は著書で「教堂は台湾本島で最も著名で、最も歴史的価値のある建築物であり、西洋と中華の文明を融合させたものとして最良かつ中国式現代建築を代表している」と論評した[13]。
評価
編集- 1974年に郵政総局(現・中華郵政の前身)で台湾の名勝8か所をデザインした記念切手が発売し、その1つに選定された[14]。
- ゲティ財団傘下のゲティ基金が主催する「Keeping It Modern 10大現代建築」に選定され、保存・修復のための補助金が拠出された[15][16]。
形式
編集路思義教堂[10](p19) | |
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建設費 | 400万USD [注釈 3] |
面積 | 397平方メートル(120坪) |
内部容積 | 4428立方メートル |
高度 | 19.6メートル |
平面最大幅 | 30.25メートル |
建築物自重 | 2,400トン |
セメント使用量 | 8000パック(1パック50kg) |
鋼材使用量 | 150トン |
足場用木材 | 80,000 |
屋根タイル数 | 80,000 |
柱と梁を一切使わない独特の手法が使われた[18]。
西洋の宗教施設はモダニズムが取り入れられると三角形の簡素な外形に簡略化されていった。この教会堂もその流れを取り入れたものとなった。早期の案ではイオ・ミンは2つのシェルを『ハ』の字状にしただけのゴシック建築の尖頂を考案していたが、台湾で頻発する地震には耐えられないと判断し、断面が花瓶型(フラスコ型)も用意していた[10](p7)。陳其寬は花瓶型の木製模型を製作し、董事会での討議を経て1つの双曲線から2つの双曲線をもつものに変わった[10](pp7-8)。
外観の屋根は当初は「青、緑、黄色(黄土色)」の3色が候補だった。広大な芝生の中央に位置することや背景の青空を考慮し、黄色が採用された[19](p15)。菱形のレンガは屋根の最外層部を覆って内層部の鉄筋やコンクリートを水から保護している。将来の保守性を考慮し、交換しやすい突起のある形状となっている。消耗品として外された古いレンガは大学の記念品として再利用され、馬英九が中華民国総統在任中に大学で講演した際にも贈られている[19](p16)。
構造設計
編集造型が決定すると構造設計の段階に移行。イオ・ミンは当初は木造を目指していたが、台湾の気候や国内での構造設計に適した木材の入手難を考慮し、U字型鋼を採用しようとしたが、コストの高騰が避けられなかった。構造設計を担った鳳後三は鉄筋コンクリートの使用を勧めた。構造計算書を作成し、ニューヨークで陳とともに、イオ・ミンにプレゼンテーションを行った[10](p9)。
片側2枚ずつの計4枚の薄いシェルを『ハの字』かつ菱形に並べ、下部は基礎と直結し、屋根部で両側のシェルが支えあうことで建材の軽量化が実現した。内部が格子状の凹面4枚のシェルは隙間を設けて採光性を高めた[10](p10)[20]。
施工
編集同校校舎で実績のあった国内の光源営造が担当した。前例のない設計だったため、日本の打放しコンクリート建築を参考にした[10](p10)[21]。
台湾でエアコンが一般的ではなかった当初は天井と祭壇後方に設けた通気口のみで換気していた。その後経済成長により国内でもエアコンが普及すると、利用者の増加で室内温度が上昇するのを抑制すべく、後付けで冷房が設置された。本体は教会堂の目立たない場所に置かれ、配管と吹出口の設置もチャペル内の景観を損なわないように配慮された[10](p14)。
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礼拝堂内部
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夜間の路思義教堂
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礼拝堂
交通
編集バス各路線で「栄総/東海大学」下車[22]
脚注
編集註釈
編集出典
編集- ^ 路思義教堂”. 文化部文化資産局国家文化資産網. 2019年11月19日閲覧。 “
- ^ “建築学科の渡邉研司教授が台湾・東海大學のチャペル保存修復活動に協力しています|東海大学”. 東海大学. 2019年11月19日閲覧。
- ^ Team, Internet (2019年11月13日). “2020ランタンフェス開催の台中市、宣伝ビデオを公開”. 台北駐日経済文化代表処. 2019年11月19日閲覧。
- ^ “東海路思義教堂鐘樓 成市定古蹟”. 中国時報. (2017年10月17日)
- ^ “路思義教会堂、設計した貝聿銘氏102歳の誕生日に国定文化財に”. Taiwan Today (2019年4月30日). 2019年11月19日閲覧。
- ^ “文化部贈台中州廳、路思義教堂「國定古蹟」證書”. 聯合報. (2019年4月26日)
- ^ “東海大學路思義教堂(台中 藝術街)”. 旅々台北.com (2012年9月21日). 2019年11月18日閲覧。
- ^ 東海校園建築步道,第98頁,東海大學校園解說員社
- ^ 勇往直前--路思義的心靈世界及勇往再前--東海大學路思義教堂建堂四十週年感恩集
- ^ a b c d e f g h i j 典範的建構—東海校史暨人物傳記書寫 路思義教堂 從設計到使用”. 東海大學建築學系. 2019年11月11日閲覧。 黃業強 (2014年6月13日). “
- ^ a b “路思義教堂規劃暨興建大事年表”. 東海大學圖書館館刊 (東海大学図書館): 頁18-22. ISSN 1682-1599 . 謝鶯興 (2018年10月15日).
- ^ 互助營造股份有限公司 (2012-08-01). 臺灣營造業百年史. 臺北市: 遠流. pp. 136. ISBN 9789573269854
- ^ 漢寶德. “〈情境的建築〉”. 建築之心──陳其寬與東海建築. 田園城市文化事業有限公司. p. 21. ISBN 978-986-7705-23-5
- ^ 特101臺灣風景郵票(63年版)”. 中華郵政. 2019年11月19日閲覧。 “
- ^ “台湾・東海大学の礼拝堂、米団体が20世紀の世界的建築に選出”. フォーカス台湾 (2014年9月19日). 2019年11月18日閲覧。
- ^ Keeping It Modern: 2014 Grants Awarded”. The J. Paul Getty Trust. 2019年11月19日閲覧。 “
- ^ AD Classics: Luce Memorial Chapel / I.M. Pei”. ArchDaily. 2019年11月19日閲覧。 “
- ^ 除了經典的東海大學教堂,貝聿銘還在台灣留下了「這些」驚豔作品…”. 風傳媒 (2017年9月14日). 2019年11月17日閲覧。 “
- ^ a b “路思義教堂素樸莊嚴的外衣:琉璃磚”. 東海大學圖書館館刊 (東海大学図書館): 頁15-17. ISSN 1682-1599 . 陳曦 (2018年10月15日).
- ^ 王鎮華. “一條健康而未開展的路〉”. 《建築之心──陳其寬與東海建築》. 田園城市文化事業有限公司. p. 144. ISBN 978-986-7705-23-5
- ^ 台灣現代建築先驅──路思義教堂50年證成永恆”. 台灣光華雜誌. 2019年11月16日閲覧。 朱立群 (2014年1月). “
- ^ “公車動態”. 台中市政府交通局. 2019年11月19日閲覧。
外部リンク
編集- 東海大學
- Luce Memorial Chapel - ウェイバックマシン(2015年9月24日アーカイブ分) Pei Cobb Freed & Partners
- 路思義教堂 台中市政府観光旅遊局
- 路思義教堂及鐘樓—臺中市文化資產處