谷衛成
谷 衛成(たに もりなり)は、江戸時代前期の丹波国山家藩の世嗣。通称は内蔵助。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正10年(1582年) |
死没 | 寛永3年12月2日(1627年1月19日) |
別名 | 雅楽助、内蔵助(通称) |
戒名 | 雪庭宗樹正禅院 |
藩 | 丹波山家藩世嗣 |
氏族 | 谷氏 |
父母 | 父:谷衛友、母:木下氏 |
兄弟 | 衛成、吉長、衛勝、衛政、衛長、衛冬、虎之助、兵左衛門、園基音室、谷主膳室、澤瀬加兵衛室、藤江元園室 |
妻 | 正室:堀秀政の娘 |
子 | 衛治、衛之、藤掛永重正室、山名某室、谷衛利正室、建部直昌室 |
略歴
編集初代藩主・谷衛友の長男として誕生した。母は木下氏。正室は堀秀政の娘。
家督を相続することなく、寛永3年(1626年)に45歳で没した。代わって4弟・衛政が嫡子となり、のちに家督を継いだ。なお、衛成の3女は衛政の嫡男・衛利の正室となり、第3代藩主・谷衛広の生母となっている。