趙柱泳
大韓民国の弁護士、政治家
趙 柱泳(チョ・ジュヨン、朝鮮語: 조주영、1900年3月11日[1] - 1976年11月25日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の弁護士、警察官僚、政治家。第4代逓信部長官、第2代韓国国会議員。キリスト教徒[2][3]。
経歴
編集慶尚南道南海郡出身[1]。明治大学法学部卒。日本弁護士試験合格。朝鮮興業銀行監査役を経て、光復後は警務部総務局局長、警務部監察長、弁護士会委員を務め、1950年の第2代総選挙で南海郡選挙区から無所属で国会議員に当選した。同年の朝鮮戦争で北朝鮮に拉致されたという説もあるが、その後は国会法司委員、鄭国殷事件調査委員、交通部顧問、逓信部長官を歴任した[2][3]。1954年の第3代総選挙と1958年の第4代総選挙にも出馬したが、いずれも落選した[1]。1960年の3・15不正選挙の訴訟の時は原告である張沢相の訴訟代理人を務めた[4]。同年の第5代総選挙にも大邱の選挙区から出馬したが、あいにく高血圧が発病し、選挙運動を行うことができなくなったため辞退した[5]。
脚注
編集- ^ a b c “남해출신 첫 장관 조주영 변호사”. 남해시대 (2015年2月10日). 2025年2月21日閲覧。
- ^ a b “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年2月20日閲覧。
- ^ a b “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年2月20日閲覧。
- ^ “選擧無効(선거무효)를提訴(제소)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1960年4月2日). 2025年2月20日閲覧。
- ^ “立候補辭退續出(입후보사퇴속출)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1960年7月4日). 2025年2月20日閲覧。
- ^ “趙柱泳前遞信長官(조주영전체신장관)”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1976年11月26日). 2025年2月20日閲覧。